くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

時代にそぐわなくなっている、心のよりどころ

 

 私たちの日本は、高齢化社会少子化問題の同時進行によって、終の住処となる墓の確保も破綻がすでに始まっていると言います。

 

 また、アメリカとはまた異なった人種のるつぼとして、フランス国内の移民問題で激増するイスラム教徒の扱いがぞんざいで、かの地と祖国の間で行き場を失っていて、大事な礼拝する場所がないと嘆いています。

 

 いずれも、今まで信じてきた心のよりどころに、すがることさえ許されなくなっていく現実がここに展開されていると言っても過言ではない状況ですが、私たちはかつてない状況に、新たな価値を模索していかなければならなくなって来ていいるようです。

 

 話を国内に戻しましょう。

 日本人として、先祖を敬いその象徴である先祖代々の墓を、家族を継いで永続的に見守るのがこれまでの常であり、当たり前の営みでした。

 しかし、最近つとにニュースされるのは、せっかく生前にお膳立てした終の住処が、遺族に伝わらないまま、遺骨は合同葬のあと無縁墓地に集められることにもなっているそうです。

 

 この話は、今後少子化が進む中で今は世継ぎが居るからと安心もしていられないのは、想像に固くないでしょう。

 その世継ぎでさえ、将来自分がどういう始末を迎えるか全くの保証がないですし、たとえその世代まではいいとしてもその後は、どうなるかわからないのですから。

 

 それらを憂う住民からも、終活に事欠く場合に自治体でその管理を責任を持って貰いたいという相談も多いそうで、恐らく数十年前後に埋葬問題は深刻になると思われますが、少子化が進む中で自治体の人材枯渇も抱えつつあるのも事実。

 今までの慣習を踏んだ上での終活問題を解決するのは、困難が予想されますし、樹木葬などの新しい終活価値観を、広めていく施策も急がれてるのでは無いでしょうか。

 

 さて、フランスで起こっている敬虔な宗教者においても、別の意味で生きている時点での居場所や、祈りの場所確保が困難であるのも、日本と規模が違って大きく紛争や犯罪の温床に発展しかねないだけに、深刻です。

 いずれの例に限らず、先進国での人口減少や移民による、慣習や宗教の絡んだ価値観の再構成を迫られる時代であるのは、薄々お感じのことと思いますが、それぞれの国や立場で全く異なる事情が複雑に絡むだけに、もっともっと自治体や国をあげて協議を繰り返して、新しい落としどころを探る動きに期待したいところです。