くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

災害で見直される、通勤なしテレワークへの希望

地方創生事業の目玉だったり、その後も働き方改革の処方箋として、通勤なし自宅で勤務できるとするテレワークは、ネット環境の急速な普及で技術面では現実味帯びましたが、思うようには普及しませんでした。

その要因には、運送業や生産業など業種によっては、そもそもありえなかったり、むしろ向いていても企業が業務にカスタマイズする手間コストより、既存業態のコストの方が割安と判断したなどの消極さがあげられます。

 

しかしここ数年連続した、台風などの自然災害による交通ネットワークの分断や、トドメを指したコロナウイルス拡散による、外出リスクの高さへの注目度が大きかったことで、短期ではあっても致命的な利益損失の有効な手段として、本腰を上げる動きが急に高まったようです。

 

newswitch.jp

テレワーク成功のコツは「仕事をきちんと評価できる文化」、平時から試すべし|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社

 

そのニーズに、専門企業によるテレワークの総合的サポートをする企業も出てきたようで、今後これらのサービスが低コストで保全代行されれば、ユーザー企業の自社負担も下がって、普及に拍車がかかりそうです。

この流れは、今後技術・通信インフラ面でも、5G通信普及で一般化されていくでしょうし、自動運転やロボット性能向上で、テレワークに縁遠かった業種も減っていく目処も立ってきそうです。

 

従来から期待されていた、エンタメやサービス業種はむしろ全面導入が進みやすく、普及への牽引役となりそうですが、それによって激減するであろうバスやタクシー、そして鉄道利用の新たな模索や、体験型やインバウンド観光との協業などの新業態としての活用も視野に入れる動きもアリです。

この動きによって、中央に集約されがちだった、企業税収の分散や、政治行政の一極集中によって起きていた、税収偏重も分散されて、地方自治体も独立して問題解決しやすくなり、中央行政も災害時のリスク分散ができ、本格的な地方創生に繋がりそうです。

 

日本は時折発生してきた景気下落の折りに触れ、短期的利益を優先させながら、政治行政経済の東京一極集中化を推進してきましたが、今世界で起きている経済基盤の並列化の流れや、グローバル化とは相反する戦略を選んできました。

この選択が、結果的に世界トップに上り詰めた日本経済を先進国最下位レベルにまで貶める、皮肉な結果となってしまいました。

 

中央集権化が、経済低迷に繋がる主要因ではあり得ないという意見もあるでしょうが、この動きが日本経済を偏らせ、地方経済の活性化する気運を削いだことは、結局日本全体を疲弊させた原因として、深刻に反省するべきでしょう。

例えとして世界企業であるトヨタ自動車をあげれば、現社長の豊田章男氏が就任するまで、この起業はグループのヒエラルキーのトップにあぐらを欠いて、巨大企業病による業績伸び悩み抱えた時期があったのです。

 

その悪しき企業体質を、生産面だけで無く経営面でも、お得意のカイゼンを断行して、司令系統の縦割廃止と、トップ直轄部門との並列化で、巨大企業の見えにくい問題を見える化した結果、当時同様の問題を抱えていた日産とは真逆の結果を生み出しました。

政治行政は、企業とは違って予算運営を握る省庁が、決定権を握ってしまう組織構造の問題がありますが、基本企業と同様のカイゼンを実行させる事が、結果的に日本全体の景気向上に繋がる点は同じなはずでしょう。

 

この国が抱える少子高齢化を、仕事面で緩和するにはテレワークは、合理的で重要な解決手段なのは間違い無いでしょうから、企業だけで無く政治行政こそ、一部の緊急事態対策は残すとして、積極的なテレワーク導入によって、議論の時短化や決定の早期化が可能では無いでしょうか。

最後に、テレワークにはセキュリティや個人情報保護の課題はあるものの、それ以上に国民全体への問題提起や、判断情報の透明化でよりクリアな、合理的議論が活発化したり本来の民主政治のあるべき姿を具現化しやすくなるでしょうね。

DV被害の増加を男性の立場から考える

DV(ドメスティック・バイオレンス)による不等な立場の差から起きる、弱者への暴力行為については、男女差・年齢差・社会的地位によって主に個人対個人の間で起きる不幸な問題です。(集団対個人ならイジメと定義)

被害者が女性だったり子どもだったりの違いはあっても、見逃されてはならないにも関わらず、強者である加害者が隠蔽するために、表面化しにくい特徴があります。

 

www.excite.co.jp

DV被害、過去最多8万2207件=昨年、ストーカーは2万件超―警察庁 (2020年3月5日) - エキサイトニュース

 

その強者の道理がまかり通りやすく、状況証拠が主観的な場合が少なくないため、第三者の客観的な目が介入しづらいことも、問題を複雑にしています。

今までは筆者のブログでは親子間のDVを扱うことが多かったので、今回は男女間のそれに絞って書きますが、男女間の社会的意義や権限の時代変化が男女間の認識に混乱をきたしている側面はあると思っています。

 

少なくとも日本では、男尊女卑的慣習が横行してきて、今でさえ強く認識されている事実があるにしても、まだ微弱ながらも女性の立場が改善されつつある、この変化にさえ多くの男性は順応できないために、その反動でDVは起きているようです。

 筆者が普段の周辺の女性の適応力を見る限りでは(見えない所でどのようなストレス発散をしているかは、敢えて書きませんが)極力全体の空気を乱さないような行動をし、女性同士のネットワークで、情報共有出来ているように見えます。

 

これを、男性が今から実践しようと努めるのは相当の困難が予想できますし、しばらくは女性のスキルに頼らざるを得なさそうですが、まだ素直に頼れる男性は救われても、それを良しとせず逆ギレに走る男性が目立つのは、同じ男性から見ても厄介な課題でしょう。

こうした逆ギレタイプは、同性に対しても同様の言動をしたり、自分以外を見下すような言動も目立ちますので、DV予備軍については女性だけでなく男性からも、マークして知人の女性への情報提供をすべきかもしれません。

 

 

 

 

 

人の流れを止める行政と、消費行動を止められないジレンマ

 ウイルス感染拡大防止の政府指導が唐突に始まったことで、それまで街の商業行動目減りが顕著になったことで、地方を中心に悲鳴が上がっていますね、世界の行動と国内のそれのタイムラグは、日本の慎重な質が仇となったのでしょうか。

ニュース統計では、デパートなど来場型の商業施設や飲食店の売上や、アトラクション型の娯楽施設の利用に影響し、ライブ映画館やスロットなどの集会型施設で、感染者が報道されるなど、規制とは無関係な行動でリスクが報道されます。

 

eigaland.com

宇宙船から“統治者”が地上に降り立つ…『囚われた国家』本編シーン映像が解禁 « 映画ランドNEWS

 

 注目していた映画がこの時期に公開されるのは、映画を大画面臨場感期待するファンには辛いし、モチベーションに繋がるアーティストのライブに、感染リスクを強調されるのは、映画ファンの筆者には憤りを隠せないものです。

実際の外の世界は政府やメディアの警告ほど、人の出が少ないわけでもないし、むしろマスクやトイレットペーパー騒動のように、消費行動を煽る情報のほうが、消費者心理に大きな影響を与えているようですし、この矛盾がなぜ起きるのか不思議でなりませんね。

 

さらにニュースを見ると、中央政府やメディアの行動より、実質的に現実的な配慮は各地方自治体の独自判断のほうが、効果を出していてむしろ前者は責任回避だけしかしていないかのようです。

このもやもやした違和感は、数値化できないものだけに、数値化したり直接具体例をあげ難い現実があって、時には無闇に口にするものでは無いと、諌められる事もしばしばですが、それで結果として問題が収まったとしても、忘れてしまっても良いはずがありません。

 

行政の失敗は隠したい本音があるので、より隠されたり解りにくくされた後で公開されますが、今どきそれを真に受ける人は、子どもでさえいないとしても、より不明確な情報はイメージしにくく、記憶にも残り難いものです。

これらの心理学研究に基づいた情報の伝え方の技術は、70年以上も前から起業家政治家、投資家の最も高い関心事であったし、その開発と実践投入に多額の資金が注ぎ込まれたことは、今更陰謀として語るような非日常的な創作でも無く、今私達の身の回りで実行されている定番ノウハウです。

 

日本の政府や起業の間でも、メディア・広告専門機関を通して、罪悪感を薄められて商業行動に大きく影響を与えている技術によって、私達の消費動機と奇妙にマッチングして、消費しないと生活が成り立たないと信じてしまうのでしょう。

また、経済効果や災害リスク実際の影響と、私達の知らされる一般的な影響度が、必ず一致するものでは無くなっているのは、双方には何ら因果関係がない場合に起きるギャップであり、その違和感は決して私達の気のせいではないのかもしれません。

 

 

世の中の生消費行動は、多くが十分に練られ洗練された情報により左右され、それが当たり前のように魅力的な投資商品になっていて、私達はどれだけ優良なお客になるかで評価され、起業家や政治家はそれだけに関心を集中させている現実が、目を向けるべきトピックスではないでしょうか。

自由経済で、満足する生活を成り立たせるための関心事とお金の消費や流通させる行動に、多くの時間を費やしている人はこの現実を理解しておかないと、消費戦略や自然災害や突発的リスクに対応できないし、そのリスクは政府でも起業でも無い個人に問われる以上は、それらの現実からわが身を護れないのでは無いでしょうか。

日本人にも奇跡かもしれない、香港の自由の女神「となりの周庭さん」の声

今回は、滅入らずにはいられないこんな時期だからこそ、求めたい光としてふさわしい人物を取り上げ、そのキャラクターからにじみ出るエッセンスを、一滴たりとも逃さないように(ハードル上げすぎ?)心して記事ります。

親しみを込めて表題にある通り「となりの〇〇さん」と、まるで某ジブリアニメタイトルのパクリの様に、その人物を親しみをこめて呼ぶ理由は、日本人の筆者と同じ方向性の志をもつ香港人の思いを、他の人とも共有したいからです。

 

 

今や知らない人は居ない人物、香港で起きた市民運動の中心人物として高い注目を集めた、国際活動家の周庭(アグネス・チョウ)さんが、Youtube動画を始めたのはつい最近からで、それは香港活動に忙殺されていたからでしょうが、さすがに彼女も現代の若者ですね、一区切りついた今YoutuberなどのSNSを本格的に活用し始めました。

下記リンクの回は日本に向けた、彼女らしいわかりやすいメッセージであり、その内容は極めて秀逸で的を射ていますが、世の危機を煽るネガ動画が氾濫する中、彼女のキャラクターを余す事無く前面に出すメッセージはポジティブで力強く、しかも客観的で説得力があります。

 

www.youtube.com

https://www.youtube.com/watch?v=JRcmGBpAPNg

 

この動画は、ご覧になった一部の理想主義的な日本人の中には、受け入れがたい指摘や威圧を感じるかもしれませんが、彼女の厳しい苦難を乗り越えて培った観測力と、国際目線の指摘は至極超現実的であり、しかも的確に「日本人が超えるべき国際的な課題」を考えさせられるヒントに、こぼれそうな程あふれています。

因みに彼女はInstagramを発信していますが、筆者はYoutuberの知的で動的な彼女とのギャップ萌えし、目が離せなくなっていますが、そのギャップを感じたい人は是非ググって見てください。(有りがちな、単なるあざとさと違う何かが、感じられませんか?)

 

Instagramの彼女はとても「普通」で「年齢相応」の女子大学生ですが、Youtuberの彼女は「国際活動家」で「賢い啓蒙家」そのものであり、その相いれない二面性と一体でナチュラルな、相乗効果を持った「不思議なキャラクター」に、大人げなく萌えてしまうのを理解してもらえるのではないでしょうか。

繰り返してしまいますが、その行動には違和感を差しはさむ余地無く、本当に自然で違和感なく行動と両立させている事実に、清々しささえ漂わせそうです。

 

「なんと気持ちのいい連中だろう……」

カリ城」ラストでルパン達へ老人庭師が思わず呟いた「サムライ・スピリッツ」を匂わす行動は、彼女が在籍する香港チームによって体現されていることが、偶然か必然か?……驚きでしかありません。

 

同時に、賛否両論はあるでしょうがあえて言えば、同じ国際活動家でもマララさんやグレタさんのそれとは、まったく異なるアプローチをしている点で、彼女の唱える実用的なメッセージから受ける印象は、アジア的な世界観であり親近感の持てる実用性に共感しないでしょうか。

 

それは、人にさせられている者で無く、自主的に行動する者との差でしょう。

 

筆者の言う彼女の実用性とは、彼女のアイデンティティを支える中国人特有の「現実主義」「個人主義」的な資質にあり、良くも悪くも「自分に徳なことしかしない」という原理原則に素直で、それが全ての言動に一貫している点を指します。

この資質は、日本人からはネガティブな側面が評価されがちですが、実はこの資質がアメリカさえ震撼させる、中国経済を成長させた原動力であり、戦後日本でも高度経済成長させたそれと共通する「東洋人的向上心」の共通項であり、日本的で培われた共感力と、中国で継続された社交性の結晶と言えるでしょう。

 

言ってみれば「アジアが多様性を認めながら、共に栄える思想」とまとめられます。

 

これは、かつて日本人が目指した「大東亜共栄圏」の真の目的と似ていますが、優秀だったかつての日本はアジア人と共に栄えたかったのであり、中共は私欲のために目指しているという根幹的な差があり、私たちは大いに誇っていいことです。

日本人の先達が目指したこの信念は、今は日本よりも台湾を始めアジア諸国の一部に残っているのはなぜでしょう?この事実を見失いつつある日本人にとって、最優先のも落ちベーションであり、たとえ中共から悪者にすり替えられバッシングされようが、あざとい情報改ざんや焚書されようが、粘り強く達成すべき”最終目標”であり、代々引き継ぐに相応しいアイデンティティであった筈です。

 

 さて、それは無残にも消されてしまったのでしょうか?……それは否!です。

 

日本の感性に影響を受けたことは自身も述べていますが、そんな中国的資質を持つ彼女が、中国と日本の良いとこ取りを実践する姿に引き継がれ、グローバル社会で生きていくアジア人にとっての「救世主」「女神」として今も生かされていると考えます。

彼女は大学生という身の丈でおごらず謙虚に、一方で国際的な大人を目指すもの怖じしない社交性から湧き出る、内面から現れるキャラクターから、

「となりの周庭さん」

と、思わず親しみを込めて呼びたくなってしまいます。

 

これは言いすぎでしょうか?これを皆さんに問いかけたいですが、きっと受け入れてくれると信じたいですし、そうでなくともそれぞれの中に、目指すべき人物像を思い描いくきっかけになればそれでいいと思います。

その一人に同じ東洋人・アジア人として彼女の言動が、国際下手な私たちが目指したいと願う、理想的な国際人の資質を持っている現実は多くが共感できるし、素直にわが身を正す目標に相応しいと思えるよう、ささやかに願うだけです。

 

 

P.S.

もう一人の”別人格”が問う筆者のブログと、共通課題をテーマにコラボしてみました。

pws.hatenablog.jp

今なら理解しやすい、未来と闘わなければならないワケ - くろまのパーソナル・ワークショップ

 

もう一つの筆者発信ブログで「未来と闘え」という、悲劇的な現実に向き合わなければならない現代に生きる、多くの市民に向けての心得を書きましたが、その課題を埋める周庭さんの「励まし」は、暗い未来へ差し込む一筋の光としての希望です。

未来を希望に変えるには、自分の内面から変えるしか無いことも何度か書きましたが、そのメッセージより数倍の説得力が彼女の動画にあるのは、表現者の一人としてちょっとおもはゆい思いはあるのものの、それでも絶賛せずにはおれなくなる彼女の言動に、いち日本人として、これからも少しでも近づく言動を目指していきます。

国の宝の安全より優先させる、政府の謎で不可思議な諸行動

安倍政権が今回のウイルス拡散防止対策で、一定の評価をする人もいる一方で、不満を募らせる声も多々見受けられますが、筆者も対応の遅さも然ることながら、国民寄りの対策・子どもの休校対策においても不可思議に思うことが多いというのが、実感です。

下記引用記事には、その不可思議な行動に対して陳情していますが、重要な枠から規制の定義を作らず場当たり的だったり、ウイルス発祥国に余りに配慮しすぎたりと、政府の判断の偏りが甚だしいことは、多くの批判を招く大本になっているようです。

 

www.huffingtonpost.jp

安倍総理、一斉休校を今すぐ止めて「台湾方式」に切り替えてください | ハフポスト

 

最も危険だと思われるのが、統計データに拠る優先順位が無視され、組織の安定を優先するかのような施策を優先させたことで、国民の不安を大きくさせてしまったことと、初期段階で解っていることと不明な点を明確にしないまま、とにかく判断ができるまで緊急事態対策を取らなかっために、不信感が増した。

むしろ、ジャーナリストや個人の医療関係者が、独自のデータ判断によって、安全な行動を誘導したのが、今回最も印象に残りました。

 

何がそうさせているのか謎過ぎるのですが、それら行動の遅れは、中国関連企業の社員や入出国する人の渡航規制から始まり、その遅れが中国人渡航者の流入を促し、特に地方からキャリア候補を増加させました。

また、国民を中国人と接触させる時間を増やした割に、地方の観光地は潤わないどころか大きなダメージを受けただけでなく、国内の潜伏感染者も対策を早めた国と比較し、後で感染するリスクを大きくさせてしまいました。

 

その間、どれ程安倍総理が四面楚歌の状態で、持論を実行できなかったかは知りませんが、彼の側近や自民党の結束の現実が露呈し、彼らに抵抗する側や妨害者の策が成功していることが露呈した、そのツケは全て国民に跳ね返ってくると言うことです。

周りが見えている識者は「総理、今からでも遅くはない」と機会あるごとに進言していますが、この進言がいくつ総理に届き、実行されるのでしょうか、国民の意見は確かに千差万別で多種多様であり、全ての要望に応えられるものでないし、全てを叶えて貰えるとは思っていません。

 

出産や育児の環境問題、それを叶えるために働きやすい環境、この実現は日本が高度成長時代より敢えて捨てて来たと見られても仕方が無いほど、教育制度や方針においても企業が成長することが最優先で、子どもの立場を置き去りにしてきた政策の結果、今の諸問題を生んでいます。

余り主だって政策化されたわけではないにしても、結果として少子化を推しだすのに貢献し、企業側の義務としての、教育や育児環境の重要性を低くさせたのが、最も大きかったように見えます。

 

そしてこの30年以上のデフレ政策で、政府予算の緊縮や企業の利益留保と言う目的は達成された代わりに、総理がシャンパンタワー理論で説明されたような、国民にその豊かさが降りてくることはありませんでした。

その中で、国民の生活予算で最も削らなければならなかったのは家庭の人権費であり、特に子どもを産み増やす事や、それ以前の結婚さえ難しくさせ、海外競争ベタな企業の経済成長を保護した政策は、成功だったのでしょうか。

 

その是非を判断することと同じことが生き写したように、中華製ウイルス対策の政策にも現れているのが、とても不思議でならないのです。

日本にとって、重要な国や企業への配慮は何をおいても優先させている、それが国民の立場を差し置いてもそうさせる原動力って、何なんでしょうね?

今だから引き締めたい、平和である事が故の建前と現実

この春の最大の恒例イベントとなるはずの、卒業式や終業式、もしかしたら入学式もお蔵入りとなりかねない勢いの、ウイルスショックと言われる驚異によって、未来を担う子どもたちに大きな心のキズを残すことになりました。

当人は基より苦労して育てている親御さんなどのご家族にとって、これほどの仕打ちは計り知れない衝撃となったことでしょう、下の引用記事はそれを示しています。

 

toyokeizai.net

臨時休校「一生の思い出」奪われた子たちの本音 | コロナショックの大波紋 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

本題に入る前にこの記事を書くきっかけになった、些細な実体験をあげておきます。

今日外出からの帰り道の交差点で、交通ルールを老人に強く諫められ、筆者も諭そうとした直後、点滅し始めた信号に話を絶って渡れましたが、その人だけ横断歩道を渡り損ねたようです。

筆者は冷静に目上に意見を大人しく聞いて謝るべきだったかもしれません、先方もおしきせの主観とは言え頑固に拘り感情的な面を露わにした結果ですが、これも建前を主張する以上に現実を見落とさないためには、一時的な感情によって得られるものは何もないと学んだ、反面教師として晒しておきます。

 

言うは易し行うは難しということでしょうか、偉そうなことを書いている割には、なかなか実行が伴っていない現実を、あえて晒したうえで今回は書き始めますが、明らかにマイナス面の方が大きいかもしれませんね。

ただそう思いながらも敢えてそうするのは、これから書こうとすることを建前と捉えるだけに終わらないように、目まぐるしく変化して取り残されそうになる現実の中で、実行できなければ意味がないからです。

 

だれでも、この程度の体験は日常茶飯事にあると思いますが、かならず行動に完全を示す必要は無く、学ぶことを次に生かせればそれでよいと思っています。

中には、人に対しては完全をやたらと要求する人が居ますが、その一人の偏った完全主義者によって、本来求められる多くの前向きな行動の意識だけが、犠牲になっていくのは、あまりに理不尽であり本末転倒ですから、できもしない完全へのこだわりは、しないさせないという行動が大事でしょう。

 

 

さて本題ですが、この記事の指摘もあるように、政府の対応の遅れが原因だと言われる事が多いですが、これはほぼ大半の人の判断する通り、否定されないだろうし擁護の余地はなく、おそらく事が収まった後に、現政府には責任をとってもらうのは避けられないでしょう。

つまり、なぜ政府があえて判断を遅らせたのかの根拠が、今更に説明された事実が、多くの国民や企業の独自判断を鈍らせ、結果的に経済擁護に走った政府この意図に悪影響を及ぼしたのも事実で、リスクへの責任逃れの体質が浮き彫りにされたということです。

 

一方で、私たちも戦争の直接影響下に置かれなくなった社会環境を得た反面、ストレートに言えば平和ボケによる、平時を覆された際のサバイバル対応力にも、問題が露呈している事実を行動によって示しておく必要に迫られています。

そもそも戦争と平和の転換が、自然災害とは違い突発的に起きるものではなく、人為的に起こせるリスクである現実を、改めて認識しておく必要があって、つまり天災よりも予測がしやすいことを知った上で、経済的な予測行動をすることが大事です。

 

今回のウイルスショックは、一見天災と認識しがちですが、上にも書いたように筆者から見て明らかに人災であり、その政府が対策遅れを起こした以上、何はともあれ個々にリスクを取らなければ仕方無いのです。

例えば70年以上前に戦争が起きたときも、国民は一部政府組織やメディアの情報統制に撹乱されたとは言え、言いなりに行動したことも、責任追及だけでは済まされない行動の問題であり、解っていても行動で示さない何かへの忖度的な悪習慣の一つです。

 

今被害者意識が先行する国内の空気の中で、こういった指摘行動は、無視されるか叩こうとするネガティブ行動の、いいカモになることを承知で書いているのですが、こういう被害者意識を正当化しやすい時期にこそ、その不安や不幸にツケこもうとする動きが、必ず出てくるから書くわけです。

このツケこみに不用心な日本人には、戦争被災者が私達後進に本来伝えたかった思いが、もしかしたら届いていないのかもしれませんし、彼らでさえ余りにすさんだ体験をしたことで、伝え方を誤っているかもしれないのです。

 

ただ犠牲者の思いが複雑で、個人やその家族の不幸への嘆きや憤りのメッセージは当然あるし、それと同時に命を絶たされた不条理の中に、生き残った人たちに託したかった切実な思いもたくさんあったことは尊重すべきです。

人間である以上は、個人の不幸を最大限減らしたいという欲求が大前提でなければ、生きる価値は無いと考えるのを否定しませんが、自身が窮地に立たされてこそ悟る「生きること」そのものの意味が、どう伝わるかで、そのコミュニティの未来は大きく方向を変えていくだけに、短絡的な先入観は捨てる必要はあるでしょう。

 

 

引き寄せの法則と言う、ある意味その生きる意味を探る処世術があるそうですが、その話を聞いたときにその実現には、他人の行動を正すこととは別に、自分の行動を正してこそ引き寄せられる何かがあると知りました。

こうした気付きに基づいた行動は、このブログで書いているテーマの根っこと合致していますから、強ち神がかった事とも思わないですし、十分説得力ある行動のヒントなのでしょうから、辛いときは毒づく事も仕方ないにしても、まずは建前からでもその実践すらしなければ、自分の周りの好転は永遠に無いのも現実です。

 

自分で行動できないリスクは、するリスクより致命的になることを、今起きている現実が示しているのだし、それに加えてお粗末な行動が果たす悪影響が、さらに行動の意思を狭めていると筆者は体験上知っています。

最後に、この事実は自分で考え行動しない人には全く響かないことかもしれないですが、その行動がどれ程の影響力を示そうが無視されようが、続けなければ未来さえ見えないのですから、それを知っても行動を止める方が安全なのでしょうか?

 

……平和は、多くの犠牲の基に得た対価として子孫が教授できる一方で、平和を過大に正当化しすぎるのは、新たな悲劇の温床になりかねないのでは無いでしょうか。

そのバランスや匙加減は難しいですが、今後ますます世界から要求される多様性によって、その価値観は大きく変わることが予想される将来に、ステレオタイプのように一方的に平和を要求するような行動が、バランスがとれているかを自分で判断しながら、世界の変化に柔軟についていくために、まずは平和の定義を省みて行動表現します。

 

戦争の犠牲者が残したかった、ささやかでも力強い願い

悲しいかな、思い出に刻まれるはずの学校での生活を、ウイルス拡散で、自宅待機にさせられた子供たちには残念ではありますが、こうした思わぬ時間に普段学校では決して学べない多様な情報を拾い集めるのも良い機会でしょう。

そこでというわけではありませんが、今住んでいる日本がどうやって今に至って、これからどういう問題を解決すればいいのかを、深く考えるその助けになるであろうことについて、少しだけ触れます。

 

 

日本にはかつて「人間兵器」と言う発想の兵器があって、これは文字通り当時日本の宝と言われた人材を使ってでも、相手に物言える兵器を作らざるを得なくなったために、断腸の思いの結果生み出した苦肉の産物でした。

今では誰もが非人道的と言われる兵器が、何故にして世に生まれることとなったのかを、真剣にお考えになったことはありますか? もしそうでなければ、そのきっかけにしてほしいとおもい書きたいです。

 

その歴史の生き字引であった今は無き家族から、筆者は多くの戦争に関する生の声を聴くことができたことを幸運にさえ思っていますし、こうした事実を見聞きするたびに、書かずにはいられない思いでいっぱいになることがたくさんあります。

ただ、突き付けられるような自負や使命感のようなものではなく、ましてや綺麗ごとというよりも、誰かに書かされている様な、オカルトめいた比喩も否定できない程、降って湧いたような衝動に駆られて書いてしまうのです。

 

この感覚日本人なら、なんとなーく分かって頂けるかもしれませんね。

さて、本題に戻ります。

 

gendai.ismedia.jp

【戦争秘話】人間爆弾「桜花」隊長が終戦後に受けた「謎の秘密指令」(神立 尚紀) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)

 

この兵器が存在した事実は、戦争が他人事と思えるほど平和な日本では、平和と引き換えの象徴だったり、二度と作ってはならない反面教師的なタブーとして、筆者の無意識に刻まれているのですが、この兵器の製作者と使用者をどこまで加害者として追及できるか、できないかはその背景をしっかり理解しておかねばできません。

今に生きる私たちは基より、当時の彼らにとっても「そうさせられた」と言われるかもしれないし、当時に生きていない大人たちからも、詳細の経緯が判らないと突っぱねれるかもしれませんが、それでは責任の所在を永久に葬ってしまいかねません。

 

筆者の結論から先に言えば、そのどちらにも責任が均等にあると思えてならないということですが、後に生まれた事実を盾に多くの日本人は、その罪を逃れようとしているとあえて言っておきます。

「過去に遡れない私たちが、過去を正すなど不可能でしょう?」と言ってしまえばそれで終わりであり、それでも彼らと違い未来の選択肢を持てる私たちは、それをすることで正せると言ったら、バカ呼ばわりされるでしょうか?

 

もちろん、人の肉体寿命には限りがあるので、お隣国が押し付けるような永久責任を負うことは不可能ですが、キリストなどの賢人が、生まれながらにして人は贖罪を抱えて生まれてくると表現されたように、その罪は当時から自覚されていたはずですし、単に筆者の妄言では片付けられそうにありません。

新しく生まれてきた自分が既に、まさか穢(ケガ)れているとは、気のふれた異常者として気味悪がられても仕ないのかもしれませんが、過去にもそれに気づいて、その現実を伝えた人は星の数ほど居たし、未来にもおそらく後を絶たないでしょう。

 

人が人を諫めようとするのは原則アンフェアであり本来不平等な越権行為ですし、「アンタはそんな偉そうな人なのか?」の一言で何も言えなくなってしまいますから、本来キリストのような特別な存在でないと説得力は得られないかもしれません。

それでも、口をつぐむことができない人が後を絶たなかったのは、それが私たちに背負っている十字架であり、そこから逃げることができないためで、つまり人間の英知テクノロジーは、その進歩に役に立っていないともいえるのです。

 

日本が仕掛け最初から悪役で始まった第二次世界大戦の見返りとして、アメリカやソ連(現ロシア)などの戦勝国は、敗戦国のドイツや日本から多くの知財や人材を「ペーパークリップ作戦」によって合法的に奪うことができました。

その、まんまとせしめた戦利品を最大活用し、彼らはロケットを造って新たな新天地を求め、月へも野望を広げましたが結局失敗に終わったし、今では中国もそれに加担し始めていますが、それは地球の未来のためとはとても言い難いようです。

 

その際散財された莫大な予算は、どこから補填されたのでしょうか?その中に日本が含まれていたのは言うまでもありませんが、その日本を拠点にして地上にも未開拓のフロンティアを構築するために、アメリカ式自由圏をアジアに根付かせる政策を展開してきたのです。

その間アメリカは、唯一の被爆国となっている事実からも、敗戦国日本を実質上の民主制自由主義や多くのリスクの実験場・人柱として犠牲を強いてきたわけですが、この現実をリアルタイムで生きてきた人々が、私たちに真に伝えたかった事とは、何だったのでしょう?

 

筆者はこう捉えています。

 

彼らは好き好んで戦争をしたのでも、仕掛けたのでもない。

差別に虐げられるアジアの未来のため、

日本の残してきた子供や家族たちのため、

貰いのために、我々はあえて毒を食らったのである、と。

 

私は少なからず、この本音を体験者の話から読み取ることができましたし、それを踏まえた上で、こうも捉えました。

 

そして、彼らは最後に家族を思い、妻や母へ自分の非力さを悔やみながらも、

せめて自分の命と引き換えに、生き残るであろう命へ、自分の命を託そうと、

必至に、その直前まであえぎながら、葛藤しながら死んでいった。

 

彼らは、避けられない現実と究極の選択に迫られ、

生物と人との間で葛藤しながら、

一生懸命に、考える葦とならんことを実行して見せたのです。

 

肉体を捨て精神を手渡そうとしたに違いないと想像するのは、美化したような作り話なのでしょうか、それとも限りなく逸話に近い話なのでしょうか。

 

最後に、日本人がスポーツで連携をとても重んじることが多いのは、単なる縦社会の後遺症なのか、しっかりとその意思が継がれているのか。陸上リレー協議でもバトンの渡し方に究極までの美学を求めるのは、単に几帳面な性格故か、意志継続の現れなのかを自分なりに考えて欲しいのです。

いずれにしても、選択肢の無い死の道を取らざるを得なかった、多くの犠牲者とその未来は、正しく引き継がれなければなりませんし、日本の美しさを残してほしいというその思いを、そして日本で生きる以上は行動で示す未来を取ることは、日本の遺伝子を引き継いでいる確かな手応えを、筆者は感じずにはおれません。