くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

里の桜は未だ。お彼岸で帰省

 筆者が代々檀家のお寺からお彼岸供養の知らせがあって、半年ぶりにお隣り岐阜県に行ってまいりました、できれば桜の満開の頃に行きたかったのですが、お彼岸終わっちゃうので泣く泣く中途半端な時期になりました。

 筆者の母が亡くなって間もなく、このお寺の住職も世代交代したそうでもう数年になりますが、いつも筆者は朝早くお寺に着くので現職の若い住職と顔を合わせたことはありません。

 筆者としても、父母の世代から顔見知りの住職のほうが住職らしいので、それでいいと思っていますし、若い住職は何というか事務的でイマドキと言えば聞こえはいいですが、元住職のように人間的な厚みがない気がします。

 筆者の顔見知りの住職は、昔から人望が厚く人をそらさない魅力のある方でした。
町にはお寺が二つありますが、町の多くの人の評判は圧倒的にその寺の方が良かったのですが、新住職になってからは、どっちもどっちという印象がぬぐえません。

 今朝もお寺に行くと、元住職が直ぐ返事をしてくれて腰低く応対してくれます。
すこしおやつれになった印象ですが、今までと変わらぬ立居振舞はなんかホッと落ち着きます、だから筆者にとっての住職はそれでいいと思っています。

田舎寺にしては立派な寺です。 
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                    陶祖(地元『陶器』の祖)を祀る碑と、未だ芽も固い桜の枝


 さて、お墓参りも済ませ、思ったほど雑草も生えてなかったので助かりましたが、できれば桜の咲くころにもう一度来たいな、すぐそばに在る『陶祖碑』の周りのは枝ぶりの良い桜の木が何本かあります、満開になると本当に綺麗で、毎年写真に撮ってます。

 ここは筆者にとってふるさとらしい風景の一つになっています。