くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

エコな社会実験、名古屋市が始めるが、さて?

 ここ何年かで、自転車利用者が増えてより健康志向になっているのは、望ましいことですね。

www.cyclesports.jp

 

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「名チャリ」から「でらチャリ」へ

 かつて五年ほど前にも名古屋市はシェアサイクルを試験実施していました、たしか市内の放置自転車をリサイクルして活用した自転車というのが触れ込みだった記憶です。

 その当時はエリアが名駅と栄間を結ぶもので、自転車を貸し借りする「ステーション」も結構あった記憶でしたが、 調べなおしてみたらやはり名古屋市は、2009年・2010年にステーション数30ヶ所、貸出自転車台数300台もの規模で名古屋駅東ー伏見ー栄のエリアで「名チャリ」という名前で実施していました。

 

 さらに調べると、そもそも「名チャリ」の起源は、2005年の「愛・地球博」開催時に会場までのアクセス手段として、名東区藤が丘と長久手市の会場西口までのレンタサイクルを全185日間実施したことにあるようです。

 愛・地球博」のテーマにはエコが深くかかわっていたので、そのテーマに沿った名古屋市の新しい試みでした。

 

 

 さて、前回の「名チャリ」は登録すれば無料利用できましたが今回の「でらチャリ」は有料で栄エリアのみの実施のようで、前回と同じ民間企業「蔦井」と連携してより本格的な実用化に近づけたもののようです。

www.macotakara.jp

 

ある意味どの街でもあるあるの極例

 ただ今回の「でらチャリ」が、エリアを栄に限定したねらいがよくわかりませんね。以前のものは明確に名駅と栄という一見近くても結構移動に難儀する区間の為、自転車移動はありだと思ったのですが、栄だけなのは限定的な実験だからなのか、使われる行動範囲を把握するためなのか。

 企画の根底には自家用車の違法駐車の提言や、エコな移動手段の提言なのでしょうが、単に予算的な事情で規模が小さくなったきらいもありそうです。

 他にもいまでは、民間の小規模レンタルサービスなどは、それなりにあるようです。

kettakun.com

 

「でらチャリ」と同時にすべきこと

 筆者が今回の事情実験を知ったのはつい最近の事で、偶然栄大津交差点付近の駐輪場に、まさに紹介記事に写っている自転車が、停めてあるのに気づいたからなんですが、「また始めたんだ」と思った翌日に紹介記事をみつけて、あとから概要を知りました。

 実物を見るに、さすが有料のせいかバスケットはもちろん、ペットボトルホルダー まで付いていて豪華仕様? 施錠もあって盗難されにくいし、ハンドル左側にベルまで付いています。(これは自転車の法整備強化後の実施のため義務化で付いているのでしょう。その割にライトが無いようで、時間制限で夜間走行禁止仕様?)

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 ハンドル中央には、借り出し・返却先の「ステーション」を示したマップまでご丁寧についていますね、ちょっと借りるのにハズカシイです。。。(/ω\)

 

 記事を見た翌日には居なくなっていたので、全方位撮らなかったのが残念ですが、サイトの説明には、レンタル期間は時間貸しと日貸しがあるようなので、筆者が朝大津通で見た車両は、日貸しだったかもしれませんね、通勤に利用したのかもしれません。

 前回の実験より確かにクオリティアップはしてはいますが、いかにもオシャレじゃないので、名古屋市が意図する「エリア限定」「質実剛健」と言ったムード丸出仕様。

 おそらく、全国のそれと同じ仕様を流用しているっぽいですが、その分ぞんざいな扱いを減らす目的もあるかもしれません。

 

 東京のような自動車移動より公共機関の方が重宝される都市なら、まだ需要はありますが、名古屋はやはり自動車移動の依存度がまだまだ高く、残念ながら自家用自転車においても、盗難車の乗り捨てや違法駐輪も著しく、交通マナーも悪いです。

 名古屋市含め愛知県は、とても住みやすく自動車さえあれば、移動も便利に出来ていますが、日本第三の人口規模の都市にしては、自動車の利便性を優先しすぎだのかもしれません。

 その分まだまだ自転車など自動車以外の利便性やマナーへの配慮が、遅れているように感じる部分が往々にしてあります。

 それが顕著に出ているのが「名古屋走り」にあらわれている、歩行者や自転車など交通弱者への配慮の欠如でしょう。

 

サービス・実験と同時に下地整備も大事

 自転車や徒歩で市内道路や交差点を移動してみれば一目瞭然ですが、名古屋のドライバーの交通弱者への認識は、間違いなく「邪魔者」なのです。

 なまじ広くなった道路の為に、また自家用車の普及率も都市部にしては高いせいでしょうか、自動車優位の意識が定着し、すっかり公道を私物化しているかのようです。

 一方で道路が広い割には自転車の利用が少なかった為に、今の自転車ブームに沿って利用者も増加はしたものの、交通マナーの意識は自動車のそれと変わらないのか、守る意識も発展途上と言わざるを得ません。

 

 ただ、その中でも多くの人がマナーの悪さを意識して改善しているのも事実ですし、他の地方と比較して、意識を相変わらず変えない人が、変えようとしている人と比べて圧倒的に多いということなのでしょう。

 公道への閉鎖的な独自意識を変えられないのは残念なことですが、地道に改善しなければなりません。

 

  本体なら自転車利用を推進する都市政策としては、現状がどうであれ平行して進めるのは当たり前ですし、エコにつながって喜ばしいことのはずですが、名古屋市内をリアルタイムに見知りする一住民からすると、もろ手を上げて喜べない複雑な気持ちになってしまうのです。

 

トヨタとスズキがタッグ組む、日本の負けられない事情

二人の経営者の笑顔の向こうに見えるもの

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 読売新聞によれば、トヨタ自動車が世界標準化をねらうのに、必要な相手として選んだのがカリスマ鈴木修会長率いるスズキ自動車だ、ということで豊田章男社長は近くて遠い会社との提携を発表した。

 

 スズキ側も劇的な変化を遂げようとする自動車業界での存続をかけ模索しており、鈴木修会長が技術提携を持ちかけた経緯がある。

 豊田章男社長の心眼に叶ったのは、スズキのサバイバルに長けた柔軟性を買ってのことで、インド市場で成功したスズキの手腕を高く評価している。

 

 しかし実はその根幹には、道祖の企業であるという下地があってのことで、両社の発祥の地である静岡県西部の遠州地方には、挑戦する気概を示す「やらまいか精神」というのが共通の呼び水となっていたようだ。

 そもそもこの2社長、父豊田章一郎名誉会長に技術開発面で恩人となっていて、良好な関係があった。鈴木修会長の子息、現社長の俊宏氏は入社10年前には子会社のデンソーに勤務していた。

 

 豊田社長は、厳しいグローバル競争を生き抜くための「やらまいか」の提携だ、と力を込める。その裏には変化目まぐるしいグローバル市場での生き残りの道を模索していた同社長にとって、意思表示の一環としてだけではなく、一貫した脱自前主義からの脱出を急ぐトヨタの方針転換も事情に含まれる。

 

 トヨタ自動車は、これまで部品メーカーを系列化し高効率の生産システムで内製化によって世界のトップに上り詰めたそれはそれで一つの成功ではあったものの、その豊田にあって、ダイハツの100パーセント子会社化、富士重工業マツダとの技術提携を結び、可能な限り国内企業との連携を図る。

 また世界市場に対してもIT化への対応の為に、通信大手KDDI・米IT大手マイクロソフト、配車サービス大手のウーバーテクノロジーズとの連携や、シリコンバレーにはAI研究所に投資するなど、今回のスズキ自動車との提携を含め柔軟な脱自前を進め、大企業病回避の独自策を打ち出している。

 

 あうんの呼吸を強調する二人だが、もっと俯瞰で市場を見つめると、その提携は他の日本企業の肥大化によるガラパゴス化からの、喘ぎの結果ではないかとすら思えてならない。

 世界から見て日本と言う地理は、文化の僻地とさえ見られる時代に、大企業であっても技術提携で世界の潮流に立ち向かって行くくらいの柔軟性を余儀なくされている。

 自動車業界はその最も顕著な例だけに、企業的にも技術的にも連携に失敗した家電業界の二の舞は踏まない、気概を感じる注目すべき話題に期待は高まるものの、その具体的な動きはなかなか表に出てこない。

 

 スズキ自動車の鈴木修会長もそろそろいいお歳でありながら、その自動車産業向上への執念の凄まじさは、日本の立ち位置への危機感の感じられる中で、豊田社長の同郷の心意気への共感と、車という同じモノづくりへの心いきを、感じ取らせたのかもしれない。

 自動車そのもののニーズが、かつてと比べ激変しようとしている今にあって、モノ造りに対する概念や技術継承への優位性が、IT技術の進化や電気自動車の台頭でゆらいでいて、自動車ではなく移動する家電とまで言われる新しいモノを、どう咀嚼して日本のモノづくりに落とし込むのか、日本の大きな課題だ。

 

 筆者はその点では古い人間なので、鈴木修会長の心意気は大好きで、かつて神様とまで言われた本田技研の創業者、故本田宗一郎氏の意思を継いだ稀有な人物のひとりと考えている。

 本家の本田技研工業は、いま迷走しているが、航空機メーカーという創業者の夢をアメリカで実現して、自動車でも産みの苦しみをしているが、その一方でライバルだった鈴木会長が受け継ぐ日本の自動車社会の在り方を、豊田社長はさらに引き継ごうとしているのかもしれない。

 

 日本のモノ造りの集大成のひとつでもある自動車製造によって培ったノウハウや精神をどう活かしていくかで、激変する業界を含む日本の立ち位置を確保する重要な時期なだけに、ふたりの笑顔の向こうには深い覚悟がうかがい知れる。

 海外ともうまく連携しながら、日本車初の世界のトップ自動車メーカーとしての誇りと意地が、遠州を道祖とする企業があいまみえたのは、ずっと昔から予定されていた巡り合わせだったのかもしれない、と思いたい。

 まだまだ日本は、この業界で負けるわけにはいかないのだから。

 

防災意識を高めるには、何度も刷り込むしかない

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 以前、東京防災というガイドブックや、名古屋の防災アプリの紹介をしましたが、どうしても政府や研究機関の予測や動きは、あさっての方向へ行ってしまい結果的に、危機感をあおっているだけに終わっています。

 

 建物を建てるというリスク

 各自治体で配布されているはずの、防災ハザードマップもありますが、筆者の周りにた尋ねても「知らなかった」と答える人がまだまだいるようでした。

 確かにすでに持ち家を持ってしまっていたり、新居に引っ越して落ち着いているのに、後から洪水に遇いやすい低地だったとか、地盤が軟弱な所だったと言われても、困惑するばかりでしょう。

  私たちは、今後いくら起こるかもしれないと煽られても、起こってみないとどれだけ大変なのかさえ、実感がわかないというのが正直なところなのかもしれませんね。

 筆者も実感が沸かないのですが、先日のNHK特番で熊本地震調査で判った建築基準法の問題に、地域によって建設基準仕様の緩和ランクがあったのは、衝撃でした。

 さらに、結果論でしょうがその地震耐震基準を緩和している地域において、顕著な地震が発生している調査結果は、そもそもそのランク付け自体が懐疑的で根拠の薄いものと言わざるを得ません。

 

 そもそもどういう根拠で、地震の発生件数と関係なく単に東京中心地方に離れるだけで、建築基準が緩和されているのかわかりませんが、建築業界は施主の要望の方がどうしても耐震コストより優先されるのは避けられないとコメントしているようです。

 そうなると、耐震性能を完全に満たすのは実質不可能で、予算と性能をどうバランスをとるのかは、施主が自己責任で判断せざるを得ないことになってしまい、建てた後もいかにメンテナンス・ケアをできるかまで見込んで立てないといけないかもしれません、いやな時代ですね。

 

今後の震災の行方

  今回の九州熊本震災からううしゃ、噂される東南海トラフ震源帯とする大地震の関心が高まることで、今まで地震研究に対して、無駄出はないかと言う空気を吹き飛ばした形ですが、地震予知は不可能であるにも関わらず、政府や学者たちはその現実をぼかしながら、どこに回しているか判らない予算回しを繰り返しているように思えます。

 大学などの地震専門家・研究者は、さらに調べないといけないとしかコメントせず、調べれば調べるほど、迷宮に陥っているような回答です。

 

 とは言え結果が出せないのが無駄化と言えばけっしてそうでなく、どの分野にしても結果を宛に出来なくても、基礎研究は将来の発展に不可欠なものですので、続けることは将来につながる大事なことですが、その結果によって分かっている成果と、建築基準法などの法規への柔軟な反映がなかなか進まないのは、改善をしてほしいモノです。

 途中でも、なんらかの成果が出ている以上、耐震精度などに施工基準を修正していって何ら差支えないはずですから、法整備手続きが難解だからとか整備側の都合で、本来の施工基準が、今の安全に間に合わないのでは本末転倒で、そうならない生きた建築施行令に改善してほしいです。

 法令がある程度時代に沿っているという認識ができてくれば、守る方も順守する意識が高まり、生きた法令になっていくのだと思います。

 

日本の経済評価にも繋がる地震対策の姿勢

 ある海外の地震学者が表明しているように、地震予知はできないというのが浸透しているようですが、過去の国内震災被害からすれば、被害は軽減されていますので、予防努力は実っているのですが、一方震災リスクが表立って報道されたことで、日本の海外に対する評価は下がますから、政府は海外へいかに地震国のリスクを不自然にならないよう周知していかなければなりません。

 だからこそ、建築基準法などでも古い基準は廃止し、今に適合した基準に改正を急がなくては、それこそ説得力を失いかねません。

 本来日本は地震国とわかっていることですが、海外からの見方はそれをどう克服しているか、リスク低減能力を量る要素になるものなので、政府は大学の研究者たちの研究成果を待って判断していてはいつになるかわかりません。

 

 経済学者のコトラー氏がWBSで答えた中に、市場を先読みして市場をリードする必要性を説いていましたが、政府が後手後手へ回る動きをしている国に対して、世界市場は、いくら種まきをしているからと言っても、その見返りを求める段になって、果たして応えてくれるか、はなはだ疑問です。

 震災被害がでれば、有効国は援助の手を差し伸べてくれますが、一方でその後の復興度合いもしたたかに観察されてもいるのです。 

 自国の根本的問題さえも解決出来ない国と見限られれば、日本に近づくのは、ハゲタカ国のみなのですから、まずは種まきの前に足元の地盤改良をすべきでしょう。

 

 愛知県は、太平洋戦争中にも大地震があり、その後にも伊勢湾台風の甚大な被害に遇ってきただけに、今度噂されている東南海地震への調査や準備に積極的なのは幸いですが、その動きの中で、私たち住民も他人事でない限り、住民単位での心構えをしておきたいものです。

 

 ちなみに、以前紹介した名古屋市の防災アプリは順調に進化しているようで、より直感的に利用できるようになりました、筆者もスマホにダウンロードしてますよ。

 地元民放マスコットキャラ「チューキョーくん」の防災アプリもあります。

 

 

NHKのエンタメ力あなどり難し

NHKエデュケーションが牙を剥く

 今回は、久々の非地域ネタでまくります。

 元々去年あたりからすでに放映が始まっていたようで、ググると2015年からの記事がある深夜番組を最近知ってハマっている。

 別のをググると元々は、BSプレミアムの特番だったような情報もあるが、筆者は某動画サイトでその存在を知った。

 そのかつての教育テレビで育った世代中年世代にも全く違和感無いビジュアルと、NHK特集やかつてのクロ現のドキュメンタリーさながらのエグい内容のギャップは、久々のスマッシュヒット級のインパクトがあって、目が離せない。

 ここまで言うと言いすぎかもしれないけども、同じ感触を抱いた方も少なく無いのではないかと勘ぐりたくなるほどのインパクトにわくわくして、レギュラー化第一弾の初回から見た。

 

 内容構成は、かつての民放だけに赦された、放送コードギリギリのトークを、モザイクを使うのでは無く人形劇に使う操り人形に演じさせているのはなんとEテレ

 7月1日に放送されたEテレ『ねほりんはほりん』からの一コマだ。

 

顔出しNGの人形劇トーク

『ねほりんはほりん』は、毎回表向きには決して映像化され無いアンダーグラウンドな裏w話をテーマとして、そのテーマの中心に現存するゲストを顔出しNGを条件に招き、南海キャンディーズ山里亮太とYOUが赤裸々な話を聞き出すトーク番組。

 しかし、ここでこの番組が秀逸なのは、番組には人間の姿が全くないが登場人物は全て2頭身のかわいい操り人形になって登場すると言う演出。

 ホストを務める山里亮太氏とYOU氏は、モグラのキャラ”ねほりん”と”はほりん”として、ゲストはブタキャラとしてカメラの前に現れるのである。

 ゲストの顔はブタなのだが、アクセサリーや服装はゲストのそれに合わせて再現されていて、その再現性の緻密さと人形の演技力には、かつての教育テレビで培った人形檄の演出ノウハウが余すところなく活かされている。

 事前に収録したトークを基に人形劇を演じるので、声と動作のマッチングは言うまでもなく、ゲストがインタビュー時にしたであろう独特の仕草までも、細かく演出に加えてブタ人形が本人ではないかと錯覚するほどの濃い演技とカメラワークは特筆モノ。

見た目かわいいモグラとブタなのに話はとても生々しい。その違和感がいい意味でギャップを生んで、Eテレの人形劇を見ているはずなのに、パラレルワールドに放り込まれた気分になる。

 

「全員顔を出さない」という選択

 テレビ番組で顔出しNGの人物とトークをする場合、かつてんぼ民放が取ったのは、モザイクや黒帯を挟んだり、すりガラス越しにする・後ろから撮る・仮面をかぶせるなど様々なアプローチがあった。よしんば品行方正を貫いてきた国営放送局せしかも子ども教育を一手に担ってきたNHKなら、顔出しNGで声だけ出演でくまさんのお決まりプラカードを映しても、それなりにnよくやった感は十分なはずだ。

 でもガッツを無くしたスポンサーの犬となり下がった民放に、NHKが渡した引導は、新しい人間像をえぐり出すトーク番組だった。

 この斬新な演出で、聞き手は顔を出しても構わないので、自然と絵面は「普通の人と異形の者が話している」という風になりがち。

 従来の方法だと、顔は隠されているはいるけど少しは姿が見えるので、話し手に抵抗感が生まれることもあるが、ホストまでも人形として出演させる事でその懸念を完全払拭し、見る側はホンモノから受ける主観的な先入観を感じることなく(例:イケメン=美化)すべて関連性のない、掘る側と掘られる側と言う単純な構図として見られ、テーマに集中出来るのである。

 加えて、ゲストやホストの細かいクセや仕草は、キッチリ人形劇のプロが真剣に演じきるのである。

 これは現代のハリウッド映画製作でCG作品の演技をリアルにするのに、惜しげもなく有名俳優を演技だけ雇うのと、とても似ている。

 しかも最近下火の人形劇業界の下支えにもなりうる、あっぱれなウルトラC級の方法である。

 


今やEテレ流暴露トークは、衝撃のゲスさ

 『ねほりんはほりん』は敢えてゲストもホストも、全員顔出しNGと言う逆転の発想で勝負している。

 これは内容が生々しいだけに、その鮮度を100パー活かすの殺すもリアリティだけだが、顔出しNGで大丈夫なのか、この手の好き者視聴者は、声だけでは信用するはずが無い。
 トーク部分は紛れもなくモノホン現役者の音声だけの収録。声は変変換するからプライバシーは最大限守られる。話し手も聞き手も同じレベルの姿であり、絵面に統一感が出る。そしてこの番組のミソは顔出しNGの人物でも「人形」で容姿や動作を再現することだ。

 今現役でバリバリ働く現役職業従事者や、主婦の殆どは、NHKの教育で放映された人形劇を見て育った人たちである、もちろん筆者ももれなくそうであるが、こんなことができるのはNHKしかありない。

 

ここがNHKでしか出来ない真骨頂

 確かに民放でもピンポンパンやポンキッキ(ーズ)などの殿堂入りしすべき番組はあるが、保育園時代から小中高と、一貫して網羅した子供向け人形劇を排出してきたNHKの圧倒差には勝てない。
 同局の人形劇は、テレビ放送開始の3週間後(1953年)60年以上前からであるから恐れ入る。

 その長年の人形劇ノウハウは、ゲストの見た目だけでなく、リアクションや仕草の再現性にも手を抜かないようで、人形は表情は一定でも能面の演技の如く、喜怒哀楽を繊細な人形操作だけで感情豊かな代役(アバター)を演じ切るのである。

 上でも書いたが、アバターが代演するので、人のエグい内面とクセであろう仕草だけを見ることで、視聴者は本筋を堪能出来るのであるし、より本音を引き出しやすくなって、見ている方は普段の抑圧から開放され、没入感と共感で満たされつつ、いつの間にかその演劇に見せかけたリアリティに目を細めるのである。

 「人のウワサやヒミツは蜜の味」

 と言うが、そのヒミツをコッソリ見れるのは、まさに深夜番組の王道の最右翼だろう、国営放送もマーケティングが上手くなったものだ、と感心しきりだ。

 

 もしかしたら今でもご覧いただけない地域もあるかもしれないが、機会があったらご覧いただきたい。たとえ「けしからん!!」と言うことになっても筆者は責任は持てないので、あくまで自己責任でご覧いただきたい。

 

 

アイデンティティとアドミッション、お郷の役所がトンデモない……地元愛?

 

 愛知県起こった毎年の伝統行事のなか、火縄銃の暴発事故で行事は中断されました。

けがをされた方はお気の毒ですが、行事は今後も続けてほしいものです。

 

 こうした伝統行事は地元愛を表す一つの形ではありますが、名古屋市の不人気さがあちこちであがると、筆者の身の回りでもそれを否定しない空気が漂っているのは残念なことです。

 河村名古屋市長は、このアウェイな空気に過剰に反応して、東京や関西に噛みつく始末で、むしろ愛知県知事の方が冷静な気もするほど、堅実に地域活性を進めている印象なのは、名古屋市民としてはもう少し協調して欲しいところです。

  名古屋の地元ギライがココまで来ている以上、捨ててはおけないというコメントは多いようで、筆者のような奇特なブロガーはむしろ「恥ずかしいから止めてくれ」と言われそうですが、やめません。

 東京や京都へのコンプレックスは、どうしてここまで進行してしまったのでしょうか、おそらく地元生活者優先した結果、観光(インバウンド)に対してのウエルカム意識の表現が乏しいのかもしれません。

 

 ところで名古屋市は、かねてより集計していた名古屋城木造改築事業のアンケートの結果が公開されましたので、早速内用を確かめました。

 今年初めに同工事の各区での説明会に参加したさいと、同じ印象を受けました。と言うのは、年齢層によって温度差は異なっていて、高齢ほど地域の思いが強いせいか着工に前向きなのに対して、若年層ではどちらかと言えば、別の目的に予算を使うのを希望するようでした。

 全体では時期は定めない事を含めると、改築に賛成が余裕で過半数を越えますが、天守閣以外の周囲への充実を望む意見も多くて、観光商業に積極的には感じるのですが、天守閣そのものは、全国でも城跡しか無い地域も多いのに、一応鉄筋コンクリート製ですが見た目は立派な天守閣はあるため、耐震補強で間に合うのでは?と言う事なのでしょうか。

 紆余曲折は今も続いていますが、おそらく建て替えはあるでしょうね。完成時期を誤らなければ、名古屋活性化におおきく貢献するでしょう……たぶん。

 

 問題は、易さ人口が確実に減少する時代の活性化によって、人の流入が増えるかどうかではあるでしょうね。

 

地域観光の連携を進めよう。

名古屋の東部丘陵地域一帯は、最近住みやすい街として注目度が上がっているようですが、こうした住みやすさと人の増加は相反するものがあります(少なすぎても困りますが)。

 また、住む人が増えるのと来る人が増えるのとでも、同じ増えても話が異なりますが、名古屋周辺は自動車社会で公共機関の充実をあまり期待しない傾向がありました。

 このために、公共機関はあまり網の目のように発達しなかった経緯がありますが、住む人は慣れているので、車があればなんとかなりますが、観光者・訪問者は土地勘がないため、公共機関が充実していないと来なくなってしまいます。

 おそらくこの状態が続いたために、外からの流出が避けられてきた可能性がたかいのではないでしょうか。

 住みやすい街にはなっているので、今度は観光者を増やすことと、過疎地と都市部をつなぐ公共運搬方法の工夫が課題になるかもしれません。
 地元にある在来鉄道→バス→コミュニティ(タクシーまたはハイヤー)の連携で、外人観光客でもわかりやすい、加えて自家用車を持たない住民の移動を促して購買する機会を向上するのは、自治体の誘導施策として活性化のカギになるでしょう。

 

インバウンド効果を高めるには?

 地域住民の移動上の利便性が高まれば、外からの人の流れを増やす施策を加えて、公共機関の利用増加施策を企てられます。

 たとえば連結した複数地域で、協同で公共機関を利用した周遊チケットを販売して、地域のインバウンド・マーケットに合わせた観光プランを提案していく事ができるようになります。

 

 日本人向けのツアープランは、外国人の嗜好とは異なることが多いことは、今までにもさんざん言われていて、一からのインバウンド・マーケティングが必要。

 

地元へのアドミッションを向上するために。 

 筆者が御幼少の時期をすごした岐阜県東南部のとある町に、久しぶりに訪れた際にその変わりように目が点になりました。

 町役場があった場所は、隣の市に合併したあと役所の主要機能が移転していて、いずれ壊されるんだろうと思っていましたら……。

 

右から左へ、パン………………まもなく左に役所が…………え? 何じゃこりゃ!

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町役所が……や、山!!! カメラを左画像に戻す。

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モザイクタイル・ミュージアムって……。

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 最初、UFOかなんかが着陸してるのかと思いましたが、なんと町役場が地場産業ミュージアムに大変身してますね、よく見ると植栽が輪郭に沿って点々と並んでいます。

 

 巨大なコーヒーロールケーキみたいな、なかなかかわいらしいですね。

 茶色い外壁全体この町ご自慢の陶板?らしきもので覆われてます、スゲェ。

 なかなか、アートしてますねぇ、ビエンナーレに参加できそうなレベル。

 

 これ正面からだとわかりにくいのですが、ちょうど半円錐型のロールケダイナーキを輪切りにしたような立体の建物で、よく見ると部分的に窓らしきものもあります。

 慌ててググってみると、立派なサイトまで。

 やるじゃねぇか……名古屋に勝るとも劣らない、このアート感。

 どうやら記事を探したのですが、筆者訪れたのは平日の朝方なので、広い駐車場もサッパリしてますが、ふらっと訪れる人がいるらしい……ここのご近所出身では、中部電力カテエネ」のCMでご活躍の鈴木ちなみさんのご実家もあるとかないとかで、久ぶりの地元は地味に盛り上がっていました。

 

 さて、意味もなく紹介したわけではありません。

ここで書きたかったのは、こんなガンガン人口が減っている片田舎の街でも、かつて栄えた(誤解のないようにしたいのはタイルそのもののシェアは今でもここがトップクラスですと)モザイクタイルの生産地はまだまだ元気で、こんな思い切った活性化もあれば、ローカルバスが廃止に追い込まれずに済むかもしれないということです。

 高齢化する街の一例として紹介しましたが、全国にもこの町のよな課題を抱えている地域は沢山あるはずですが、複数のイベントは予算的に困難だとしても、住民と考えて観光に結び付けられる生活空間を創造できるんではないかと、応援の気持ちを込めて紹介してみました。

 この町を訪れる機会があったら、釜区にある(写真の場所から5から10分くらい)喫茶「釜」にも立ち寄ってねー。

 

海浜エリア観光の注目株「工場夜景」は、三河・伊勢湾岸のイメージを変えられる?

  MRJが昨日ついに難航していたロシア、アラスカ経由の北ルートでの飛行に成功し、無事米ワシントン州の空港に着陸しましたね、低温地域のルートを経由し空調機能トラブルに悩んでいましたが、漸く大きな山をまた一つクリアしました、がまだまだ難関が待ち構えています。

 

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 さて、写真集や画像公開サイトでその被写体として、人気の高まっているイベント観光に、「工場夜景」を導入する湾岸地域が増えているようですが、東海地域の誇る三河・伊勢湾岸の工業地帯での導入は、どのようなメリットがあるのでしょうか。

 かつて4大公害のひとつとして学校の教科書にも乗った、四日市工業地帯は、今では「日本五大工場夜景」のひとつと呼ばれて、夜景観光のメッカとして注目されているそうです。

 

日本五大工場夜景とは?

 2011年から川崎で開催されている「工場夜景サミット」で、工場夜景観光の発展と連携のため結成されたものだそうです。その五つのスポットとは……

①北海道室蘭市

北海道の函館夜景にならぶ美しい夜景だそうです。

むろらん夜景 | おっと!むろらん -[公式]室蘭観光情報サイト-


②神奈川県川崎市

「川崎工場夜景バスツアー」が定期運行されています。

神奈川川崎の夜景の夜景スポット | 夜景Navi


三重県四日市

工場鑑賞愛好家から「聖地」と呼ばれるほど幻想的な光景夜景です。

工場夜景 in 四日市 ~煌の世界へようこそ~ | 四日市観光協会


④福岡県北九州市

皿倉山の展望台からの光景は「100億ドルの夜景」と言われます。

工場夜景MAP | 北九州の工場夜景 | モノづくりの歴史“現在”輝く


山口県周南市

夜景評論家に「ユニークで全国でも稀な存在。幻想的な絶景」と高評価だそうです。

周南工場夜景|周南市の魅力!再発見!周南観光ポータルサイト しゅうなん探訪

 

  おそらくほかにも、夜景ファンの間ではこれらに負けずとも劣らない隠れスポットがたくさんあることと思いますが、海に面した都道府県ではこうした海浜工業地帯が発達していて、海からの交通の便利な点から古くから発展しているようです。

 このような、ひと時は公害の象徴のように問題視されていた工場は、いつしかその焼の美しさに魅了された人たちによって、日本の観光スポットにまで昇格しているようですから、こういった工業地帯を持つ自治体は観光のひとつに活用が期待されます。

 

  こうした港湾地域の観光資産を活用には、先の伊勢志摩サミットで漸く効果が表れた三重県や、来春オープンする金城ふ頭のレゴランド中部国際空港敷地に増設されるであろう大型展示場施設などの活用効果に反映されることでしょう。

ア通り

 

  今回工場夜景を取り上げたのは、間近な四日市工業地帯を例にとれば、上にも書いた通りで、環境破壊・健康被害の最右翼だった公害問題を、日本人の細やかな努力と知恵で、万全で世界でも類を見ない低公害技術のクリーンなイメージの象徴と変わったことを、なにより誇りたいからです。

 四日市では、公害の記念施設を建設し後代にまで伝えようとする動きがあるそうです。その思いは70年前に起こった太平洋戦争の思いをこれからも伝えようとする、日本の使命と変わりありません。

 

 そういう日本の負の一面は、いずれ世界に受け入れられて自然と消えていくことが望まれますが、四日市工業地帯はその負の遺産を日本の英知で誇るべき遺産に変わったことを、国内のひとは基より多くの海外人たちにも、わかりやすく知ってもらえる素晴らしい観光手段だと思うからです。

 せっかく海浜地帯に面した都道府県は、個々に盛り上げるのも大事ですが、これから増えるであろう、期待するインバウンドである観光客の期待に応えるためにも、東京から京都の単調なゴールデン・ルートで終わらせるのではもったいないです。

 

 山には山の観光が、街にはの観光が、海には海の観光があって、個々での活躍だけでなくつながる観光を自治体の枠を超えて、共同でこのチャンスを盛り上げていかなければなりません。

 人が減る分自治体の稼働は増えますが、グローバル化して狭い日本のローカライズが難しくなる昨今、より日本人という意識が重要なカギになるでしょうし、特に愛知県や名古屋市は、この時に懸念される地域への誇りを取り戻す、絶好のチャンスだと思いたいですね。

映画レビュー『君の名は。』地方と東京との関わり

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 公開されて既にたくさんのコメントが寄せられている、話題のこのアニメ映画『君の名は。』都会と地方が舞台となるこの作品のレビューは、同時に筆者ブログの趣旨にピッタリでした。

 

映画を見るまで

 筆者は今まで、ローカル関連であっても映画やドラマは滅多に記事にして来なかったのですが、前回記事でカミングアウトしたので切り替えてコメントさせていただきます。

  前置きとして、同名邦画の名作との比較はしないで、純粋にアニメ作品についてだけに絞り込みますね。

 

 実はこの映画の監督さんをつい最近まで知りませんでした、たまたま話題の中でabemaTVでこの映画の公開前に、監督の作品を一挙放送を知り何となく見始めたのが始めで、その作品をイッキに一晩で見通した翌日、最新作映画『君の名は。』を見たんです。

 

 ここまで自分たちの普通の生活と、非現実の世界観が違和感なく感じたドラマは久しぶりでした。

 見たあとの温かい気持ちはなんだろう? おすすめしたい気持ちともうしばらく自分だけのものにしたくなる気持ちがまぜこぜになっているのが今の率直な心境で、不思議な充実感を与えてくれた二人の少年少女を、忘れられなくなっています。

  この映画、相当濃い内容で実は1回しか見ていない筆者は、どうしても何かで補足しなければ、十分堪能しきれませんでした。

 そこで、見つけたのが……

 

映画以外の著作物を読んで

 ご存知の方も多いでしょうが、加納新太氏なる原作者の一人と、同原作者・監督でもある新海誠監督の手による小説が並行して執筆・発行されています。

筆者はAmazonで購入しました。

 

 

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
 

  

 前著は監督自身が製作中の間を縫って執筆しているだけに、とても新鮮で生き生きと文章化されています。(後著は、表題通り作品で語られなかった部分を埋めたものです)

 筆者は映画を見てから読んだので、映画を記憶からトレースしながら読んでいたせいもあるかも知れませんが、逆の人はこの小説をどう受け取ったのでしょうか? 気になります。

 既に映画を見た方は、お感じになったと思いますが、新海監督の真骨頂である「風景描写」の演出と、人物と舞台に広がる空気感の卓越した表現を、小説でもとても繊細な表現でしかも簡潔に書かれているのは、監督の類まれな情報分析力に舌を巻くばかりです。

 都会と地方の落差を高校生の目線で捉えていて、これがリアルにイマドキの若者世相を捉えているのかはここで取り上げませんけど、ここまで多くの人に受け入れられたのは、それなりだったとは誰もが認めると思います。

 

都会目線で描かれている理由

 下に貼った記事リンクが発端で今回の記事を発想しだしたのですが、確かに都会目線なのだけど、敢えてそこを狙ったようにも受け取れますよね。

 今の時代、東京から発信された文化が流行となる仕組みがあって、その仕組みに抗う意味を持たせない空気がありますが、その空気を意図して肯定的に見せているんじゃないでしょうか。
 それよりも実感したのは、都会ー地方に関係なく当たり前の常識を持つ高校生が描かれていて、ホッとする事。


 神社は消失するものの、太古から受け継がれた結びの心はしっかり受け継がれ人と人が結ばれて未来は創られていく、という究極の真理は、都会も地方もなく今でも共通なのだという結論を、しっかりと受け取れるこの映画の、多重世界として捉えられたその舞台に、飛騨が選ばれたのは、嬉しい事でした。

 その根拠を筆者なりに勘ぐるに、新海監督は長野県出身で、田舎の舞台風景は諏訪湖の風景が元になっている、では地名が飛騨になったのは、輪をかけ筆者の想像でしかないけど、脚本設計に参加している加納新太氏の出身が愛知県だったため、土地勘のある中部地方が盛り込まれたと思っています。

 こうしたアニメ作品の舞台として、実際の地方が聖地化するビジネスモデルはすっかり定着しましたが、この作品では、敢えて地方モデルを複数から取り上げて、聖地化の可能性を見た人に委ねたと捉えることが出来ないでしょうか。

 また、監督がインタビューで答える中で、作品の時間を今時の客に合わせて極力削った中で、省かれた父娘や母と祖母の関係の部分と、父と息子の都会的な妥協する関係を想像出来る点は、地方のしがらみの窮屈さと、都会の合理的な親子関係を具体的にしなかったことで、考えるキッカケにもなるでしょう。

 

 アニメ製作期間としては短い部類のこの作品は、時間に変えられない多くの思いを凝縮して、最も効率よく製作された良作で、日本の文化として世界に評価されたアニメのこれからを示す、指標になるものと感じます。

 CGが発達してデジタル化による合理化が進んでいる業界ですが、3K化の現実も垣間見る今、今後も新海監督のような才能が少しでも多く現れてほしいものです。

 

君の名は。』が、感動のウラで消し去ってしまったもの 無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問

東野圭吾作品の翻訳者から見た「日本語英訳」の難しさと魅力 コタツはどう訳す?

 

 創作業界アニメも大変だけど、小説も

 小説でも海外出版を積極的に進める動きは目立ってきていますが、上の記事で知ったことでは、日本語から外国語に翻訳する際の、日本特有の言葉のをどう置き換えるかで、相当の苦労があるようです。

 筆者もゆくゆくは海外読者へのアプローチはしてみたいのですが、村上春樹さんのようなご自身で翻訳までされる方とは、差がありすぎるので、夢また夢ですが究極は原作者が苦労してでも、自身で翻訳したほうが、本来の意図が伝わるのではと思っていますが、翻訳を依頼する場合には、作品に向いた翻訳家との出会いは、評価の程度を大きく左右するのでしょうね。

 ITやAIの発達で、コンピュータが小説書いたり、絵画を創作する時代ではありますが、創作は人として出来る最後の砦であって欲しいですから、人もコンピュータやネットを賢く使って、今まで出来なかった新しい連携を模索していかなければならないのかもしれません。