くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

住み良い街へ、実行するのは誰でしょう。

「人口増加に頼らないまちづくり」

この指針は一般的に、まず政府が示し導くものと意識されますが、でも本当にそれでいいのでしょうか、今回はその疑問を少し掘り下げ、地方に住む人々の「まちづくり」の在り方の意識を考えます。

 

最近目立ってそう言われるようになってきた背景は、ようやく末端の人々にも身の回りの人が減り、地域でも人の賑わいや活気が見られなくなったという実感が、ようやく定着しだしたことで、火が着いたように言われるようになったのですが、それでもTVメディアではそうした空気を伝える空気が消極的なのは、そもそもメディアの話題が都市部の住人中心の感覚で制作されているという、地域に住まう人との一種のタイムパラドクスのような認識の隔たりがなくならないからです。

人々が満足できる生活(物理的満足でなく精神的に満ち足りた)が出来ていると感じるには、視覚から感じる満足と体から得られる満足がありますが、前者はTVメディアやネットの書き込みを見て、「そうなんだ」と共感や同調で自分を満足させるもので、後者は実際に周辺の生活から感じる活気や実益で満足するものです。

 

少し難しい話をしてしまいましたが、冒頭のスローガンは今ある好景気のイメージを感覚的に満足させるためのカンフル剤として、メディアや識者が唱えるお経みたいなものだと考えています。

景気向上に優位な都市部で得られた「成功事例」をそのまま地域に汎用できないことは既に知られていますが、にもかかわらず都市部と地方の関係は今もこれからも変わる気配が無いようです。

 

そうなる原因は容易に想像できて、あらゆるチャンスを集積した都市部での成果は、極めて限定的な好条件の下で出た成果である以上、条件が不特定な地域での効果は期待できないのはあたりまで、結論からすれば都市部と地方部ではあらゆる面で「似て非なる」ものだということなのでしょう。

そもそも比較すること時たい意味がなく、地方で成功してい事例は地域密着の事情を掘り起こし地域の住民が地道に積み上げたノウハウが基礎であり、トレンドやブランドなどの流行はきっかけでしか無いという事実を忘れてはいけないとお思うのです。

 

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地方反撃、「稼ぐ街」は何が違うのか | 地方反撃 | 特集 | 週刊東洋経済プラス

 

 

その事実は、紹介記事の日本地図が見事に物語っていますし、地方で起こる自然災害やパンデミックなる予想できないリスクは都市部より地方に発生していて、せっかくの努力を無駄にしています。

予期できないリスクが地方で起こる以上、まず地方がリスクの防波堤となり都市部で対策が考えられ対策が広められる仕組みが「普通」だと私たちは納得していますが、ネットIT社会が普及した今、中央集中的な組織体制はむしろリスクが高く、分散型の組織づくりが一般的でしょう。

 

日本は江戸時代の幕府が固めた中央管理を今でも引き継いでいますが、それを差し引いても昔と違って誰もが好きな時に必要な情報を得られ判断実行できる時代であり、その情報管理や管理そして応用や実行は、地域それぞれがリスクを分散管理し動かないと、これからの早い変化に追いつけないでしょう。

 

「人口増加に頼らないまちづくり」

 

このスローガンは誤ってはいません、むしろ正論ですがその解決には、都市部で得られたノウハウでは解決できないと、地方に住む私たちは胸に刻んで置かなければなりませんし、むしろ「その気にさせられる」分、大きなお世話かもしれないのです。

ここで茶化すつもりはありませんが、踊る大走査線の青島刑事がマイクで叫んだセリフを借りて、

「事件は現場で起きているんだ」

 

隠しようの無い事実を思い返してみて、ならば事件は現場でこそ解決すべきものではないかと、考えるのが自然でしょうね。

過去の反省として「他人が何をしてくれるんだ」的意識から「自分がしたいことを実現するには」的な問題意識の逆転が、成功のヒントなのではないでしょうか。

 

これは偶然にも元米大統領J.F.Kの名演説とかぶるようですね。

アメリカはこの演説で国民主体の「権利と自主性」をより自分のものと意識しましたが、さて日本ではそのようにはできないのでしょうか?

人口は減っている事実からより個人性が尊ばれその要求度も高くなって行きますので、日本人特有の連体制や共感性はこれからも大切ですが不充分で、社会がよりグローバル化し国際乗り越えるのにスキルアップすべきは何かを自分で決め、政府でなく個人が「リスク判断の資質」を身につけられるかが、次のテーマになります。

 

課題は、スローガンによってその使命の「依存性」でなく「自主性」であり、地元から地域の課題問題を透明化し、誰でもいつでも意識できるようオープンにすること、それによって都市部の事情に依存しない問題として主張し、そのために必要な対価を堂々と要求する体制作りが地方自治体に求められます。

その実現には、天下りや中央依存の行政に甘んじない地域の覚悟と準備が急がれているということ、人口減少・分布の偏りで多数決の原理が不毛な原則であること、生産性をむしろ後退させる原因が人の数より組織体制にあること、など効率よく変えていくための意識改革は、政府側よりむしろ私たち現場の地域住民側に求められているのかもしれません。