くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

IT産業の裾野拡大が、中小が占める地方産業を変える好機。

 突然ですが、みなさんグローバル起業のイメージはどう感じますか?

トヨタ自動車のような、自他認める超大企業であっても、

以下記事にあるような、スタートアップ起業であっても、

 

グローバル起業

 

であり、大企業を意味するイメージは薄れているということです。

 

KDDI、ソラコムを約200億円で買収ーー日経新聞が報道 - Engadget 日本版

japanese.engadget.com

 

そして実際に自覚しておきたいのは、以前からもこのブログで書いていることですが、グローバルな視点を求められる範囲が中小零細企業にまで及んでいる、という点ですでに大企業だけに冠されるキーワードでは無くなったことです。

ですが、ここで言いたいのはネガティブな話で無く、企業規模に関係が無い質の可能性を表した上の記事を紹介したのは、スタンダード化しているグローバル視点が、いかに中小企業の可能性を広げて行くかを物語っているからです。

 

今までグローバル目線で比較的閉鎖的だった国内企業にとっては、格差が無くなるという厳然たる事実が何を語っているかと言うと、

 

「ITが広げる市場において、企業規模はハンディにならない」

 

という事実であり、返して言えば既存インフラとのしがらみの少ない方が、さまざま仕掛けがしやすいと言う事実を、いかに早く理解して行動に移せるかが、規模に関わらない全ての企業に、成功チャンスの早道になります。

その目線に早く慣れ、行動を変えていく企業が生き残ることは自明の理でしょうし、それは人が空気を吸っているように、当たり前のスタンスでなければなりませんから、まだそこに至っていないのなら少しでも早く切り替える堅実さを持ちたいです。

 

 なかなかその突破口を開けない企業があるのならば、身の回りにあるガラパゴス的な慣習や日本の持つ本来良き伝統を、誤認・極解していないか疑うべきなのではないでしょうか。

このグローバル化の話で申し上げたいのは、日本が持つ特色が古く西洋色に染まった方が良いと進めているのではなく、むしろその特色を前面に強調すらしてでも押し出すべきだと考えている点です。

 

この信念においての行動は、世界進出の上で少なからず圧力や障害になると実感するかもしれませんが、そのリスクを勇気をもって挑むスタンスは、乗り越えた時に必ず大きな財産として企業に恩恵をもたらすと信じています。

 

 

子どもの正義を軽視する非現実、それを解決するとてもシンプルな現実

昨年末に突然吹き荒れた「セクハラメーカー征伐」の動きは、弱者・マイノリティの新しい可能性をみせてくれましたが、筆者が注目したのは女性政治家小池百合子氏の動きでした。

氏はそのあまりにも強引な進め方がバッシングの的になり、本筋として実現しようとした女性マイノリティー改善の思いは、失脚で遠のいてその結果は男性社会路線は変わらず、母子をはじめ女性の生活環境カイゼンは旧態依然の焼き直しに帰結したと言わざるを得ません。

 

gendai.ismedia.jp

それは本当に「虐待」ですか?二児の母が突然逮捕・起訴されるまで(柳原 三佳) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 

数面前から、子供を持つ夫婦で男性が父権を放棄した結果、母親が単独で子育てする環境問題と、子育ての母親への風当たりの強さが際立って見えてしまっている現状、加えてそんな家庭への第三者介入が、問題解決をいかに難しくややこしくしているかを目の当たりにしています。

 たとえご父母健在であっても、子育てをする母子・父子にとって、現状を理解するすべを持たないまま第三者が、単なる一般常識だけで介入するのは、それがたとえ子どもの人権を優先するためとはいえ、家族のプライバシーを犯す危険もはらんでいます。

 

井戸端でなくネットであることないこと愚痴れる環境は、同じネットで手軽に得られる生活の知恵情報のメリットを凌駕するほどのデメリットとなっている今、弱い家庭から順により孤立化するのを防ぐために、国をあげてネットでの信用できる生活ノウハウの提供環境は、最低限保証されるべきでしょう。

子育てに関与していない大人が増えたことで、主権のバランスの変化で弱い家庭の何の罪もない子どもたちに、当たり前だった子どもらしく振舞う権利は力を失い、子どもの活気ある声さえ疎まれ、弾丸のように浴びせられる苦情が通る理不尽さは、アフリカやアジアの一部で起きている虐待と大差ないほど、かつて子育てには当たり前だった風景は、常識ではなくなってしまいました。

 

主に女性には深刻なセクハラ問題がこれほど反響を大きくしているのは、アメリカの政治事情に関与しているとはいえ、一石を投じたことは事実ですので、一定の評価は惜しみませんが、世界中で一向に減らない幼児虐待は、依然としてマイノリティーなままですし、子どもの生きる権利が、大人の都合による子どもたちの悲劇は変わりません。

その解決のカギはとてもシンプルなところにあると思うのですが、目の前に差し当たる自分の問題解決で精一杯な大人は、そのシンプルな答えにさえ目を向けられないでいます。

 

今の大人だってかつては赤ちゃんや子どもだったはずですし、結果命が残っているからこそ今そこに存在できていて、その事実は当時の大人の寛容さがあったからこそ、今の自分が在ること、その現実と奇跡\\奇蹟を私たちは忘れてはいませんか。

それさえ気づけば、見て見ぬ振りをするのもイジメとわかるし、子どもに悪意に手を出す気も失せるハズではないですか?むしろ「生」に感謝し、その奇跡を次に残そうと行動もっともシンプルな事実なのですから。

 

地方観光、実のりはあるのか?

東京は順調、でも地方は?

 東京オリンピックに向けて、東京のインフラ設備拡張の効果は、順調のようですね、あとは観光客の足をいかに地方へ回して行けるかと思われがちですが、その実はどうなんでしょうか?

 また、普段ニュースで流される東京オリンピックによる、インバウンドでの経済波及効果は当然と言えばそれまでですが、下の記事を見るにつれ、地方への良い影響力の具体的話題には及んでいないと感じて、地方の創生する手を止めている時期なのかも知れません。

 

「バスタ新宿」8月13日の利用者が4万1140人、過去最高を更新 | レスポンス(Response.jp)

response.jp

 

 報道されているのは、従来より東京が持っていた潜在能力の上積みの話題で、地方の活性化努力の結果のニュースは、東京のそれとは財政面でハンディがありすぎなことからも、全く比較にならないばかりか、むしろオリンピック効果と宣伝されるのは、地方の自助努力をスポイルするだけです。

 ただ、それでも地方はこの勢いを少しでも利用して、限られた財政の中で相乗効果を生んでいくしかないでしょうし、その現実に疲れを感じているのなら、私たちは手を動かしながらも、タコツボにハマったような意識を整理する時期なのかも知れませんね。

 

 さて、その相乗効果が期待できるピークとなるオリンピック開催年まで、いよいよ3年となりましたが、早いもので地方の創生は東京での整備計画と異なって、インフラ整備の立ち遅れと相まって、芳しく無い面ばかりが目立っています。

 例えば愛知県などは、堅調な産業で景気は持ちこたえているものの、大村愛知県知事が意気込んでいる、観光立国とまで比喩する施策は、資産潤沢な東京に比べとても順調とは言い難いものです。

 

そんな今こそ足下を見直す?

 一から強化を進める愛知県でさえこの状態ですから、経済地盤の手薄い地方はその下地作りの過酷さは、想像を超えるほどと察することができるでしょうから、本来地方創生は地方主体として立ち上げたとはばからなかった元創生大臣が、現政権からフェードアウトしていったことからも、本来イメージしていた創生事情とは変わっていることを、改めて自覚しなければならないでしょう。

 

news.yahoo.co.jp

名古屋駅からクルーズ? - 中川運河の舟運始まる(中村智彦) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

 ここで、自助努力による地方観光の姿勢やあり方について、ポジティブな事実があることを、皆さんはご存知でしょうか。

 それは京都府の事例なのですが、京都は元々歴史上の話題や国宝級の史跡も多いため、東京のように黙っていても観光客が集まる羨む地域だと思われがちですが、その実京都は明治以降、自助努力の観光施策を徹底した事で、今の地位を獲得しているという事実でしょう。

 

 その経緯は以外に知られているそうなので、ここで詳しく取り上げませんが、明治維新以降天皇の居場所を東へ移されて以来、京都の日本の中心的役割は完全に失って、単なる地方都市になりさがる危機を迎えた時期があったそうです。

 それは当に今の地方創生の危機に重なるような事態だったのですが、地元の資産家や有志の果敢な地元復興の工夫や努力によって、自ら観光都市を目指しシステム化していった結果、今の京都があると言われています。

 

 この事実は、地方観光の雛形としてはとても身近な事例であり、史跡数のハンディはあると言われるかも知れませんが、地元が持っているポテンシャルを、地元愛を持って総力を結集した結果という味方をすれば、地方都市のあるべき姿を見事に映し出しているのは、自明の理でしょう。

 ここで学んだのは、東京オリンピックでの政府施策に乗っかろうとする、他力本願的な地方の姿勢ではなく、地元を愛しそして見直した中で何を引き出せるか、それを学び応用する姿勢だと、理解できればモチベーションもすべきことも、また違った一面を見出すことができると、感じずにはいられません。

 

地方活性化の優位性は、特色を生かしたメディアとの連携

めっきり寒くなってきましたね、今回は地方活性でYoutube動画からみつけた、その兆候が垣間見える面白いローカルCMを掴みに、ご紹介します。

youtu.be

らくのうマザーズCM らくのう牛乳 牛乳ビーム編 - YouTube

 

さて、本題です。 

 東京に集中しがちな海外資本の流れを地方へ流すためには、地域の企業マインドの改革もごもっともだと思いますが、最も大切なことは地方メディアが「東京より早い地方初」の話題をいかに声高に連発できるかにかかっているのですが、どうしても中央メディアとの提携とのしがらみで消極的になりがち。 

 今やTVラジオメディアはネットメディアに追い越された感が、世の中を支配していると思われがちだが、地方では東京とは違って影響力はまだまだ大きいです。

 

 一方で、世界のトレンドでは昆虫食ビジネスがアメリカで注目されたり、一見ぶっ飛んでいるかに思ええますが、地方では蜂やイナゴを食べる習慣が古くからあったり、むしろ東京よりも違和感無いこともあります。

 要は、東京より先にいかに海外の有益なトレンドを、東京より先に持ち込んでドッカーンとアピールできるかに、かかっていると言っても過言でないだけに、地方メディアが果たす役割りは、これまで以上に大きいとも言えます。

 

 地方が抱える最も大きな課題は、未だに続く縦割り行政の常習化であり、今年流行った「忖度」、つまり地方の中央行政にあまりにも従順な悪習慣でしかありません。

 情報発信は東京で、地方は地場産業の維持するような役割分担に準拠する時代ではなく、地方の特色と相性の良い海外情報の導入は、むしろリスクよりメリットが大きくなっている気がします。

 

 そもそも政府が提唱する地方創生は、「中央の予算だけに頼らず、自力で発展してね」という意味合いで始まったものであり、創生進度が鈍化しているのは中央が想定したものより、地方努力の進度がゆっくりなためで、業を煮やした政府関係者はせめて経済成長だけは維持しようと、力点を変えたために、本来の地方への働きかけが鈍ったためです。

 更に中央メディアもフォーカスを地方からそらしてしまったため、伝わるべき関心事が薄れてしまった結果的、更に創生への投資が弱ってしまっている状態でした。

 

 消費税増税を本来の計画通りできなかった、政府の根性の無さが、思うように集まらない税金から捻出されるべき予算を圧迫し、その穴埋めを金利を極限にまで下げつつ企業に求めた事で、明らかに国内のお金の流れが歪んでしまっているのは、残念な顛末でした。

 

 しかし現実的になんとかするには、中央がしてきたあらゆる地方への縛りを、開放しながら地方の流動性によるお金の流れを、正常化する試みは国内全体の経済の流れを自然に戻せる、数少ない試みでしょう。

 その分中央は旨味を失うのでしょうが、一部の既得権益を無くすだけで、埋め合わせできるでしょうから、その程度の痛みは負ってこそ国民の信用が得られると承知して欲しいものです。

 

 それはさておき話を戻しますが、地方は地方で能動的に海外市場に責めて行くべきですし、そのリスクも合わせて全国に先んじて海外トレンドの先取りは、地方産業の自立に大いにプラスになります。

上で紹介した動画などもそうですが、地方でもグローバルメディアを積極的に活用する事例が増えたのは、自立への機運が高まって来た好例ですし、次のステップはその反響をどう活かしていくかにかかっていくのでしょう。

 

 

 

 

2018年に2049年の世界観からみる、私達のリアルすぎる未来の姿

明けまして、おめでとうございます。(*´▽`*)

新たな年に皆さんも、さまざまな思いを実現しようと気持ちを新たにされていらっしゃるでしょう、筆者も生活のバージョンアップに向けて邁進してまいりますので、本年も宜しくお願いいたします。

 

地方名古屋に住んでいる筆者は、昨年まで3年あまり地方創生を扱ってまいりましたが、その間にその成果が政府主導の部分で見られなかったのは、とても残念でした。

www.sbbit.jp

語られなくなった「地方創生」、5か年計画の折り返しを総括する |ビジネス+IT

 

 

去年の話はここまでにして、今年の本ブログの目標は「簡潔さ」で、2017年は書きたいことをたくさん文章にしたかったという欲求にかられ、読む人に煩雑さを押し付ける結果になったように思います、大きな反省点でした。

今年は昨年末から始めたYoutube配信など、別の目線も取り入れながらよりメッセージ性に絞った記事配信を目指します。

 

映画の持つ大きな変化について昨年書きましたが、皆さんも映画のなかに垣間見る「未来像」にはとても関心があるとおもいますので、次の作品を通して未来を考えていきましょう。

 

ブレードランナー2049と、私達の未来像

なぜ『ブレードランナー』はSF映画を“変えた”と言われているのか?
Avanti Press

文=ロサンゼルス在住ライター 鈴木淨/Avanti Press

公開当時は爆発的なヒットとならなかったにも関わらず、後々まで語り継がれる映画がある。1982年公開のリドリー・スコット監督『ブレードランナー』は、SFのジャンルにおけるその代表的な、まさに「カルト的」という言葉がしっくりくる人気を誇り続ける作品だ。

その人気の理由は何か? そして同作は後世に何を残したのか? 35年間を経てお披露目される待望の続編『ブレードランナー 2049』の日本公開を前に、オリジナル作品がもたらした影響力を探っていこう。

ブレードランナー』が影響を受けた映画は?
米国を代表する映画評論家のロジャー・イーバートは、「後世に大きな影響力を及ぼした映画。『メトロポリス』(1926年)や『来るべき世界』(1936年)といった古典作品を下敷きにしながら、未来社会のスタンダードなイメージを確立し、その後のSF映画の流れを変えた」と『ブレードランナー』に賛辞を贈っている。

 

 

ブレードランナー ファイナル・カット』
日本語吹替音声追加収録版 ブルーレイ(3枚組) ¥5,990+税
ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
TM & (c)2017 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.

ともにSF映画すべてのお手本となった古典中の古典、フリッツ・ラング監督『メトロポリス』とウィリアム・キャメロン・メンジース監督『来るべき世界』を引き合いに出して讃えているのは、スコット監督の卓越したヴィジュアル・センスだ。

同作で最も印象的なのは、陰鬱で退廃的な未来都市の映像。酸性雨が降り続き、巨大な着物姿の女性の映像ビルボードや日本語の看板などオリエンタルな要素に溢れた街の光景は、『スター・ウォーズ』(1977年)、『スター・トレック』(1979年)など、それまで主流だったクリーンな宇宙冒険劇で描かれた景観とは、大きく異なっていた。

この未来都市のイメージは、スコット監督が東京を訪れた際に見た、猥雑で煌びやかな夜の新宿歌舞伎町を基にしたと言われている。ちなみに、スコット監督は後に大阪で撮影を行なった『ブラック・レイン』(1989年)でも、当初はロケ地として歌舞伎町を希望していた。

ブレードランナー』が影響を与えた映画とは?
ブレードランナー』は1982年夏の米公開当時、大ヒットSF作『E.T.』(1982年)などに押し出され、興行成績はまったく振るわなかった。にも関わらず、そのダークでカオス的な映像は、その後に作られた多くのSF映画(1985年公開のテリー・ギリアム監督『未来世紀ブラジル』、1998年のポール・アンダーソン監督『ソルジャー』、2002年のスティーヴン・スピルバーグ監督『マイノリティ・リポート』、最近では今年公開された『ゴースト・イン・ザ・シェル』に至るまで)に大きな影響を与え、1993年には国が文化的、歴史的、芸術的に重要な映像作品を永久保存する制度であるアメリカ国立フィルム登録簿に登録されるまでになった。

映像面で重要と評価されたのは、都市部の景観だけではない。「リドリーの地獄絵図」と呼ばれるオープニングの、噴き出す炎が見通せるロサンゼルスの広漠たる眺めもそう。そして、実は模型制作主任のマーク・ステットソンが手がけた模型であるエジプト風の巨大な光の神殿も色褪せない魅力を放っている。

 

ブレードランナー ファイナル・カット』より
TM & (c)2017 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.

そのほか全編を通して、一度見たら忘れられないような虚無的で美しいシーンが続く。街頭シーンの撮影の間、スコット監督はゆっくりとした薄気味の悪い音楽を頭上のスピーカーから流し、主演のハリソン・フォードらキャストを含む現場の全員の気分を乗せようとしたという。そんな工夫の積み重ねもあって、『ブレードランナー』は映画史上最もヴィジュアルの見事な作品と呼ばれる映画となった。

 

本作の監督、リドリー・スコット氏は筆者が好きなクリエーターの一人ですが、氏の未来嗜好は一般にはクセがあってユニークですね。

本格的3D映画として話題になった「アバター」やダークな未来像を描く「エイリアン」も含め、多くの示唆が隠されていてある種の知的好奇心を刺激してくれます。

 

この未来像へのヒントを数多く与えてくれる映画監督にスティーブン・スピルバーグ氏がいますが、氏の作品中でも「マイノリティ・リポート」の衝撃は今になって実感され、作品中で描かれた未来では既にいくつかは実現してしまいましたね。

交通システムについては、技術的には目処が立っていて今当にしれつな標準化を巡る競争が繰り広げているところですが、トリハダがたつのは網膜認証の社会と、犯罪取り締まりのシステム化の実現でしょう。

 

作品のように超能力をもった新人類が核になっていはいませんが、その役割をAIが担って既に犯罪の判断や管理システムは、アメリカで既に実行されていますし、ブレードランナーでもこの点はかなり正確に映像化していましたね。

これらの作品のように、映像クリエーターが担っているのは単なるスポンサー企業の宣伝効果を期待するだけでなく、そのリアルな表現技術で見るものを未来の仮想現実の世界に、巧みに引き込める強力な時代創造ツールに進化し始めた、ということなんでしょうね。

 

今年のまとめ:大きくかわる「映像メディア」の可能性。

 12月15日毎年恒例の映画「スターウォーズ」最新作最後のジェダイが公開され、筆者も一大イベント体験に参加してきました。

ネタバレもあるので、控えていましたが年末押した今ならもう大丈夫でしょう。多くの熱烈なファンに圧倒されつつ、筆者も限定グッズに惹かれて数点購入するなど、他の映画公開初日とは明らかに異次元の盛り上がりでした。

 

 公開された新作は結果さまざまな物議を醸し出し、よくも悪くも盛り上がっているように、ストーリーそのものやファンにとっても「世代引き継ぎ」の作品になっていたように感じますし、多くのファンも実感されたことと思います。 

この作品はファンは基より、映画好きにとっても映画の未来を背負うほど影響力は甚大ですが、さまざまな示唆を含む中で主人公「ルーク・スカイウォーカー」が名作、創世記の「十戒」に見るような壮大な叙事詩的作品として、心より楽しみました。

bunshun.jp

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」本当はこうして欲しかった!「理想のクライマック_____ス」を妄想する | 文春オンライン

 

cinema.ne.jp

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の疑問点を解説!空白の30年に何が?C-3POの腕はなぜ赤い? | シネマズ by 松竹

 

さて、映像メディアは今年最も様変わりしたもののひとつで、ディズニーに買い取られたこの作品に限らず、ハリウッド映画メディアは私たちにとって新しい意味を持とうとしています。

ITやAIの超速進化で、社会の構造はいっきに様変わりしている中で、映像メディアの果たす役割も単なる娯楽から、今後の未来をより現実的に知らせてくれるナビゲーターとしての重要な手段になりました。

 

生活や文化・慣習の一つである映画娯楽の変化があったように、あらゆるメディアも多様化していくでしょうし、それはそれで良いことですが、一方で多様化しすぎて選択に戸惑う人も多いのではないでしょうか。

これこそ映像メディアを楽しむ私たちにとっての「世代交代」であり、筆者の世代ならば、映画を身近にしてくれた功労者に、映画評論家の淀川長治さんや水野晴郎さんは忘れられませんね、新しいメディアへの期待と同時に、両氏が亡き今は香り豊かな映像文化の伝道師が見当たらないのも、とても寂しくお思います。

 

 

見る側を映画の世界に導く伝道師たちの今は、関連する職業の裾野も広がり多岐に渡っているようで、この映画評論家も自称含め、いろんな方々がいらっしゃいますが、その中で映画好きにとってとても苦になるのが、酷評しかしない評論家が現存することです。

収益が上がってこそ正義で、筆者のような稼ぎの無いものがとやかく言うものではないかもしれません、しかしあまりのひどさに悪態をつきたく成る程その徹底ぶりは底なしであり、せっかくの映画鑑賞の動機が消え失せてしまうものが混ざっているのは、残念でなりません。

 

評論家も食うための糧となれば、様々な表現を駆使しなければ生きていけないのは、現実的に仕方のないことかもしれませんが、読むものに一見寄り添う素振りを見せながら、それを弄ぶかのように読者を落とし込むやり方は、彼らにしては「ドヤ」技かもしれませんが、決してそこから生産性は上がりません。

百歩ゆずって、その代わりこれをオススメするとかの、独自な視点を提案して見せればまだ救われるものの、単なる自分を押し売りする度の強い方は、素人と目線が同じとしか感じられませんでした。

 

あまりに今の評論家職は、競争もあってか無法地帯におちいっているのでしょうか、業界的にはデメリットしか伺えないと思うのは筆者だけではないでしょうし、そもそも飽和した業種にしがみつかなければ生きられないと、決めつけている選択方法が問題なのかもしれません。

今はちょうど既存の職業形態の淘汰が始まっている時代、今後AIさえライバルになるであろう時代に、新しい仕事を創造する課題をこれからの大人たちは体験していきます。

 

その点でこれからを担う子供たちは、前向きにはいいタイミングかもしれませんし、今リアルに直面する大人には、大変なんだとへこむことも多いと思いますが、時代を創る責任を自覚できているかどうかは、自然と自分の仕事スタイルに、鏡のように映って見えていると自覚したいし、ひとりでも多くの前向きな人が増えるよう協力していきたいです。

これは筆者が単に評論家顔して、ブログを書いていることにも大きな意味をもっていますが、こんなヘタレでも一人でも多くの人に「前向きさ」を伝えることができればと思いと、少なくとも害ではないと自らを奮い立たせながら、こうした日々をすごせる平和な今に感謝しながら、継続していきたいと実感しています。

 

今年は、スクリーン映画を見にいく機会が増えり、Youtubeデビューで製作者側として参加できたなど、筆者世代がTVっ子世代なだけにこれからの映像メディアの持つメッセージ性を、陰ながら追っていきたいと気持ちを新たにしています。

そして来年もより多くの「新しいこと」に積極的に触れて、いいこともわるいこともひっくるめて、少しでも未来を体感していければと思っています。 

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

「地方にやっかいな闇」国税長官答弁の裏話?●

 トヨタ自動車(愛知県豊田市)が、自社系列ではありますが、社員福祉として結婚・要介護社員への移転の際に就職紹介などの支援を開始しているとわかりました。

 

東京新聞:トヨタ系列390社 転居先の就職紹介:経済(TOKYO Web)

www.tokyo-np.co.jp

 こうした地元企業で働く社員への福利厚生の改善は、大手企業ならではなのかもしれませんが、景気好転のメリットとして、単に価格値下げや給料アップなどの効果とは違った面での社会還元も、期待していきたいものです。

 

 さて話は変わって今回は、地方創生のさまざまな努力がなされる中で、このブログでも中央と地方の古い慣習や慣例による障害についてうたってきましたが、その延長線上にあるメジャーな問題について取り上げたいと思います。

 地方の産業などの問題解決において、地方の自治や企業がお上に陳情するシーンは、幾度とも挙げられて居て、中央にメリットがあればそこに天下りシステムと差し替えに、多額の財政を振り分ける図式は慣例化されてきました。

 

_【森友学園】佐川国税庁長官の国会答弁を覆す音声データ完全公開! | ハーバービジネスオンライン

hbol.jp

 上の関西で起こっている有名な事件も、そういった中央と地方官民の悪しき慣例によって起こった問題ですが、地方に住む私たちは直接恩恵や被害を被ることが、ほぼないことから他人事として認知していたり、または茶飯事に起こるこれらの茶番に辟易して、関心が慢性化しがちです。

 紹介記事の見せ場は、籠池夫妻の個人的犯罪へとシフトしようとしているタイミングで、矛先をそらさせまいと関西メディアが決定的なネタをつかんだことで、やはり政府側の裏に潜む問題へと差し戻そうとする、「地方の意地」が見て取れます。

 

 おそらく中央系列のメディアだけであれば、地方の個人不正問題で片付けられるであろうこの疑獄とも言える事件は、地元ならではの情報ネットワークが功を奏している好例でしょう。

手前味噌ですが、地元の中日新聞(全国では東京新聞に当たります)が、他紙が軒並み左へ傾く傾向がある中で、取り上げるべき問題をバランスの良い視点で記事っているのと似ています。

 

 こうした事件を追うメディア・マスコミはさまざまながしがらみの中で、さまざまなが視点で記事を流していますが、ネットも相まって情報過多に陥っている今の時代に、そもそも読者目線の記事を求めることが、可能なのか否かはとても悩ましい時代ではあります。

 しかし、かつてヒットをとばした「踊る大走査線 ザ・ムービー」の青島刑事が放った名言は、こうした問題に対して今も心にシミルものがあります。

 

「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きてるんだ!」

【完全版】『踊る大捜査線』の名セリフ・名言集 - The Word

jp-word.net

 

 話が逸れましたが、私たちが現に生活している地方の問題や課題を、真剣に取り上げようとしているのは、結局中央の政治家やメディアではなく、地方の自治体やメディアで働く人たちなんだんだなとしみじみ思うと同時に、実際に政治家にしてもマスコミで働く人にしても、自分の生活に影響してこない話題に真剣みを持つ必要は、さらさら無いという事です。

 そのあたり前の事実に気づいた時に、地方に住まう人がどう考えどう行動すべきかは自ずとはっきりするわけで、こうした事件が他人事でないことを、じつは他人事になんとなく思ってしまう、情報感覚を麻痺させる時代は恐ろしいもので、その自覚をわすれずに災害対策と合わせて地域に降りかかる災難を、しっかり自覚したいです。