くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

戦時の軍の先走りと天皇のご裁断は、今の常識では計れない

 

 戦争体験を現役として語れる方々は、戦後70年をこえてさらに数が減りつつある状態で、いま貴重な生の声を残そうとあらゆるところでそのアーカイブ作りが進められていますが、あの田原総一郎さんもそのお一人です。

 

 

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 筆者も残念ながら、その多くの方がそうであるように、戦後生まれの戦争未経験者でありますが、幸いにも父・母が経験者であり、様々な体験を小さいころから聞いて育ったことは、今も財産となっています。

 しかしながら、所詮二番煎じであって、大局的な部分は分かるとしても、その時体験した者にしかわからない、感触や、空気みたいなものは実体験者にしか語れないものですから、それを知るチャンスがある人は、しっかりと聞きとってほしいと思います。

 おそらくその話は、教科書や何かの歴史本とは違った違和感や、恐怖感を独自の目線で感じ取れることでしょう。

 

 間もなく終戦記念日ですが、様々なイベントが毎年行われますが、筆者が一番心打たれるのは、天皇陛下の一年を通したご公務をみるにつれ、天皇の苦しみや戦争への責任を背負われていると感じられる姿は、自身が身の引きしまる思いがします。

 天皇が、公的に責任を負う形になっているからこそ、私たち日本人はドイツの様に全国民がその責任からのがれることができていると感じられます。

 実際は責任のがれをしていいわけではないのですが、敗戦国としての海外の目は、やはり厳しいのが現実です。

  靖国を鎮魂できるのも、やはり天皇という唯一無二の存在が大きいのは間違いないでしょうし、諸説ありますがGHQとの間で責任を明確にしたとの話もあります。


 今では戦中・戦後しばらくはGHQに踊らされていたことが分かっていますが、当時はそんなことも露知らずに必死にお国のために、または戦後復興に粉骨砕身されてきたのですから、それがいくら現在の身の丈で測ってもそれは正しいとは言えません。

 

 過去にいくら国同士の取り決めをしても、お国で都合は統治者が変わればいくらでも変わっていくものです。なのでもしこれを認めれば、今更になってさまざまな保障を訴える団体の都合のいい餌食になりかねないのですから。

 

 

国家は国民を裏切る!ジャーナリスト田原総一朗、戦争体験を語る(1)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44253

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