くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

参加することに意義がある、オリンピックじゃなくて。

 統一地方選挙の中で、名古屋も議会選挙投票日までいよいよ1週間を切りました。
街頭でも、選挙カーが市内あちこちで告知に走り回り始めましたし、筆者の手元にも『投票用紙』が届いて、いよいよか、と身が引きしまります。

……という話をしても、最近はピンとこない感覚の人のほうが多いのかもしれません。

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 国民不在かのような第一政党の相次ぐ入れ替わりで『日本は変わるかもしれない』という、淡い初恋の様な期待はことごとく裏切られ、政治不信リーマンショックなどでの経済立て直し施策の混迷に、国民は疲弊して生活するのがいっぱいいっぱい。
 選挙なんて所詮、政治家のパフォーマンス・ショー、そんなんに無駄な時間を割けるかっつ!と言わんばかりの昨今に、今更『選挙』の2文字は虚しいだけなのかも。

 でもです。
 国民が、明治維新以来長い歴史のなかで、主権を勝ち取ってきた結果に私たちが国に唯一赦された『投票権』という武器を今一度、イヤ何度でも考え直さなければなりません。
 ちょっと過激な話ですが、世の中変えたければ世界的に見て『革命』や『クーデター』でも起こすような気概があればまだしも、最近は顕著に政治を単に『斜め横』から眺めながら、ネットの評論や過激な討論番組の言いたい放題の言葉に、満足してしまっている傾向がある気がしてなりません。

 筆者は決して『革命』していいとは思っていません、だからこそ国を変えていけるのは、『選挙』しかないのです。
 私たちの民意を、『結果』でしめしていくためにも、この冬の時代を選挙権を実行しながら、勝てるまで静かに戦うのです。

 政治家の、特に選挙前後の言葉を信じてはいけません、選挙というものは立候補する者も、後援する者もすべてをお祭りにしてしまう魔力みたいなものがあります。
 決して全てのその人たちに罪があるわけではないのですが、厄介なのは『投票者』にもそれが伝播してしまうことです。

『あー良かったよかった』
『投票してもダメだこりゃ』

 とかにならないためにも、投票者それぞれが目指す国のイメージをもって、それに近づけるよう、淡々と選挙に皆勤してしぶとく政治家に圧力をかけなければ、そのイメージ近づくことさえできないでしょう。

 まずは参加する、そして諦めない、最期に結果で堂々主張する。

 

 [ 引用:参加することに意義がある ]
*****オリンピックの精神***

 第4回ロンドンオリンピック(1908)の陸上競技では、アメリカとイギリスとの対立が絶え間なく起こり、両国民の感情のもつれは収拾できないほどに悪化していました。

 その時に行われた教会のミサで、
「このオリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加することであろう」というメッセージが語られました。

このメッセージを、当時のIOC会長のクーベルタンがとりあげ、次のように述べました。

「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。」

「近代オリンピック100年の歩み」(ベースボールマガジン社)より

 オリンピックには、「より速く、より高く、より強く」という言葉もありますから、「参加することに意義がある」と言う言葉は、弱くてもいい、負けてもいいという意味ではなく、しかしただ勝てばいいというわけでもありません。まず参加し、勝つために正しく努力することに意義がある。