くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

大須やゴールデン街、外国訪問客に人気の古い歓楽街を護りたい

商業防災 

 

 東京オリンピック伊勢志摩サミット・地方創生に向けての観光産業の盛り上がりが順調だった中、名古屋と東京で連続して起きた火災は、訪日外国人にも評判の高い商業地の問題を浮き彫りにしました。

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外国人観光客に人気の古くは戦後から続く日本庶民の歓楽街、そんな日本文化の詰まった隠れた観光スポット、大須商店街新宿ゴールデン街の火災は、古い街並みや町文化をいかに残していくのか、大きな問題を改めて突きつけられました。

 

 連続したかのように、それぞれ出火原因は異なりますが、動画も多く撮影されました。筆者もたまたま大須の行きつけの店に寄った時に、現場を通りましたが、未だ燃え残った炭の匂いがしていましたが、細い通りを隔てたブロックは延焼をま逃れていたのを見た時は、ホッとしました。

 

 それぞれの火災の経緯はニュースでたくさんながされたので、ポイントだけ。

8日夜、名古屋市中区にある大須商店街でステーキハウスの店舗から火が出て9棟が全半焼した火災。

 店が半焼したから揚げ店の店長の女性は「商店街として消防訓練をやったばかりなのに、こうした火事が起きて残念です。屋根も落ちそうなほど焼けてしまいとても悲しいです」と話していました。

 また、商店街の利用客は「火がでたステーキハウスは行列ができる人気店で評判だったので、いつか行きたいと思っていました。とても残念です」と話していました。

 大須商店街のおさらいです。

名古屋大須商店街に馴染む外国人観光客

いろいろな顔を持つ大須商店街

 名古屋にある大須(おおす)商店街をご存知でしょうか。名古屋駅からも繁華街の栄(さかえ)からも近い、約1,200店が軒を並べる有数の商店街です。

 江戸時代に大須観音が移転してきて以来の門前町であり、第7代尾張藩主の徳川宗春公の文化推奨によって盛り場として発展しました(第8代将軍徳川吉宗公の倹約令に対抗したとの説もあります)。大正時代以降は劇場や演舞場も設けられるなど、戦前の名古屋で随一の繁華街となります。

 戦時中は名古屋大空襲で焼き尽くされ、戦後は名古屋の中心が栄(さかえ)に移ってしまうなど、すたれた時期がありました。それでも、1970年代には電気街として発展を遂げ、東京の秋葉原や大阪の日本橋と並ぶ、日本三大電気街のひとつと言われるまでに復活しました。

 今でこそ、大型家電量販店の名古屋駅前への進出によって、電気街としては頭打ちの感は否めませんが、電気街の延長線上でオタク文化の醸成地にもなっていきました。「お帰りなさいませ ご主人様」のフレーズを最初に使ったのは、大須メイドカフェだと言われています(諸説あり)。

 東京で言えば、秋葉原(または池袋)、浅草、人形町を合わせたようなところと言えば良いでしょうか。門前町、盛り場、電気街、オタク文化の街・・・と、いろいろな顔を持ち合わせている商店街です。大須商店街公式ホームページでも、「ごった煮」の雰囲気と表現しています。

 大須観音の近くは門前町の雰囲気
 大須商店街の奥深そうな懐へ、大須観音側から入っていきます。さすが門前町だけあって、すぐに目につくのが、和菓子のお店です。「青柳家本店」や「大須ういろ」など、名古屋名物のういろうで有名なお店や、「朝日軒」というせんべい屋が軒を並べています。

 大須商店街のすぐそばに、名古屋スポーツセンターがあります。通称、「大須スケートリンク」。浅田真央選手のほか、古くは伊藤みどりさんや、若手では宇野昌麿選手など、多くの有名選手を輩出してきたので、「フィギュアスケート界の聖地」とも言われています。

 多国籍化する飲食店
 商店街をさらに奥へ進みます。訪れたこの日は成人の日で、多くの人でごった返していました。外国人も多いという印象はありましたが、集団旅行客はほとんど見かけませんでした。個人またはファミリーでの少人数の旅行客か、または、日本に在住している人たちかもしれません。

 商店街を歩いていると、何となくですが、アジア料理系の香りを感じました。それもそのはず、トルコのファーストフードであるケパブの店、水たばこも吸えるトルコ料理のレストラン、さらには、ブラジル料理店によく遭遇します。

商店街を訪れる人だけでなく、商店街を構成するお店もまた、多国籍化が進んでいるようです。

 中古品販売大手、コメ兵の本拠地
 コメ兵のルーツは愛知県半田市の米屋です。その2代目の石原大二氏は、事業資金を集めるために、妻が嫁入り時に持参した着物などを行商したことをきっかけに、家々をまわって古着を集めて行商して歩いたところ、面白いように売れたそうです。

 その後、終戦間もない、物資不足で衣料への需要が高い時代、古着の行商の成功体験を踏まえ、1947年に大須で約5坪の古着屋「米兵商店」を開業しました。これが後に、中古品販売の大手企業となるコメ兵の前身です(参考:コメ兵の歩み)。

 大須商店街にて感じたこと

 訪日観光客の爆買いとは関係なく、大須商店街に海外の人が馴染んでいるという印象を強く持ちました。今回、訪日観光客の動向を確認したいと思い訪れてみましたが、大須商店街が異文化を受け入れるマインドを持ち合わせている様子を垣間見ることができたように思います。

 

 続いて新宿ゴールデン街の火災の様子と、街について。

 少なくとも建物3棟、およそ300平方メートルを瞬く間に焼いた。火元は同所8番街の一角にある飲食店の2階部分とみられ、火元から離れたブロックに店を持つママは「この辺は古い木造の連棟でしょ。壁に油だのアルコールだの染み付いているからすぐ燃え広がっちゃう。ママたちの平均年齢が50歳くらいと年々、高齢化が進んでいる。80歳過ぎて現役のママもいるし、中にはカウンターに座っているのがやっとのママもいて、夜なら火事に気が付いても逃げるのが難しかったかも。無事で何より」と胸をなで下ろした。

 戦後の闇市を起源に持つ新宿ゴールデン街は、6600平方メートルの地域に約300のスナックやバーが密集。作家や演劇人などの常連客も多く、外国人の観光名所にもなっている。一方で大半が木造建築で長屋のように密接しており、常に防災上の問題が指摘されてきた。

 俎上にのぼりそうなのが、ゴールデン街区画整理だ。4年後の東京五輪も念頭に新宿では再開発が進み、かつてのシンボル、新宿コマ劇場は現在高層ホテルになっている。

「隙間なく建物が密集するゴールデン街は、現在の建築法に照らし合わせると違法。前々からこの地域をサラ地にし、大規模商業施設を建て、その中にゴールデン街が丸々引っ越す計画が浮上していた」とは関係者。

 

 ただ幸いにも救われるのは、有名な場所で、サラリーマンなど日ごろ多くの常連客に助けられている。それに古くから在って、お互い助け合ってきた連帯感が嬉しい。

【大火災】ゴールデン街の不屈「燃えてもここは変わらない」

  約300店が密集するこの街はかねて防災上の問題が指摘され、2020年の東京五輪を念頭に再開発計画が浮上したこともあったが、同街特有の事情で頓挫。街の店主らは「燃えてもここは変わらない。
みんなで助け合っていく」と、火事が起きたこの日も通常通り、たくましく営業を行った。

 しかし、そうは簡単にいかないのが、同所の複雑なところだ。古き良き昭和のにおいにこだわる店主は多く、再開発を進めようものなら反対運動が起きることは確実。長年同所で店を構えるママはこう付け加える。

「ここは土地、建物の権利が複雑で、誰に所有権があるか分からないところも多い。又貸しの又貸しという店もあるし、持ち主が亡くなったままのところもある。役所の人がそうした煩雑な業務をさばけるわけがない。私たちは私たちのルールでやっていくわよ!」

 同所では「みんなで助け合う」という家族意識が強く、同ママは「燃えちゃった店のために寄付を募ったり、みんなで食事を分けたりするわ」とキッパリ。ある店は店内に置きっぱなしにしていた2週間分の売り上げ金ごと焼失してしまったが「みんなで励ますしかないわね」(同)。

 別の店舗の男性経営者もこう言ってのける。

「ボヤや地上げに絡んだ放火は過去にもあった。今回の火事は悲しいが、落ち込んでいるヒマはない。むしろ今日は心配した常連さんが来てくれるから繁盛するんじゃないか(笑い)。ショックなフリをしながら、せっせと食材を追加注文するママもいたよ。ここの住人はたくましいんだ」

 

 日本の多くの商店街は、戦後から続くものも多いモノの、多くは時代の移り変わりや流行の変化で改装を繰り返され、海外の訪問客にとっては逆に、古さを残す大須商店街や員塾ゴールデン街が注目されていきました。

 今まで、日本人にとって「新しい・西洋化」が最適と言われ続けてきましたが、外国人にとっての日本が感じられるのは「日本の変わらない風景」や「古き良き日本の景色」がいかに大事なモノかを、教えられようとしています。

 

 史跡や文化財は国を挙げて保護できますが、古い町並みや商店街は「住む人の生活」が関わってきますから、保護とか管理は思った以上に困難を極めます。

 かといって、このまま捨てていいのかという課題が突きつけられています。

 今回の火災は、決して住民が保存する努力を怠っていたわけでなく、むしろ結束して防災意識は高かったと言われていますが、木造建屋が密集しているだけにいざ燃えだすと、狭い路地や延焼で一気に被害は膨らんでしまいます。

http://mainichi.jp/articles/20160317/ddn/010/040/071000c


  筆者の住んでいる地域も、数少ない消防車の入れない程入り組んだ道にひしめき合うように古い木造建屋が集積しており、一見田舎の小道みたいな場所ですが、一軒が火を出せばおそらく今回の商店街のようになるでしょう。

 なので、防災については筆者も他人事ではないので、今回の火災・延焼はとてもショッキングで、センセーショナルでしたし、いかに狭小地防災が難しいものかを思い知らされたのです。

 

  しかし、こう言った注目される稀有な観光地は、何とか守っていかなくてはならない、日本の財産になりうるものだけに、地域ごとに事情はことなるにしても、お互いさま意識で護っていくものなのでしょう。

 住民の生活空間であっても、同時に観光の要所でもあるという、古い町並みは重要文化財として国が保護できず、さらに単に防災指導を強化しては景観を壊しかねません。

 

 いずれは世代が変わっていけば自然と消滅していく運命なのかもしれませんが、それは商店街の住む人・利用する人が決めることで、求める人がいる以上何とか保護していかなければならない、高度な保全管理が要求されるだけに、各地域の観光地の同じ立場の人たちには、悩ましい課題になりそうです。

 

 

最新「格闘技」イベントと、宝石みたいな「玉羊羹」のカンケイ?

 

 今回は週末・長期(最長10日)のゴールデンウイークも近いし、ユル目の話題をば。格闘家の真壁刀義さんはスイーツ好きだそうですが、地元縁の格闘イベントとスイーツなる、「旬!」で「異種?」な意外とマッチする? 2本立てです。

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 東海地方縁の有名人は、今更言うのもなんですが、探せば結構いらっしゃるんですね。と言いますか、筆者はあまり芸能関係は得意ではないのですが、何度かこのブログでもアイドルとかスポーツ選手を記事りました。

 今回は、筆者の世代でもかつて「プロレス」としてお茶の間のお父さんや少年達をエキサイトさせた格闘技の話題からです。

 今や隔世の感があります筆者なんか浦島太郎状態ですね。格闘技は「K1」とかに進化したとか、聞いていたと思いましたら、今度「RIZIN(ライジン)」なるものがこの4月から展開されるらしいですよ、ええ。

 

 

 4月12日の東海テレビ、夕方番組「みんなのテレビ」に、髙田本部長が出演され、番組のニュースにもプロのコメンテーターにも劣らない的確なコメントをされていましたが、もちろんお約束の「番宣」もあって、発表されたのが「RIZIN」だったのです。


 で、この格闘技の進化形「RIZIN1」と銘打ってのイベントの第1回がなんと名古屋で行われ、全国へ展開されると聞いて、これは書かねば! と思い立ったわけです。

 

 2016年4月17日(日)に愛知県・日本ガイシホール名古屋市南区)にて開催される『トップ Presents RIZIN.1』。11日(月)にすでに発表されていた全14試合の試合順が正式に決定。

 14試合ですか……スゴイ数ですね、格闘エンターテインメントもここまでショーアップされてるんですね、素人目にみても盛り上がりそうです。

 加えて、このブログで紹介する話題ですので、名古屋一乗りだけでは無く、ファイトされるイチオシの所英男選手は、今は関東で活躍されていらっしゃるそうですが、岐阜県出身だそうで、筆者はそれだけでイチオシです。(強引)

 

 すでに、名古屋市の街角、筆者宅のご近所でも告知広告がアチコチで見られますよね。一般の格闘イベントに比べても、かなりの気合の入れ方のようですから、格闘技ファンのひとならなおさらですが、そうでなくともまた格闘技のイメージがより身近になるといいですね。

 

 余談ですが、小ネタで「バティファイト」って言うカードバトルゲームが子どもの間で人気なんだそうですが、そのCMに出演されてるオカダさんです。
 独特のカード名とイラストから分かる通り、新日本プロレスオカダ・カズチカ選手がモデルとなったカードが人気だそうですね。
 このオカダ・カズチカ選手も、ご出身が安城市だそうで地元縁ですよ、以上。

オカダ・カズチカ(1987年11月8日 - )は、日本の男性プロレスラー。愛知県安城市出身、本名は岡田 和睦(読みは同じ)。新日本プロレス所属。レインメーカー(Rain Maker)の異名で知られる。

 

                 ◇

 

 続いては、スイーツ……とは言いたくないですね、これは和・菓・子です。と言ってもしっかり和の伝統素材を生かした上で、宝石のようなクリアー間のある美しい和菓子で、ちょっとかくれ和菓子ファンの筆者も、久々に食指が向きました。

 

 五穀屋から販売される、玉羊羹というジャンルの和菓子です。お好きなひとには有名かもしれません、たしかに衝撃的なビジュアルで、しかも素材は見た目を裏切って、ガチ和らしいのです。

 

五穀屋 (ごこくや) / 店舗情報

 

 ビジュアルは、昔あったビロードのビー玉みたいなクリアーで、一見和風感がないように見えますけど、素材は全うな和の技術を上手く生かしたてます。サイトによると、発酵のさしすせそ(酒、塩糀、酢、醤油、味噌)で5つの色を出しているそうで、秀逸だと感じました。

 どうやら、作っているのは耳慣れたお菓子「うなぎパイ」を造っている春華堂さんの系列会社らしいです、会社が浜松市なので、地元名物と言っていいですね。

 

 お値段は、そんなにお手軽に買い食いできそうなものではないようですので、ちょっと気の利いた贈答品には、もってこいでしょうね。

 玉羊羹は、昔から玉嶋屋さんが有名で庶民的イメージもあって、それなりに見た目も楽しい和菓子なんですけど、この小ぶりの和菓子に洋風テイストに敏感な最近のニーズを考えて、上手くまとめている点は久々に感心しました。

www.youtube.com

 

 やはり、販売するお店は東京の松屋銀座で販売される位なので、気の利いた高級和菓子という面もちなのでしょう。庶民派の筆者には縁がないかもしれませんが、和菓子の進化は、まだまだ続くと確信が持てる逸品だとおもったので、記事りました。

 

 

シャープ買収から学べる、日本のモノづくりに必要な根幹とは?

 今回は、日本のモノづくりとこれから国際企業国として、進化発展するために必要なポイントについて記事りたいと思います。

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 日本のモノづくり必要な下地は、高い生産・管理技術に支えられて、成長してきましたことで、海外の影響を良くも悪くも受けることなく進化してきました。

 例えば愛知県は、モノづくり地域として明確に宣言し、行政を進めています。

 かつて、モノづくりの海外展開がもてはやされ、大手・中小様々の企業が海外に拡大のつてを求めていました。しかしバブル崩壊リーマンショックを経てデフレの空気が晴れることがないまま、逆に海外への生産拠点移動を増やしたことで、結果国内の生産性を下げてしまいました。

 

 昨今でも、大企業の株は国内投資家が守ってきた事がネックになって、透明性を欠いていることや、加えて国内投資家の保護で護られた国内企業は、一見安定しているようでも、外資に弱い企業は、今後世界進出に不利になると考えられます。

 外国資本を受け入れるという事は、それだげ経営者に海外市場・ニーズにセンシティブな事業を要求されることですが、外資の影響が薄い企業がその分海外市場の動きに反応が鈍いのは、そのせいかもしれません。

 これは英語が話せないとか、そういうレベルの話でなく、グローバル市場に敏感な、世界の投資家を満足させられる経営方針が、海外の動きに排他的で戦後保守的発想を抜けられない企業体質の延長だとすれば、これほど危機的な話はありません。
 このような危機感の食い違いが生じたままで日本大手は世界、いやアジアからもおいていかれてしまう危険を隠し持っています。

買収間際にまさかのブレーキ!シャープとホンハイ「相互不信」はこうして最高潮に達した 残された時間はあと1ヵ月…

シャープと鴻海、交渉長期化 契約ずれ込めば資金難に

 

 シャープは幸い親日派の経営者に引き継がれて、まだ幸運だったものの、それが全ての企業に成立するわけはありません。
 モノづくり愛知としても、その轍を踏まない技術の継承と、日本国内だけにその人材をもとめず、積極的な海外人材の導入をめざす必要はないでしょうか。


 鴻海CEO談。
日本は、世界の流れに遅れがちではないか?

皆さんの技術を生かしたいのです。
 産業革新機構を蹴って鴻海買収を選んだ理由は、有力海外企業にここまで譲歩を受けられた、シャープ経営陣の判断です。

 もちろん経営決定権にぎるのは経営陣だけでなく融資銀行もですが、銀行からは追加支援不要と名言して、銀行負担がないと説得しています。
 加えて銀行側に、直接ビジネスモデルと従業員の保障を約束した上で、100年続いたシャープを皆さんで復活しましょう、と謳いブランドを守る提案をトップ自信がTVの前で宣言しました。

 さらに安心を与える材料に、数年で黒字化を約束し、高い駅主技術でを取り込んで液晶の不可欠な将来性のあるIT時代に対応するよう鼓舞しています。

 また、ハイアールという会社は、日本とも馴染みの深いアジアのトップメーカーで、サンヨー電気を開発部門買収しましたが、アジア地域のニーズを現地会社が把握、本社が開発し製品としてまとめる仕組みがあるそうです。

 日本に法人を持ちながら、日本から見たニーズに縛られないアジア戦略で成功している企業と聞きます。
 さらに、日本メーカーの開発速度を生かしている点は、柔軟性が光ります。

 

 日本企業の生産の海外進出は、いつしか力の逆転を生み、スマイルカーブと言われる製造・組立を海外に丸投げした事が、鴻海の様な海外企業に力を付けさせたのです。
 世界の工場を、80年代までは日本が担い、2000年台はアジアが担う転換になりました。 

 国内基準の製品を押し付けるようなった苦い過去を払拭し、海外市場ごとのニーズから目をふさがない姿勢が漸く根付いてきたとは言われるも、本来改良は得意でもそのモノを買える革新力は無いと言われてしまう未熟さがあるようです。
 技術を過度に信奉する経営者から、適切に技術を生かす経営者が、今後求められているのでしょう。

 

 いいアイデアがあったら開発には、リスクを取っても押し切る気概が、これからの日本企業には必要であり、国際評価基準の必須条件と見られています。
 減点でなく加点主義にシフトする柔軟性が求められる時代では、その先駆者である欧米諸国のシビアな目が日本に注がれています。

 日本はこの評価軸に今後乗れるかどうかが、問われているのでしょう。

 

名古屋の人には空気のような存在のテレビ塔

 今回は、ご当地のシンボルであり、ベンチマークでもある名古屋・栄に今もそびえるテレビ塔に、ようやく触れます。

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 良くある話だとは思いますが、ちょっと言い訳がましく言えば、名古屋に住んでるのに、この塔に上ったことが無い筆者ですが(厳密には子供の頃行ったけど記憶が殆ど無い)いつでも行けるって気になって、行かないモノなんですね。

 こう言う経験はどの地域に住んでる人でもあるとは思うのですが、地元地方局の東海TVの、お宝照英のコーナーで特集を放映していたのを見たのもあって、やっとという思いでテレビ塔に触れることにしました。

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 名古屋の人にとっては、空気の様な存在でもありますが「無くなってしまう」なんて話もでてくると、焦るんですよね。無くならない筈なんですけど、今年遂に本来の仕事を終えたり、どんどん仕事を失っていきそうで。

 遂に、観光シンボルの仕事だけになっちゃいましたよ、ちょっと淋しいですね。それでもこの塔は、事ある事にネオンや照明で彩られてきましたし、今週までプロジェクションマッピングのイベントにも使われます。 

名古屋テレビ塔で春のプロジェクションマッピング 庭園や特設展示も /愛知(みんなの経済新聞ネットワーク) - Y!ニュース

 

 無くならないと言いきれたのは「貴重な国民的財産です」と刻まれた、2005年文化庁のプレートがあるからで、国の登録有形文化財に認定(第23-0188号)されたため壊されることは無いと言っているのですが、意外と知られていないそうです。

 名古屋 テレビ塔は、日本で最初に建てられた「電波塔」です。

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 テレビ塔のアテンダンドさんによれば、原則鉄塔は、航空法で定められる赤色でないといけないのですが、昭和30年建設当初はその規則は無かったため、例外的に銀色で塗装を許されているそうです。

 

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建設当時は何もないですが、今は樹木に囲まれて、街の憩いの場所です。

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 地上デジタル放送が開始される2011年まで、57年もの長きにわたって、電波塔としての役割を果たし、今年6月までドコモのNOTTVサービス終了に伴って電波送信を終え、本来の「電波塔」としての役割を終えるのが決まっています。

 今後は高見櫓の役わりと、その中で様々なイベントが開催されたり、今まで通りモニュメントの役わりを果たすのでしょうけど、構造的にも特殊で、今時の建築・耐震基準にも合わなくなっており、登録有形文化財だけに、今後改築の課題を抱える名古屋城と同様に、市民には頭のイタイ生き残り問題に直面していくでしょう。

 

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 構造は鉄塔としては実に特殊で、敷地地下にセントラルパーク(地下街)や地下鉄建設する計画があったため、地盤は8mしか掘り下げていないそうで、これは驚異的な話ですが、基礎が浅いためにX(エックス)状のコンクリートアーチを柱脚にした上に金属の建屋を設置、その上に鉄塔を建てている構造。

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 高さは180mで建設当時は、東洋一と言われましたが、いまは高さ自慢できませんが、建築構造を知っていると、まだまだスッゴイ塔だと思えます。

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その事を知った上で改めて塔の下をくぐると、また違う気持ちで潜れます。

 

 最下層の1Fからエレベーターで2階へあがりチケット(SKY TICKET)購入。

(大人700円、シニア600円、大高生600円、小中学生300円)して上階へ進めます。

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 ガイドの話では、チケットは実はデザイン(写真)4種類あるそうで、社長が撮影した写真を使用しているそうです。集めるのが趣味な方は覚えておいて損はありません、4回必ず上りましょう。

 

  建設当初、戦後空襲で名古屋城でさえ焼かれて何も無かった焼け野原に、当時画期的な都市区画整理で、少しずつ始まった名古屋市街の再生復興の象徴のように、昔の写真を見ると、誇らしげに建っているのをみると、胸アツですね。

 この思いは、当時の名古屋復興に関わった市民によって受け継がれ、今でも微弱ながら東北復興の助けとして、役に建っているのを思うと、この塔はこれからもその思いを忘れないためにも、是非とも残しておきたい逸材だと感じるのです。

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怪獣に襲われた事もあります……?( ´艸`)

  21世紀の今は、目的が変わってしましますが、その誇らしげにセントラルパークのど真ん中に建っています。(最上部イメージ写真参照)

 復興象徴の塔は今見ても当に堂々としているのに、すこし安心してしまうのは、筆者だけではないでしょう。

 

WBS3/24の列島縦断日本興隆 「関西・中部」にスポット

  国内観光の利便性向上は、訪日客向けの手ぶらサービスが各大手で開始されたとWBSで報道されていました。

 

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 ファミリーマート日本郵政がホテル近くのコンビニで受け取りのサービスに参入。

ANAヤマト運輸も、先月から旅客機と合わせた実験開始

ゴールデン・ルートを軸に、インバウンドを引き込むことで、そこからさらに近接の観光地への呼び込みのチャンスをつかむ流れが重要だそうです。

 


 そんな中で、WBSの特集で隣接の関西と地元愛知の観光特集の紹介に振れたのを受けて、更なる観光客の流れ拡大について考えます。(メモや記憶を基にまとめており、記載内容に誤りがあるかもしれません。他意はございませんが、予めご容赦ください) 

 

 東京、福岡、大阪、愛知、札幌、を巡るようにシリーズで特集。

 東京は、今ホットなJR新宿駅南口開発。1976年のルミナから始まり、工事中が続いたエリアがいよいよ動きました。

 鉄道敷地の再開発(ルミネ)1999年南口再開発や、甲州街道を挟む路線エリア内の人工地盤に新高速バスターミナルが完成、西口に散在したバスターミナルを統合させました。

 7000人商業施設ミライナタワー+Newomanで、30~40代のワーキングウーマンをターゲットにした、ルミネ新業態を展開し、新宿の新しいイメージを打ち出して、若者向けから成熟した街へ変身を遂げようとしているようです、既存のベンチショップだった高島屋も、5%増しを目指す競争率の激しいエリアに変貌していくのでしょう。

 デパート売り場も惣菜コーナーを統合、量り売りをやめ、目の肥えたビジネスマン向けのランチ需要に応える品ぞろえに切り替えているようです。

 これからのトレンドを意識したようにビジネスマン、それも明確に女性管理職をターゲットに高価格商品の準備で商戦を迎え撃つ構えのようです。

 

 このような都心でのし烈な商戦を、そのまま地方のビジネス街に持ち込んでも、同様の結果はきたいできるものではありませんが、これまでの事例に在ったように、ある程度のベンチマーク・指標とされるでしょう。

  しかし、一方で地方創生とうたいながら、その流れを一向に譲ろうとしない東京都の必死感は、本気で日本が変わろうとしているのか、やや疑問に感じるのは否めないと感じるのは筆者だけではないでしょう。

  地方はこの動きに、過去のように追随するだけでなく、意志や主張をもって依存体質からの脱出を試みてこそ、本来の地域創生の流れを作れるのだと感じています。

 

 第2回の、列島縦断日本興隆は「大阪」関西国際空港の取り組みを特集していますので、触れます。

 24H稼働の日本第2の国際空港、関西国際空港は地盤改良や、高度な空港建築のために相当な工費をかけた結果、債務が莫大になっています。

 遂には民間企業、オリックスグループへの売却・業務委託を決定した経緯がありますので、この特集はその最新事情を紹介しています。

 LCC利用者人でごった返す第一ターミナルは、昨年利用者数を上回るそうです。

 LCC大手、Peachアビエーション専用のフロアーが、第二ターミナルを独占、そのコストカットは容赦なく、高さ2メートルあるチェックインカウンターは、段ボール製と1/5のコストで対策を徹底しているようです。

 特集は、こう言ったものとは別に、根本的な空港大改革を取材、先の事情で9000億円の借金を残し、尋常なカイゼンでは追いつかず、抜本的建設コスト消化が課題でした。

 そこで白羽の矢が立ったのは、京都水族館で年間200万人入場者数を誇る実績の、オリックスグループが運営を任されます。

 グランフロント大阪、商業施設開発手掛ける同グループが、第三ターミナル初開発へ動き出す姿が紹介されます。

 第4ターミナルも計画中だそうですが、かさむ借金をどう解決するかが課題で、計画のママです。

 同社は、ヴァンシ・エアポート社(仏)ブレーンとして召集。オリックスが買い取った運営権2.2兆円、発着量以外の非航空系収入割合(仁川64%、チャンギ63%、成田54%)が少なく、赤字が見込まれるなかのテコ入れを始めました。

 LCC、アジア路線や、中長期的にも欧州・米国への航路メガキャリア取り込みも目指しており、空港運営人は爆買い終了での売揚げダウン見込んでも、中長期では借金返済は可能とみているそうです。

 関西空港駅前のメインターミナル出店数減少で、勢いの落ちる糸の流れをカイゼンすべく、フロアーレイアウトの見直しに動きます。

 今では唯一LCC待合室は仮眠客であふれていますが、全く売り上げに繫がっていません。これを取り込むための格安の簡易宿泊施設の計画もにおわせます。

 

 また、案内モニターの発着時間表示が、4時間先まで案内されているため、チャンスを逸しているとブレーンに指摘されています。出国審査終えて、案内モニターで発着確認すると、直ぐにターミナルへ移動してしまうとのことでカイゼンが急務です。

 このような利用者の動線に関わる工夫は、些細な事で大きな商機を逃すウイークポインtです。

 もう一つ致命的な点を指摘されます。免税店舗レイアウトがホールを広く取っていて、店は左右に振り分けているため、客は素通りしてしまうため、さらに商機を逃していると言うのです。

 これは、ブレーンのヴァンシ・エアポート社の実績である、カンボジアプノンペン国際空港の新装された現場を視察して、学びます。

 ヴァンシ社のプロデュースの免税店エリアは、ホール中に通路を狭くし客足を止める工夫や、免税店エリアを通らないとターミナルへ行けない動線を採用しており、当に関空への指摘を体現しています。

 さらに、伝統工芸の実演販売にも力をいれ、地域貢献と空港イメージのダブルのイメージアップを実現している点は、勉強になります。

 視察によって経営側の関空エアポート社は、関空カンボジア間など新規航路開発も検討すると構想を広げたり、アジアのゲートウェイ関空インバウンドの入り口を目指すとインタビューに答えています。

 それは強ちな話で、東南アジアから1時間半の立地が、成田羽根がなどとのアドバンテージになるのを見込んでいるからです。

 

 ロンドンなど欧州の空港は、空港だけではない、エリアとの利便性や融合を併せ持つハブ的空港という新しい流れを積極的に進めているようです、この流れはトレンドになると思われ、愛知の中部国際空港も大いに取り込むに値する点です。

 番組コメントでは、近隣の伊丹(国内)神戸空港低迷カイゼンと、同時に住み分けていくのが課題とし、全国50もある国内空港を整理統合・ハブ空港の開発が課題とも指摘がありました。

 

 続いて、3回の舞台は愛知(三河)の取り組みです、当ブログ的には本命なわけですが、他の特集と比べてすこしボリューム感に欠ける印象が在りましたが、続けますよ。こっちがメインですから、あくまでも。

 シリーズ、福岡、大阪、に続く3段の愛知(三河)で、このブログでも記事りました、先に開通の新東名西側延長の道路が開通し、それを見込んだ地域観光の取り組みの特集です。

「戦国武将とグルメ」と称して、新設パーキングエリアを取材していました。

  この地方を、車の保有台数日本一で交通網充実しており、自動車社会が進んでいる地域と紹介した上で、あの「刈谷モデル」と呼ばれる新ビジネスモデルを体現して注目を集めるPA刈谷ハイウェイオアシスを、まず紹介。

 まるでテーマパークと比喩されるPAは、842万人/年、国内あの有名テーマパークに続く第3位という異例の集客数の記録は、未だ記憶に新しいですね。

 目玉は女性用トイレ絨毯、花のオブジェ、2億円かかったそうです。しかし集客のメインは何といっても「産直市場」、来客のお目当ては、とれたて野菜で、こちらの目玉は鮮魚市場、その日採れたて鮮魚を高速利用者も地元からきた客も逃しません。

 また筆者も見てますが、子ども向け遊具併設、50円から600円、貯時間楽しめるその姿は、高速から見ると、まさに遊園地ですよ。

 でもこの地域ならではと言いましょうか、このモデルの手が合い所は、客の半分が安定した集客を期待できる地元客だと言う点です。

 こうした地味ですが、飽きのこない集客にはさまざまな工夫に余念がありません。人だかりに向かうと、子どもがドラムをたたくイベントスペースがあり、ただで借りて気軽に楽しめる、その孫をトリガーにして高齢者の集客を目指すものです。

 隠し玉はまだあります、ドライブで疲れてPAへよったら、温泉でリフレッシュもできるこの素晴らしい動線は、いまでは他でも珍しくないですが、もっとも複合的に効果を引き出している好例です。

 

 そして新設の「長篠設楽原PA」の紹介、これは筆者も未体験で、興味津々です。

 全国でも珍しい家紋入り店舗、これは愛知県が肝いりで進める戦国の国観光を前面に押し出したイメージ戦略でしょう、嫌いじゃないです、こういうストレートな攻め方。 これは以前からあった歴史史跡の、長篠合戦場に併設されているためで、馬防柵紹介して、史跡巡りをできる点をアピール。

 これは正直地元民の筆者でも、全国向けのアピールに繫がるか、ちょっと心配ですが、これから増加が見込まれる、海外からの訪問者には、どストライクでゃないかと言う、見方もできなくないです。

 さらにどストライクと言えるのは、戦国武将テーマパークのパーキングエリアとしてのビジュアル。売り場にも70cmの火縄銃バームクーヘンとか、ちょんマグ、火縄銃・刀(最高92800円)などのレプリカの展示販売も大真面目にあったりします、戦国マニアには売れてるそうですよ、ええ。

 2月13日開通した豊田東ジャンクション付近の動線で、期待されているのは地元新城市の観光効果です、こちらも取材が入ったようです。

 新城市、道の駅もっくる新城は、週末では13000人という集客スペックを持つ、人気のドライブスポットですが、特産品や、ジビエ料理、イノシシ肉獅子ラーメンは、愛好者には人気だそうです。

【猪ラーメン】3/21「道の駅もっくる新城」が新規オープンしフードコートでイノシシ骨ラーメン(ししラーメン)が販売へ - お墨付き!

 新東名PA開通で、同市観光筋は300%売上げアップを期待して、観光サービスの強化に余念がないようです。

 市内の史跡保存館では、2.5倍アップと好調で、足軽姿の店員が五平餅販売し、雰囲気作りはできてますし、合戦の歴史を学んだり、本陣跡を見学する客も多いとか。

 物見やぐらからの展望は想像以上に見晴らしが良く、広大な施設が見渡せます。

 また、村おこし募るツアーも企画し実施中ですが、集客ノウハウの問題か、一時的に増えても継続されない客足を、いかに安定させるか課題と、地域観光の集客について回る課題に、これから結果を出すと言った段階のようです。

 しかしグルメ対策も従来から、味のお遍路めぐり:飲食店や観光地など88か所のスタンプラリーを実施したり、お得にいかまい奥三河パスポート:加盟店で割引きが受けられるサービスなど、抑える所は真面目に抑えている点は手堅いと言えます。

 

 今後も同市は集客をめざすべく、月に数組程度の集客制度を高めるように、新城市店舗経営者会議を開いて、検討していく模様。

 上の、味のお遍路巡りと連動した、戦国グルメ:30店舗ほどで武将の名前をいれたユニークメニューを開発(暫く休止していた)の復活も進める。

 そして、ネクスコ中日本と戦国ぐるめ街道復活の交渉、相乗効果をGWに向けて開発を目指す動きのようです。

 夜間はトラックが殆ど、週末の観光客をどう増やしてキープしていくかも課題とされます。



 締めとして、こういった道路インフラ整備は、経済資産効果1000億円と言われ、道路公団が民営化され10年、1015年3月期の6社経済効果総額224億円。道路事業で67億円、SA・PA収益132億円と言われるため、「刈谷モデル」の様な観光モデルは、道路管理企業にとっても今やドル箱市場です。

 現実は、愛知県商業販売売上8%減少、刈谷12%減少だそうですが、これは人口減少で全国的に起こっているもので、比較的減少度は低いと言われるものの、堅実に改善が望まれる課題であることに変わりはなく、市街地の売り上げ増加を各地方都市は、地元でいかに衛星地域の集客を増やしていくのか課題とのことでした。

 

  今後日本の観光ビジネスは、地方の古いホテルの、あえて古さを生かしつつ、新しさを加えるリニューアルで、古さを武器にアピールする工夫もあると、WBSでも事例を挙げていました。

 単にコストをかけて新しくすればお客が来てくれる時代は終わっています。

 以下に今ある良いものを見極め、お客が真に求めるものを確かめる姿勢が大事であり、戦国時代など古来日本で培われた、無駄を減らし最大限に資産を生かす工夫する、地方の力を試されていると、この特集は物語っているように思えます。

 

 

「なも研3」 子育てママの行動が変えるか、保育環境のカイゼン

  なもなも研究所、略して「なも研」3回目は、育児環境を超真面目に考えますよ。

 

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 合言葉にもなりつつあるのか「保育園落ちた日本死ね!!!」の子育てママの叫びは、今までの訴えとは違った影響を与えているようで、本来からさまざまなカイゼンや工夫の動きがどういい意味での変化をもたらすか、まだまだ予断を許しませんが、楽しみでもあります。

奨学金で保育士増やす入社すれば返済不要 保育所運営最大手が来月から

イオンモール 保育所 託児所の経営

http://www.aeonmall.com/upload/1459408623.pdf

 保育関連の雇用状況は決して安定しているわけではなく、京都市の病院併設の保育所で、ベテランの契約保育員が全員雇い止めという事態も起こっています。

 保育介護公共工事などサービス・過酷な労働は、効率化コスト削減のしわ寄せによるもので、これは2012年の笹子トンネル崩落事故がキッカケで、当時過度のコスト削減で熟練労働者の不足が予想されるようになったと言われます。

 キツイ仕事、当時3Kなどど言われて、なかなか担い手がつかず、労働現場の作業員の高齢化が顕著で、さらに労働環境の未改善・作業手順の非効率や、なかには税金の無駄との市民の目が厳しくなった事も、労働条件や公共工事の縮小を招いたとも言われています。

 このような自治体が関連した公共の工事やサービスの分野で、福祉分野では介護や保育のサービスにも例外なく影響して、これらの職種の今日見るような結末は、労働条件改善がされなかった結果と言えます。

 夜勤仕事もこなし子育てをするシングルマザー、保育所に預けながら働くも、ある時娘の異変に気付きます。その我が子の円形脱毛の原因は、急に保育員が総入れ替えされた結果、その変化についていけない幼いこどもの現実を現しています。

 解雇された元保育員達は、不当解雇に反対運動をしますが、病院は独立行政法人化、併設保育所も民営に委託した結果、新方針で2、3割カット正職員から非正規職員へ変更され、待遇悪化や生活困難を理由に離職に繫がっていきます。

 さらに追い打ちをかけるように、契約満了により競争入札された末に、病院設備はさらに3割安い提示額で落札されることに。結果、新法人の意向で保育人員の総入れ替えとなった。

 先ほどの円形脱毛症の原因は、このような経緯があったためで、保護者からも、子どもと保護者のストレスにしかならない。保育員も13万円の手取りという現状で、担い手を育てるゆとりもなくなった。

 委託元の京都市は、委託先の決める事であり、実地監査で適正と判断しており、定期監査を続けるとだけ回答にとどまった。

 

 かつて小泉政権の時代、2001年以降構造改革がトリガーになった労働条件の合理化で、厚生労働省は保育分野で公営保育所の賃金が高いとの指摘もあったとか。結果、1万2000以上あった施設は1万を切り、一万5000近くの保育所が民営化された結果、保育士平均賃金もとても子どもを養える金額ではなく、保育の職業は単独では困難と言われるようになりました。

 これは当に保育産業の危機、今政府が謳う見解とは、現状が逆行しているように見えますし、保育サービスの低下、子育て・女性労働環境整備に障害になります。

 若い人が定着しない職業、熟練者の育成急務にかかわらず、カイゼンできていないのは、何が起こったかを考える必要あります。

 地方公務員の非正規化が進み、3人に1人が非正規で月給

12万円以下が、14.3%

12~16万円、44.9%

16~20万円、28.2%
20万円以上は、たった12.6%
全日本自治団体労働組合調べ)

 つまり、過半数が年収200万円以下で、ワーキングプアを作り出している現状で人員の増加は期待できませんし、社会全体の職業として魅力あるものとは決して言えません。この結果、保育員現象、保育所も稼働不能、その結果利用希望者からの「保育園落ちた日本死ね!!!」の止むに止まれぬ話に繫がったのです。

 

 その一方で適正な賃金とは、維持できる額を模索する自治体も出てきているようで、
財政負担は増えるものの、自治体にとって保育環境充実のアピールは、人口減少歯止めの切り札になり得ます。

 地方もタテ社会を捨てヨコ社会の発想で、公共福祉などの特徴を打ち出す独自方策を実行すべき時期ではないかと、ようやく気付きだしているのだと思います。

 行き過ぎた市場・民営化を監視し、提供する側と働く側との適正な労働条件と、公共サービスの質やバランスを、市民が積極的に参加して決めていく時代に入っています。


 高齢者福祉でも、米でリビングウェイジが賃金水準の実現に効果を出しているそうです。適正な賃金なのかどうか、最低賃金を考え直す必要があるのではないか? を見つめ直されています。まずはどの程度の要望があって、子育て・労働保証をどこまで必要かを、官民合わせて話し合うべきでしょう。

 公共事業としての保育・介護福祉は、競争が無かった故に低価格化の暴走が起こり、民営化されたで産業競争力の低下を招くリスクを背負いました。

 しかし、こうした技能・ノウハウの蓄積は、今後海外での同様な少子高齢化のながれが起こった時に、先行した日本は見返りを期待できるものですし、長期雇用にも影響するものです。技能に見合った対価を保障するのが、日本が得意とする技術保存のカギになるのではないかと、期待しています。

 雇用劣化を生み出した結果の負の遺産は、私たちに「労働担い手を人として尊重しない世界の未来はない」と言われているようなものです。
 ぜひとも、努力を正統に評価する職場作りを今後も構築される事を期待したいです。

 

 待機児童、一時預かり拡大…長時間労働は抑制 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

待機児童、受け皿拡充…政府が緊急対策発表 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

 

名古屋の戦争跡を残す二つの資料館 ピースあいち編

  前回の公設資料館、愛知県庁大津橋分室に続き、今回は私設の戦争資料館です。

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駐車場は、館前2・3台まで停められそう(有料)

 

 ピースあいちは、公設が本来担うべきポジションを担ってきました。

 名古屋界隈でも市内に、二つの戦争資料館が在りますし、博物館や資料館で特設展示なども期間限定で開催されていましたが、ようやく公設展示館が報道されて、改めて注目を浴びることになります。

戦争と平和の資料館 ピースあいち

 「戦争の記憶を残す二つの資料館」として、地元メディアで紹介され、苦節の公立の戦争資料館会館までの長い道のりを語る館長野間さんの努力が、改めてクローズアップされたのです。

 民営の戦争資料館である以上、運営資金は自分で集めなければなりませんが、苦しい財政問題として今まで収支ぎりぎりで運営してきたと言います。

 運営費用1000万円はかかるそうで、全て寄付で賄ってきたそうですが、幸いにも同じ思いを寄せてくれた有志の方から名東区で敷地を提供してもらい、念願の名古屋発の戦争記念館を設立されたそうです。

 名古屋市に公設の資料館設立を懇願するも願いは実現されず、請願から22年かかってようやく公設間の開館に参加された、2007年から館長を努めている、ピースあいちの野間美喜子館長は、漸く思いを繋いだと万感の思いで語ります。

が、しかし公設館の展示物は、名古屋空襲の被害中心で、海外で日本軍が行った加害歴史には触れていなく、戦争の全体像見えないと憤っていらっしゃいました。


 一方オープニングに参列した河村市長は、議論のある内容は税を使う立場としては中間の立場で控えたい。住み分けるではないが、一つより二つの方が良いし機会が増えると前向きで、今後公立資料館と協力しチラシを置くなど企画展の告知協力など連携・共同していきたいとコメントしています。

   戦争の記憶を残す二つの資料館とは、このように同じ戦争を扱う資料館ではありながら、目的や立場で異なる顔を見せているのは、とても興味深い話です。

 

 栄にある大津橋分室に比べて、ピースあいちは名東区のバス通りに在って車でも駐車場が少なく、なかなか訪問しにくいと言うのが正直な実感でしたが、むしろピースあいちの方が一日の長とでも言いますか、子どもたちにはこちらの展示を見て欲しいと思いました。

3階開口も大きくとても明るいです。
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 語弊の無いように補足しておきますが、規模はさておきどちらも一級の資料が展示されていますし、資料を提供してくださった個人の方の思いは同じだと思います。

 しかし、子どもたちにより判り易く寄り添った企画展や、展示方法は施設の名前にもあるように、平和を願うという思いのこもった、ピース愛知は響くものが大きいのではないかと勝手に思っています。

 撮影しなければ、必要ないです。

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 建物は3階建て全階で展示されていて充実しています。
 撮影はちょっと規制があって、筆者は事前申請で書類署名し、撮影許可ホルダーを付けて閲覧できました。(ちょっとマスコミっぽいですね)

2階は展示が充実してます、一番時間をかけたい所。
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 これは、私設だけに、個人から好意で提供してもらった資料に個人情報が多分に含まれるからで、この点は筆者も同意しましたので、可能な限りの範囲で丁寧に撮っていきました。

 1階です。撮影してませんが、この反対側に受付と一面書籍棚があります。映像資料は2階にビデオコーナー、1階にも特設展映像が見れまして、どちらも好きなだけみれるそうです。(筆者も1回づつ見ました)

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 応対も、たまたま筆者一人だったので、専用の担当者さん同伴(見張られてるという見方もできなくはない)で丁寧に解説してくださり、好感の持てるものでした。

 だからと言って、ひいきするわけではありません、私設だけにそれなりに訪問者には誠意を見せてくださっているのでしょう、管内のスタッフも明るく出会うと気軽に挨拶してくれますし、専用建物で明るく子どもも女性も入り易い雰囲気です。

 しかし、じっくり全部を見渡すのに(警報音体験や、ビデオ閲覧)数時間はかかりますので、じっくり見たい場合はそれなりに予定を組んでおいた方が良いです。

 

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 ぜひ機会を作ってできれば両方ご覧になってください、そしてそれぞれが戦争への思いを再確認してほしいと思っています。

 今回は名古屋の例ではありますが、全国の自治体のは何かしらの地元の戦争を伝える資料の閲覧施設はあるでしょう。地元ならではのエピソードを家族から聞いたことのない、若い人は特に足を運んでほしいです。

戦後70年 詩人竹内浩三展 日記や書簡40点 戦争と若者に焦点
名古屋/愛知

http://mainichi.jp/articles/20150722/ddl/k23/040/120000c

 今、「戦争法制反対」の掛け声が国会前に響いています、その言葉に偽りを作りたくなkwれば、少しでもたくさんの70年前にあった「不都合な事実」に触れられる今のうちに触れてほしいです。

 

 

 水木しげる、最後のインタビュー「生死について、人間について、自分が抱えていた疑問に答えてくれたのは、ゲーテの言葉だった」

 仲間をガス室に追いやれば、自分は生き延びられる ホロコースト描いた監督が語る“この世の地獄”