くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

『学校で教えるべきなのは...』ラマ氏日本講演の意味するもの。

 ダライ・ラマ氏は大きな影響を与える立場にあるので、彼の放った言葉は良くも悪くも、 私たちに影響を与えます。

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 今回の記事は、彼の一言がTwitterで流されたことで、広まった話題の様ですが、この一言は、今中東で行われている所業に関連してると考える人は、多いのではないかと思います。

 ただ、一般的な解釈でも私たちの社会の中でみても、とても含蓄のある言葉である事も間違いありません。

 大人は理屈で暴力では何も解決できないことは重重理解している筈です、それでも暴力に走るのは、それまでに影響を受けた様々な負の部分を捨てきれないからなのでしょう。
 なので『そう簡単にいくか!』と言うことになってしまうようです。

 やはりしがらみの少ない子供の内から、対話による解決をする訓練が必要だと説いています、しかしそれを教えるのは厄介なことに、しがらみの多い『大人』なのですから、やはり話は簡単にいかないのでしょう。

 その困難さは、身近なところでは『手紙(メール)』や『電話』でのやり取りを思い返していただければわかりやすいと思うのですが、同じ国の者同士でさえ相手が見えないだけで、ちょっとした誤解で相手が気分を害したり、勘違いしたりするのを、声(文面)だけで的確に判断するのは至難の業です。

 これが国や習慣の異なる人と交渉するとなれば、その難易度はケタ違いでしょう。
こんな離れ業は、子供の頃からたくさんの会話や、討論などのコミュニケーションをとっていかないと学力がどうのとか言う以前の話です。

 欧米では、子供の頃から『ディベート』という討論技術を学びます、いやまず在りき、と言わしめるほど重要視するそうですが、日本の子供はどうでしょうか?

 ダライ・ラマ氏の仰る通り、子供の頃から論理的に相手を説得すること自体を訓練していないのです。

 相手と対等で理論的な説明が出来なければ、自分さえも理解してもらえませんから、『引きこもり』になるのは必然ではないでしょうか。


 論理的なコミュニケーションがとれないと、弱いものは『引きこもる』、強いものは『暴力』に走る事になるのでは無いでしょうか。

 ここで言う『暴力』は、自分を不当に防衛する意味では『引きこもり』と同意です、そういう感情がある間は自分中心になりがちです、しかしそういう時に相手の気持ちや、意図に配慮できる心の技術は訓練でないとなかなか身に付きません。


 かつて、日本は『道徳』という考えを子供達に教えていましたが、今は無いそうです、それに加えて、論理で考える技術を学ばなかったら、と考えるだけで子供たちの未来は、けっして明るくは見えないのですが。

 

ダライ・ラマ「暴力は問題解決の役に立たない。学校で教えるべきなのは...」日本での講演内容が世界で話題
http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/11/dalai-lama-school-secular-ethics_n_7045518.html

www.huffingtonpost.jp