くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

子どもの正義を軽視する非現実、それを解決するとてもシンプルな現実

昨年末に突然吹き荒れた「セクハラメーカー征伐」の動きは、弱者・マイノリティの新しい可能性をみせてくれましたが、筆者が注目したのは女性政治家小池百合子氏の動きでした。

氏はそのあまりにも強引な進め方がバッシングの的になり、本筋として実現しようとした女性マイノリティー改善の思いは、失脚で遠のいてその結果は男性社会路線は変わらず、母子をはじめ女性の生活環境カイゼンは旧態依然の焼き直しに帰結したと言わざるを得ません。

 

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それは本当に「虐待」ですか?二児の母が突然逮捕・起訴されるまで(柳原 三佳) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 

数面前から、子供を持つ夫婦で男性が父権を放棄した結果、母親が単独で子育てする環境問題と、子育ての母親への風当たりの強さが際立って見えてしまっている現状、加えてそんな家庭への第三者介入が、問題解決をいかに難しくややこしくしているかを目の当たりにしています。

 たとえご父母健在であっても、子育てをする母子・父子にとって、現状を理解するすべを持たないまま第三者が、単なる一般常識だけで介入するのは、それがたとえ子どもの人権を優先するためとはいえ、家族のプライバシーを犯す危険もはらんでいます。

 

井戸端でなくネットであることないこと愚痴れる環境は、同じネットで手軽に得られる生活の知恵情報のメリットを凌駕するほどのデメリットとなっている今、弱い家庭から順により孤立化するのを防ぐために、国をあげてネットでの信用できる生活ノウハウの提供環境は、最低限保証されるべきでしょう。

子育てに関与していない大人が増えたことで、主権のバランスの変化で弱い家庭の何の罪もない子どもたちに、当たり前だった子どもらしく振舞う権利は力を失い、子どもの活気ある声さえ疎まれ、弾丸のように浴びせられる苦情が通る理不尽さは、アフリカやアジアの一部で起きている虐待と大差ないほど、かつて子育てには当たり前だった風景は、常識ではなくなってしまいました。

 

主に女性には深刻なセクハラ問題がこれほど反響を大きくしているのは、アメリカの政治事情に関与しているとはいえ、一石を投じたことは事実ですので、一定の評価は惜しみませんが、世界中で一向に減らない幼児虐待は、依然としてマイノリティーなままですし、子どもの生きる権利が、大人の都合による子どもたちの悲劇は変わりません。

その解決のカギはとてもシンプルなところにあると思うのですが、目の前に差し当たる自分の問題解決で精一杯な大人は、そのシンプルな答えにさえ目を向けられないでいます。

 

今の大人だってかつては赤ちゃんや子どもだったはずですし、結果命が残っているからこそ今そこに存在できていて、その事実は当時の大人の寛容さがあったからこそ、今の自分が在ること、その現実と奇跡\\奇蹟を私たちは忘れてはいませんか。

それさえ気づけば、見て見ぬ振りをするのもイジメとわかるし、子どもに悪意に手を出す気も失せるハズではないですか?むしろ「生」に感謝し、その奇跡を次に残そうと行動もっともシンプルな事実なのですから。