くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

文化人から発想する芸術への公金利用

 是枝監督のように、表現の自由を直接担う立場にとって、愛知トリエンナーレの表現の不自由とは、どのようなものだったでしょうか。

実際に当時Twitterなどで交わされた意見の攻防は、筆者も可能な限り関わりリアルタイムに参加していきましたが、こうした経験からみるとその難しさを見にしみて感じさせられました。

 

www.huffingtonpost.jp

是枝監督「公益と国益は区別して考えるべき」。補助金不交付を受けて独立映画鍋が緊急集会を開催。 | ハフポスト

 

自由表現が世界でもまれに広範囲に認められているとされる、国内の言論や表現への規制に対して、どれ程の嫌悪感と反発を招いたかを見てみると、何事も穏便に進めようとする国民性から見ると、違和感さえ覚えてしまったのが、実際の感想です。

その違和感が何を意味するかは、筆者自身未だ結論を出せないでいますが、それだけセンシティブな一面を持っている だけに、性急な結論に至れずのままです。

 

愛知で起きた文化での自由解放論議は、良くも悪くも昔から育んできた文化復興に沿った、起こるべきして起きたことであるのは間違いありませんが、私たちの県民性もさることながら、全国でも表現の自由に対して賛否両論が出たことは、筆者にとって大きな収穫でもありました。

加えて、全体的な国の条例や法律の抜け穴やざる性が、明るみに出たことも前向きに捉えてみると、今改めて見えてきた規制の国内での厳格さと曖昧さを、今後どうしていかなければならないか、その機会に触れられ課題化したと捉えておきたいです。

 

それによって、一部では民主化の取り組みが実際には偏重的な思想搾取の片棒を担いでいたり、一方で久しぶりの安定政権にも関わらず、その政策が奇々として進まずむしろ後退している事実に、国民の政府への風当たりが強まっていることが、何を経緯にしているかを、何度でも反芻するべき良いチャンスでもあります。

気がつけば、中国朝鮮に対して私たちは過剰な忖度と気遣いをする一方で、拉致問題や自国の領土奪還は全く進んでいないという矛盾の看過と、責任を負わされている事実に真剣に対処しなくてはなりません。

 

自分はそのようなことに関わっても、責任を取る立場でもない。

そう仰る諸氏が大半でしょうが、実際に直接関わっていなくとも、国内の民意はそうした結果として機能している以上、海外への示しとしては受け入れざるを得ない事実を、まずは受け止める必要があるということです。

理不尽だと言われようが、攻める側も傍観する側も、日本の評価はそのようなものとして見られているということであり、これを改善することは簡単ではありませんし、この解決には上のような自覚と、それを変えようとする行動を今からでもしていくことでしか、変わらないということです。

 

幸いにも、情報のニュースそスには、もう死んだと言っても良いTV新聞メディア以外のメディアの活用に、慣れた新世代の国民が多く居ることと、その頼みの綱である有志あるジャーナリストをはじめとする、情報提供者が実在するのは心強いことです。

ただ、広範囲に発達した情報網によっていっぽうでは、リアルなコミュニケーションの機会損失も顕著ではあるものの、新しい情報共有と情報網を活用した交流方法も育っていて、今後その意識の共有は言葉を超えた約束事によって、実現していくと期待したいです。

 

その約束事とは、一つは国民性に繋がっている日本人であるという固有性であり、日本で培った誇るべき文化と、生まれ育った国を大切にしたいという純粋な思いに他なりません。

これを単に愛国心と一蹴するのは簡単ですが、どの国でも栄えるためには必要不可欠なアイデンティティであり、最後の砦であることは万国共通に不変なことですから、周りの疎外意見に振り回されずに、日本人という特異性と可能性を信じて、誠の信念を持って行動することが、結果として未来につながることを忘れてはならないでしょう。