くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

地方観光、実のりはあるのか?

東京は順調、でも地方は?

 東京オリンピックに向けて、東京のインフラ設備拡張の効果は、順調のようですね、あとは観光客の足をいかに地方へ回して行けるかと思われがちですが、その実はどうなんでしょうか?

 また、普段ニュースで流される東京オリンピックによる、インバウンドでの経済波及効果は当然と言えばそれまでですが、下の記事を見るにつれ、地方への良い影響力の具体的話題には及んでいないと感じて、地方の創生する手を止めている時期なのかも知れません。

 

「バスタ新宿」8月13日の利用者が4万1140人、過去最高を更新 | レスポンス(Response.jp)

response.jp

 

 報道されているのは、従来より東京が持っていた潜在能力の上積みの話題で、地方の活性化努力の結果のニュースは、東京のそれとは財政面でハンディがありすぎなことからも、全く比較にならないばかりか、むしろオリンピック効果と宣伝されるのは、地方の自助努力をスポイルするだけです。

 ただ、それでも地方はこの勢いを少しでも利用して、限られた財政の中で相乗効果を生んでいくしかないでしょうし、その現実に疲れを感じているのなら、私たちは手を動かしながらも、タコツボにハマったような意識を整理する時期なのかも知れませんね。

 

 さて、その相乗効果が期待できるピークとなるオリンピック開催年まで、いよいよ3年となりましたが、早いもので地方の創生は東京での整備計画と異なって、インフラ整備の立ち遅れと相まって、芳しく無い面ばかりが目立っています。

 例えば愛知県などは、堅調な産業で景気は持ちこたえているものの、大村愛知県知事が意気込んでいる、観光立国とまで比喩する施策は、資産潤沢な東京に比べとても順調とは言い難いものです。

 

そんな今こそ足下を見直す?

 一から強化を進める愛知県でさえこの状態ですから、経済地盤の手薄い地方はその下地作りの過酷さは、想像を超えるほどと察することができるでしょうから、本来地方創生は地方主体として立ち上げたとはばからなかった元創生大臣が、現政権からフェードアウトしていったことからも、本来イメージしていた創生事情とは変わっていることを、改めて自覚しなければならないでしょう。

 

news.yahoo.co.jp

名古屋駅からクルーズ? - 中川運河の舟運始まる(中村智彦) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

 ここで、自助努力による地方観光の姿勢やあり方について、ポジティブな事実があることを、皆さんはご存知でしょうか。

 それは京都府の事例なのですが、京都は元々歴史上の話題や国宝級の史跡も多いため、東京のように黙っていても観光客が集まる羨む地域だと思われがちですが、その実京都は明治以降、自助努力の観光施策を徹底した事で、今の地位を獲得しているという事実でしょう。

 

 その経緯は以外に知られているそうなので、ここで詳しく取り上げませんが、明治維新以降天皇の居場所を東へ移されて以来、京都の日本の中心的役割は完全に失って、単なる地方都市になりさがる危機を迎えた時期があったそうです。

 それは当に今の地方創生の危機に重なるような事態だったのですが、地元の資産家や有志の果敢な地元復興の工夫や努力によって、自ら観光都市を目指しシステム化していった結果、今の京都があると言われています。

 

 この事実は、地方観光の雛形としてはとても身近な事例であり、史跡数のハンディはあると言われるかも知れませんが、地元が持っているポテンシャルを、地元愛を持って総力を結集した結果という味方をすれば、地方都市のあるべき姿を見事に映し出しているのは、自明の理でしょう。

 ここで学んだのは、東京オリンピックでの政府施策に乗っかろうとする、他力本願的な地方の姿勢ではなく、地元を愛しそして見直した中で何を引き出せるか、それを学び応用する姿勢だと、理解できればモチベーションもすべきことも、また違った一面を見出すことができると、感じずにはいられません。

 

地方活性化の優位性は、特色を生かしたメディアとの連携

めっきり寒くなってきましたね、今回は地方活性でYoutube動画からみつけた、その兆候が垣間見える面白いローカルCMを掴みに、ご紹介します。

youtu.be

らくのうマザーズCM らくのう牛乳 牛乳ビーム編 - YouTube

 

さて、本題です。 

 東京に集中しがちな海外資本の流れを地方へ流すためには、地域の企業マインドの改革もごもっともだと思いますが、最も大切なことは地方メディアが「東京より早い地方初」の話題をいかに声高に連発できるかにかかっているのですが、どうしても中央メディアとの提携とのしがらみで消極的になりがち。 

 今やTVラジオメディアはネットメディアに追い越された感が、世の中を支配していると思われがちだが、地方では東京とは違って影響力はまだまだ大きいです。

 

 一方で、世界のトレンドでは昆虫食ビジネスがアメリカで注目されたり、一見ぶっ飛んでいるかに思ええますが、地方では蜂やイナゴを食べる習慣が古くからあったり、むしろ東京よりも違和感無いこともあります。

 要は、東京より先にいかに海外の有益なトレンドを、東京より先に持ち込んでドッカーンとアピールできるかに、かかっていると言っても過言でないだけに、地方メディアが果たす役割りは、これまで以上に大きいとも言えます。

 

 地方が抱える最も大きな課題は、未だに続く縦割り行政の常習化であり、今年流行った「忖度」、つまり地方の中央行政にあまりにも従順な悪習慣でしかありません。

 情報発信は東京で、地方は地場産業の維持するような役割分担に準拠する時代ではなく、地方の特色と相性の良い海外情報の導入は、むしろリスクよりメリットが大きくなっている気がします。

 

 そもそも政府が提唱する地方創生は、「中央の予算だけに頼らず、自力で発展してね」という意味合いで始まったものであり、創生進度が鈍化しているのは中央が想定したものより、地方努力の進度がゆっくりなためで、業を煮やした政府関係者はせめて経済成長だけは維持しようと、力点を変えたために、本来の地方への働きかけが鈍ったためです。

 更に中央メディアもフォーカスを地方からそらしてしまったため、伝わるべき関心事が薄れてしまった結果的、更に創生への投資が弱ってしまっている状態でした。

 

 消費税増税を本来の計画通りできなかった、政府の根性の無さが、思うように集まらない税金から捻出されるべき予算を圧迫し、その穴埋めを金利を極限にまで下げつつ企業に求めた事で、明らかに国内のお金の流れが歪んでしまっているのは、残念な顛末でした。

 

 しかし現実的になんとかするには、中央がしてきたあらゆる地方への縛りを、開放しながら地方の流動性によるお金の流れを、正常化する試みは国内全体の経済の流れを自然に戻せる、数少ない試みでしょう。

 その分中央は旨味を失うのでしょうが、一部の既得権益を無くすだけで、埋め合わせできるでしょうから、その程度の痛みは負ってこそ国民の信用が得られると承知して欲しいものです。

 

 それはさておき話を戻しますが、地方は地方で能動的に海外市場に責めて行くべきですし、そのリスクも合わせて全国に先んじて海外トレンドの先取りは、地方産業の自立に大いにプラスになります。

上で紹介した動画などもそうですが、地方でもグローバルメディアを積極的に活用する事例が増えたのは、自立への機運が高まって来た好例ですし、次のステップはその反響をどう活かしていくかにかかっていくのでしょう。

 

 

 

 

2018年に2049年の世界観からみる、私達のリアルすぎる未来の姿

明けまして、おめでとうございます。(*´▽`*)

新たな年に皆さんも、さまざまな思いを実現しようと気持ちを新たにされていらっしゃるでしょう、筆者も生活のバージョンアップに向けて邁進してまいりますので、本年も宜しくお願いいたします。

 

地方名古屋に住んでいる筆者は、昨年まで3年あまり地方創生を扱ってまいりましたが、その間にその成果が政府主導の部分で見られなかったのは、とても残念でした。

www.sbbit.jp

語られなくなった「地方創生」、5か年計画の折り返しを総括する |ビジネス+IT

 

 

去年の話はここまでにして、今年の本ブログの目標は「簡潔さ」で、2017年は書きたいことをたくさん文章にしたかったという欲求にかられ、読む人に煩雑さを押し付ける結果になったように思います、大きな反省点でした。

今年は昨年末から始めたYoutube配信など、別の目線も取り入れながらよりメッセージ性に絞った記事配信を目指します。

 

映画の持つ大きな変化について昨年書きましたが、皆さんも映画のなかに垣間見る「未来像」にはとても関心があるとおもいますので、次の作品を通して未来を考えていきましょう。

 

ブレードランナー2049と、私達の未来像

なぜ『ブレードランナー』はSF映画を“変えた”と言われているのか?
Avanti Press

文=ロサンゼルス在住ライター 鈴木淨/Avanti Press

公開当時は爆発的なヒットとならなかったにも関わらず、後々まで語り継がれる映画がある。1982年公開のリドリー・スコット監督『ブレードランナー』は、SFのジャンルにおけるその代表的な、まさに「カルト的」という言葉がしっくりくる人気を誇り続ける作品だ。

その人気の理由は何か? そして同作は後世に何を残したのか? 35年間を経てお披露目される待望の続編『ブレードランナー 2049』の日本公開を前に、オリジナル作品がもたらした影響力を探っていこう。

ブレードランナー』が影響を受けた映画は?
米国を代表する映画評論家のロジャー・イーバートは、「後世に大きな影響力を及ぼした映画。『メトロポリス』(1926年)や『来るべき世界』(1936年)といった古典作品を下敷きにしながら、未来社会のスタンダードなイメージを確立し、その後のSF映画の流れを変えた」と『ブレードランナー』に賛辞を贈っている。

 

 

ブレードランナー ファイナル・カット』
日本語吹替音声追加収録版 ブルーレイ(3枚組) ¥5,990+税
ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
TM & (c)2017 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.

ともにSF映画すべてのお手本となった古典中の古典、フリッツ・ラング監督『メトロポリス』とウィリアム・キャメロン・メンジース監督『来るべき世界』を引き合いに出して讃えているのは、スコット監督の卓越したヴィジュアル・センスだ。

同作で最も印象的なのは、陰鬱で退廃的な未来都市の映像。酸性雨が降り続き、巨大な着物姿の女性の映像ビルボードや日本語の看板などオリエンタルな要素に溢れた街の光景は、『スター・ウォーズ』(1977年)、『スター・トレック』(1979年)など、それまで主流だったクリーンな宇宙冒険劇で描かれた景観とは、大きく異なっていた。

この未来都市のイメージは、スコット監督が東京を訪れた際に見た、猥雑で煌びやかな夜の新宿歌舞伎町を基にしたと言われている。ちなみに、スコット監督は後に大阪で撮影を行なった『ブラック・レイン』(1989年)でも、当初はロケ地として歌舞伎町を希望していた。

ブレードランナー』が影響を与えた映画とは?
ブレードランナー』は1982年夏の米公開当時、大ヒットSF作『E.T.』(1982年)などに押し出され、興行成績はまったく振るわなかった。にも関わらず、そのダークでカオス的な映像は、その後に作られた多くのSF映画(1985年公開のテリー・ギリアム監督『未来世紀ブラジル』、1998年のポール・アンダーソン監督『ソルジャー』、2002年のスティーヴン・スピルバーグ監督『マイノリティ・リポート』、最近では今年公開された『ゴースト・イン・ザ・シェル』に至るまで)に大きな影響を与え、1993年には国が文化的、歴史的、芸術的に重要な映像作品を永久保存する制度であるアメリカ国立フィルム登録簿に登録されるまでになった。

映像面で重要と評価されたのは、都市部の景観だけではない。「リドリーの地獄絵図」と呼ばれるオープニングの、噴き出す炎が見通せるロサンゼルスの広漠たる眺めもそう。そして、実は模型制作主任のマーク・ステットソンが手がけた模型であるエジプト風の巨大な光の神殿も色褪せない魅力を放っている。

 

ブレードランナー ファイナル・カット』より
TM & (c)2017 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.

そのほか全編を通して、一度見たら忘れられないような虚無的で美しいシーンが続く。街頭シーンの撮影の間、スコット監督はゆっくりとした薄気味の悪い音楽を頭上のスピーカーから流し、主演のハリソン・フォードらキャストを含む現場の全員の気分を乗せようとしたという。そんな工夫の積み重ねもあって、『ブレードランナー』は映画史上最もヴィジュアルの見事な作品と呼ばれる映画となった。

 

本作の監督、リドリー・スコット氏は筆者が好きなクリエーターの一人ですが、氏の未来嗜好は一般にはクセがあってユニークですね。

本格的3D映画として話題になった「アバター」やダークな未来像を描く「エイリアン」も含め、多くの示唆が隠されていてある種の知的好奇心を刺激してくれます。

 

この未来像へのヒントを数多く与えてくれる映画監督にスティーブン・スピルバーグ氏がいますが、氏の作品中でも「マイノリティ・リポート」の衝撃は今になって実感され、作品中で描かれた未来では既にいくつかは実現してしまいましたね。

交通システムについては、技術的には目処が立っていて今当にしれつな標準化を巡る競争が繰り広げているところですが、トリハダがたつのは網膜認証の社会と、犯罪取り締まりのシステム化の実現でしょう。

 

作品のように超能力をもった新人類が核になっていはいませんが、その役割をAIが担って既に犯罪の判断や管理システムは、アメリカで既に実行されていますし、ブレードランナーでもこの点はかなり正確に映像化していましたね。

これらの作品のように、映像クリエーターが担っているのは単なるスポンサー企業の宣伝効果を期待するだけでなく、そのリアルな表現技術で見るものを未来の仮想現実の世界に、巧みに引き込める強力な時代創造ツールに進化し始めた、ということなんでしょうね。

 

今年のまとめ:大きくかわる「映像メディア」の可能性。

 12月15日毎年恒例の映画「スターウォーズ」最新作最後のジェダイが公開され、筆者も一大イベント体験に参加してきました。

ネタバレもあるので、控えていましたが年末押した今ならもう大丈夫でしょう。多くの熱烈なファンに圧倒されつつ、筆者も限定グッズに惹かれて数点購入するなど、他の映画公開初日とは明らかに異次元の盛り上がりでした。

 

 公開された新作は結果さまざまな物議を醸し出し、よくも悪くも盛り上がっているように、ストーリーそのものやファンにとっても「世代引き継ぎ」の作品になっていたように感じますし、多くのファンも実感されたことと思います。 

この作品はファンは基より、映画好きにとっても映画の未来を背負うほど影響力は甚大ですが、さまざまな示唆を含む中で主人公「ルーク・スカイウォーカー」が名作、創世記の「十戒」に見るような壮大な叙事詩的作品として、心より楽しみました。

bunshun.jp

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」本当はこうして欲しかった!「理想のクライマック_____ス」を妄想する | 文春オンライン

 

cinema.ne.jp

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の疑問点を解説!空白の30年に何が?C-3POの腕はなぜ赤い? | シネマズ by 松竹

 

さて、映像メディアは今年最も様変わりしたもののひとつで、ディズニーに買い取られたこの作品に限らず、ハリウッド映画メディアは私たちにとって新しい意味を持とうとしています。

ITやAIの超速進化で、社会の構造はいっきに様変わりしている中で、映像メディアの果たす役割も単なる娯楽から、今後の未来をより現実的に知らせてくれるナビゲーターとしての重要な手段になりました。

 

生活や文化・慣習の一つである映画娯楽の変化があったように、あらゆるメディアも多様化していくでしょうし、それはそれで良いことですが、一方で多様化しすぎて選択に戸惑う人も多いのではないでしょうか。

これこそ映像メディアを楽しむ私たちにとっての「世代交代」であり、筆者の世代ならば、映画を身近にしてくれた功労者に、映画評論家の淀川長治さんや水野晴郎さんは忘れられませんね、新しいメディアへの期待と同時に、両氏が亡き今は香り豊かな映像文化の伝道師が見当たらないのも、とても寂しくお思います。

 

 

見る側を映画の世界に導く伝道師たちの今は、関連する職業の裾野も広がり多岐に渡っているようで、この映画評論家も自称含め、いろんな方々がいらっしゃいますが、その中で映画好きにとってとても苦になるのが、酷評しかしない評論家が現存することです。

収益が上がってこそ正義で、筆者のような稼ぎの無いものがとやかく言うものではないかもしれません、しかしあまりのひどさに悪態をつきたく成る程その徹底ぶりは底なしであり、せっかくの映画鑑賞の動機が消え失せてしまうものが混ざっているのは、残念でなりません。

 

評論家も食うための糧となれば、様々な表現を駆使しなければ生きていけないのは、現実的に仕方のないことかもしれませんが、読むものに一見寄り添う素振りを見せながら、それを弄ぶかのように読者を落とし込むやり方は、彼らにしては「ドヤ」技かもしれませんが、決してそこから生産性は上がりません。

百歩ゆずって、その代わりこれをオススメするとかの、独自な視点を提案して見せればまだ救われるものの、単なる自分を押し売りする度の強い方は、素人と目線が同じとしか感じられませんでした。

 

あまりに今の評論家職は、競争もあってか無法地帯におちいっているのでしょうか、業界的にはデメリットしか伺えないと思うのは筆者だけではないでしょうし、そもそも飽和した業種にしがみつかなければ生きられないと、決めつけている選択方法が問題なのかもしれません。

今はちょうど既存の職業形態の淘汰が始まっている時代、今後AIさえライバルになるであろう時代に、新しい仕事を創造する課題をこれからの大人たちは体験していきます。

 

その点でこれからを担う子供たちは、前向きにはいいタイミングかもしれませんし、今リアルに直面する大人には、大変なんだとへこむことも多いと思いますが、時代を創る責任を自覚できているかどうかは、自然と自分の仕事スタイルに、鏡のように映って見えていると自覚したいし、ひとりでも多くの前向きな人が増えるよう協力していきたいです。

これは筆者が単に評論家顔して、ブログを書いていることにも大きな意味をもっていますが、こんなヘタレでも一人でも多くの人に「前向きさ」を伝えることができればと思いと、少なくとも害ではないと自らを奮い立たせながら、こうした日々をすごせる平和な今に感謝しながら、継続していきたいと実感しています。

 

今年は、スクリーン映画を見にいく機会が増えり、Youtubeデビューで製作者側として参加できたなど、筆者世代がTVっ子世代なだけにこれからの映像メディアの持つメッセージ性を、陰ながら追っていきたいと気持ちを新たにしています。

そして来年もより多くの「新しいこと」に積極的に触れて、いいこともわるいこともひっくるめて、少しでも未来を体感していければと思っています。 

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

「地方にやっかいな闇」国税長官答弁の裏話?●

 トヨタ自動車(愛知県豊田市)が、自社系列ではありますが、社員福祉として結婚・要介護社員への移転の際に就職紹介などの支援を開始しているとわかりました。

 

東京新聞:トヨタ系列390社 転居先の就職紹介:経済(TOKYO Web)

www.tokyo-np.co.jp

 こうした地元企業で働く社員への福利厚生の改善は、大手企業ならではなのかもしれませんが、景気好転のメリットとして、単に価格値下げや給料アップなどの効果とは違った面での社会還元も、期待していきたいものです。

 

 さて話は変わって今回は、地方創生のさまざまな努力がなされる中で、このブログでも中央と地方の古い慣習や慣例による障害についてうたってきましたが、その延長線上にあるメジャーな問題について取り上げたいと思います。

 地方の産業などの問題解決において、地方の自治や企業がお上に陳情するシーンは、幾度とも挙げられて居て、中央にメリットがあればそこに天下りシステムと差し替えに、多額の財政を振り分ける図式は慣例化されてきました。

 

_【森友学園】佐川国税庁長官の国会答弁を覆す音声データ完全公開! | ハーバービジネスオンライン

hbol.jp

 上の関西で起こっている有名な事件も、そういった中央と地方官民の悪しき慣例によって起こった問題ですが、地方に住む私たちは直接恩恵や被害を被ることが、ほぼないことから他人事として認知していたり、または茶飯事に起こるこれらの茶番に辟易して、関心が慢性化しがちです。

 紹介記事の見せ場は、籠池夫妻の個人的犯罪へとシフトしようとしているタイミングで、矛先をそらさせまいと関西メディアが決定的なネタをつかんだことで、やはり政府側の裏に潜む問題へと差し戻そうとする、「地方の意地」が見て取れます。

 

 おそらく中央系列のメディアだけであれば、地方の個人不正問題で片付けられるであろうこの疑獄とも言える事件は、地元ならではの情報ネットワークが功を奏している好例でしょう。

手前味噌ですが、地元の中日新聞(全国では東京新聞に当たります)が、他紙が軒並み左へ傾く傾向がある中で、取り上げるべき問題をバランスの良い視点で記事っているのと似ています。

 

 こうした事件を追うメディア・マスコミはさまざまながしがらみの中で、さまざまなが視点で記事を流していますが、ネットも相まって情報過多に陥っている今の時代に、そもそも読者目線の記事を求めることが、可能なのか否かはとても悩ましい時代ではあります。

 しかし、かつてヒットをとばした「踊る大走査線 ザ・ムービー」の青島刑事が放った名言は、こうした問題に対して今も心にシミルものがあります。

 

「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きてるんだ!」

【完全版】『踊る大捜査線』の名セリフ・名言集 - The Word

jp-word.net

 

 話が逸れましたが、私たちが現に生活している地方の問題や課題を、真剣に取り上げようとしているのは、結局中央の政治家やメディアではなく、地方の自治体やメディアで働く人たちなんだんだなとしみじみ思うと同時に、実際に政治家にしてもマスコミで働く人にしても、自分の生活に影響してこない話題に真剣みを持つ必要は、さらさら無いという事です。

 そのあたり前の事実に気づいた時に、地方に住まう人がどう考えどう行動すべきかは自ずとはっきりするわけで、こうした事件が他人事でないことを、じつは他人事になんとなく思ってしまう、情報感覚を麻痺させる時代は恐ろしいもので、その自覚をわすれずに災害対策と合わせて地域に降りかかる災難を、しっかり自覚したいです。

 

メイカーズピア店舗撤退、の真相、原因は地元に?

 名古屋市港区の金城跡地で今年の4月にオープンした「レゴランド」。

その知名度の大きさを見越して近隣空き地の有効利用に、併設モールとして鳴り物入りで、レゴランドより先行オープンした「メイカーズ・ピア」が、5月時点の売り上げが伸びなかったとの理由で、数店舗の撤退がニュースされた件で記事ります。

 

メイカーズピアで店舗の撤退相次ぐ 名古屋 | CBC NEWS(CBCニュース) | CBCテレビ

hicbc.com

 

  そもそも事前取り決めでどの程度タイトな目論見があったのかわかりませんが、レゴランドに対しが今月末で100万人入場者達成の発表があったこと片しても、決してレゴランドに責任があったとは考えられないし、むしろレゴランドの勢いを十分に活かせなかったのじは、運営会社の責任としか言いようがないですよね。

 

 その運営会社は、レゴランドとは独立したイベント運営で盛り返すとの話ですが、本来売れ行きをレゴランドに丸かぶりというのはおかしい話ですし、もとより独自で運営し利益を上げるのが筋なので、なぜ今更のように、言い訳のように発表があったのでしょうか。

 この話は、メイカーズピアに関わらず国内の企業運営の失態話に往々に見受けられる特徴と言えるかもしれないと思って、取り上げました。

 

 その背景には、共通のビジョンとして、起業時の運営計画自体が計画通りにできていないことを感じさせます。

 計画通りにいかなかった原因は、さまざまあるでしょうが、5がつにすでに雲行きがおかしかったと分かっていたのなら、その時点で対策を取っていると思うのですは、今回の2度目の改善が活かされるかどうかは、1度目の失敗をどう分析したかにかかっています。

 

 その反省も含めて、今後の2度目の改善ロードマップは、関連企業はもちろん自治体の名古屋市や、できれば市民にもある程度説明してほしいものです。

 これは、事業を透明化して、公共事業がらみでもよくあった不正の発見や、問題発覚時にスピード対処できる効果が期待できるからです。

 

 名古屋市民としては、土地貸借料さえいただければ痛みはないのですが、名古屋市としてはイメージダウンのデメリットは看過できませんから、それなりにプレッシャーはかけていかなければなりません。

 なにより運営会社としても元を取らなければならないわけですし、いざ失敗した時の逃げが効くように何でもかんでも非公開というのは、今話題になっている某大手企業の身売りと同じ隠蔽体質の二度塗りとなりかねません。

 

 悪しき慣習は、こうした問題発覚時に、他人事とせずどんなに小さなことでも、思い当たれば改善する姿勢は必須です。

 それを分かっていてしないのは、その時点で博打でしかなく好転するはずがありませんから、名古屋市民としてはお膝元の問題くらいには一言二言言わさせてもらってもバチは当たらないんではないでしょうか。

 

 ただでさえ、レゴランドは成功しない風の風評が流れているので、正直なところ気が気ではありませんし、それ以外の施策が原因で失敗したなどと後ろ指さされるのも心外ですよね。

 しかも、運営会社が地元企業なら尚更で、地元産業連携の成功事例と言われるように、良くも悪くも手堅さで定評のある愛知県企業らしく、あわてずじっくり上向きを目指してほしいです。

 

新都市伝説? 情報の不思議なシンクロと自分

 世の中にはさまざまな「あるある」現象が私たちの記憶に残ることが増えてきましたね、原因には、メディアの多様化で情報の正否の曖昧さや、重複が起こるために情報がうまく整理できなくなっているのかもしれません。

その混乱のひとつに、不思議なシンクロを体験することが挙げられていますが、政治の世界でも起こっているのは、ある意味情報を発信する側と受信する側の間で、傾向の似たものを単にまとめるだけでは解決しない問題が、増えていることに注意しなければならない段階に、きてしまったということでしょうか。

 

"危険な賭け"に出たことで「詰将棋」に陥った安倍首相 | 郷原信郎

www.huffingtonpost.jp

 

家計問題で叩かれていた安倍総理と、ロシア談合問題で叩かれるトランプ大統領の両名の相似した課題もそのひとつで、そんな大物達から私たちのような一般者まで

、「炎上」に恐れおののく時代がきたとお感じの方も多いと思います。

こうした現象を、チャンスと捉えるか危機と捉えるかで、AIが加わる情報処理の新しい可能性と社会問題は、一から考え直さないとならない新種のテーマでもあります。

 

トランプ政権“ロシアと密談”発覚、窮余の策で対外強硬化の懸念 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

diamond.jp

 

ちなみに今回取り上げたこれらの件は、共通点だけで捉えればまとめて整理することができます。

  • ともに国のトップというスキャンダル性。
  • 順風満帆な時期にまたはこれからが勝負時のタイミングで問題が起きている。
  • 法的に問題ないがと言われているのに、目に仇にされている。

……など、最近のメディアは政治のような厳格で客観性の求められる案件であっても、彼らのスポンサーの意向には逆らえなくなっていたり、優秀なジャーナリストのノウハウが世代交代で薄れてくるなど、ポリシーや質が従来求められていた「専門家」「プロ」の質と乖離してきたのが大きいのでしょう。

加えて、筆者も含め生活の糧が基盤としない一般者のメディア参加によって、スクープや情報発信の速さに、足かせの多い専門家が追いつけない時代になっているのも、より課題を複雑化させているようです。

 

これを解決するのには、既存のルールを守るなら専門家のみを優遇するライセンス制度で規制をかけるか、いっそプロとアマの敷居を取り払って純粋に質と速さだけを基準にするか、極論に置き換えれば新しい取り扱い基準を求めるべきかもしれません。

ここで申し上げたいのは、次々と生まれては消えていく事実と架空をコントロールすることができるかどうかを、私たちの中で整理する時期にきているということです。

 

 おそらく筆者も含め、多くの方ができないとお感じでしょうし、それゆえ戸惑いながら溢れる情報に戸惑いながら、その解決さえ日々の生活に追われて見過ごしていると思われます。

これは、ある意味仕方のないことと言える部分と、それでもなんとかしなければならない部分と両方含んでいるのですが、前者で済む話は良しとして後者の話がたまたま自分に差し当たった場合、避けて通れません。

 

あくまで、今の時代は大きな変化の過渡期であり、解決に正解を求めるのはこんなんでしょうが、少なくとも差し合ったった問題情報を、最低限は反乱情報からピックアップできるスキルは、お互いに確保しておく方が良いでしょう。

加えて気をつけたいのは、時々その整理ができていない筋からの情報を、事実と誤認しないようにしなければなりません。

 

特に年齢が上がってくると、経験値からくる「勘違い」が甚だしくなりますが、ここは素直に情報を受け入れる意識を忘れたくないですね。

「いかがなものか」「べき論」「忖度」は、それに準ずる言葉が自分の口からでてきたときには要注意で、筆者も往々にしてハッとさせられる機会がありますが、そんな時は子どもや初心者の自分に持っていたハズの、スポンジのような好奇心とひたむきさを思い返して、心を新たに……

「まだまだ、若いモンには負けんわ!」

と粋がるものの、それでも危険なグチがこぼれている自分に、言うは易し……の言動と行動の矛盾にため息が出てしまいます。

……はあ。