日本の東西文化が、ある所を境にけっこう異なる件
紹介記事の文中にも出てきますが、日本列島というのは世界でも不思議な島だとおもいますね、皆さんも学校の社会科で学んだと思いますが「フォッサマグナ(糸魚川静岡構造線)」という日本を縦断する地下構造帯は、この国の様々なものを分断しています。
食文化などは、フォッサマグナ起因であるかは科学的に証明するものはありませんが、さまざまな文化がちょうどこの地溝帯を境に東西で違っているのは、大変興味深い話ではあります。
よくTV番組などで、話題になっているので興味をもたれた方も多いのではないかと思います。
非科学的なことを言えば、地下の電磁波かなんかが長年地上の日本人に影響を与えたなんて考えるとSFっぽくておもしろそうですが、もともと日本がこの帯を境に二つに分け隔てられていたと思えるほど異なっているので、そんな想像をしたくもなるものですね。
では実際どのように、東西で文化が分かれて言ったかというと、諸説あるとは思いますが、歴史的背景と、現在の日本の文化がどのように入ってきたかに大きく関係していると思われます。
日本の文化は歴史の流れでいえば、古代では西方九州より中国大陸文化が流れてきて、その文化が近畿地方で花開き、やがて戦国時代をへて中心が関東平野へ移動していったというのが、大まかな定説ではあります。
しかし、それまで関東にまともな文化がなかったかといえば、そうではなく結構立派な文化はあったとする意見が目立ってきています。
ただ、西方文化が権力を握ったために、太古の歴史は西の都合のいい歴史観が踏襲され、当方のそれは淘汰されたということにほかなりません。
江戸時代の長き期間で、交通の要所である阿部川や、天竜川、大井川などで文化が分断されてきたという考えが主流のようです。
元々日本には統一した民族ではなくて、さまざまな方面から流れてきた民族が寄り集まった、今風で言う地方自治の島だったわけですから、当然文化・風習・宗教有無もばらばらだった筈ですね。
それがさまざま統合・分裂・再編され、今の文化にとりあえず統一されているだけですから、よくよく各地方の文化を観てみると、方言や風習・祭りごとなどに色濃く残っていることから、いまだ日本の住民は自治に向いた編成が残っているのです。
一つの権力が、国家を統一するにあたって、民族同士のぶつかり合いは避けられませんが、淘汰されて今の統一はありますが、日本列島の東西でここまでの文化の違いが今でも出来ているのは、感慨深いですね。
狭い日本そんなに……とか言いますが、なんのなんの狭くても沢山の異なった文化がギュッとつまった国だからこそ、素敵だし、この小国が世界を席巻出来たのだと誇りに思います。