戦争反対が平和と思ってきたツケを払う時
政府与党が考える安保法案の方向性は、この記事を読む限りどうやら建前をかさに、戦争・紛争の場において欧米と同率の立場に立とうとしているように思えます。
その是非については連日報道される市民の反対活動を見るに、国民の総意は否なのは今更の話ではありますが、与党がここ迄欧米と対等になる事にこだわる理由は、ここ迄歩んできた自民党の戦後台頭してきた歴史に裏打ちされているのかも知れません。
日本での政府と国民の考えの相違は、戦争で列強諸国(敢えてこう呼びます)にハンディを負ったと考えるか、贖罪を負ったと考えるかの違いであったように思います。
その溝は未だ埋まることはなく、タテ社会にを主軸に展開してきた自民与党は未だ縦軸にこだわるあまり、戦後同様の歴史を辿ったドイツの徹を省みることも無く、独自路線をこれからも変える気持ちは無さそうです。
日本がしてきた事されてきた事、それ自体には未だ大きな重みがあるのはこれからも引き継がれるべき事ですが、その表現として戦争に関わる問題について、日米安保とは異なった発想は必要です。
自国を有事から守るために自衛隊は必要であり、場合によっては平和維持の手助けも必要なのかも知れませんが、あからさまに他国の紛争に参加するしないをここまで時間をかけてきたのは、未だ日米安保に束縛されている事からの脱却には重要です。
その束縛から脱却するために今すべきは、それこそ70年談話で評価された「次世代に責任を継がせない」方向性を世界に評価させるためにも、自民与党は軍事の面で足並みを揃えるのでは無く、自党内紛のリスクを背負っても日米間の柵を野放しにせず、他国とのバランスを増やして平和維持の面で貢献する政策へ変えていく事が、談話の体現に繋がると考えます。
一方では、私達も単に平和一辺倒の思い込みを捨て、戦争に晒される国々の現実の多くを学ばなければなりません。
そして今以上に戦争と平和のバランスとリスクの問題を真剣に考えて、おくれをとってはならないでしょうか。
これからその変化に向き合う当事者になるであろう若者には、反対運動だけでは無く、選挙の在り方や法の見直しの是非に多方面で関心を持って欲しいと思うのです。
田原総一朗「戦争について言及しないことが平和主義と思ってきたツケ」 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版
http://dot.asahi.com/wa/2015090100122.html