くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

黙していた戦争体験、かすれていく記憶

 

  軍国少女、その言葉は最近になって聞いたような気がしますが、戦時中気丈にお国の為に心身ともに尽くしていた、それがもっとも正しいここと信じて疑わなかった少女たちが居たことは、体験者から聞いたことがあります。

 

 

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 やはり、それはある種の使命感からだったのでしょう、男子は徴兵でとられ不在の中で女子は家を護り、地域をり、国内の 「ことなかれ」をひたすら守って国への非難・不利益な言動の黙殺をひたすら守り続ける重い空気の中で、少女の優しい人間性はそぎ落とされ、ひたすら強い心を要求されていきました。

 

 そして、本人さえも気づくことなく何時しか軍国少女へ作り上げられていく。

 これは抗うことなど許されず、軍の計画に基づいてまるで工場で生産される工業製品のように、作り上げられて行きました。

 

 それでも日本の中にも、同じ時期にドイツにいたアンネのような少女はたくさん居たと思いますが、ドイツ国民より従順な日本人ではあまりそのような話は聞いたことがなかったですが、それは語れる空気でなかったから。

 

 そしてようやく70年経った今、かつての軍国少女は、駆り立てられるような危機感に推されるように語り出したのです。

 

 

 

ソ連将校によるレイプ、満州での飢餓 作家・澤地久枝「記憶の底に押し殺していた戦争体験。すべてを話しましょう」 【戦後70年特別企画】 | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
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