ペットの再出発になるように。愛護拠点 動物保護センター
動物保護問題は、広義ではゾウやイルカの保護活動の世界共通意識の問題から、ごく身近な生活に直結する問題までさまざまですが、今回は後者に関連した記事について考えます。
動物保護の面では、筆者の幼少だった70年代は酷かった記憶が多いです、犬・猫が「家族」 なんて意識は全く定着してなかったり、犬を食べる中国人の慣習を普通に認めていました。
ただ、その反面おおらかだったのか、野良が町を闊歩してても普通でしたし、エサをやっていたり良い関係があった気がします。
もちろん、良いことばかりでなく虐待や残虐な行為はありますので、当時をすべて肯定するつもりはありません。
ただ、その反面おおらかだったのか、野良が町を闊歩してても普通でしたし、エサをやっていたり良い関係があった気がします。
もちろん、良いことばかりでなく虐待や残虐な行為はありますので、当時をすべて肯定するつもりはありません。
そもそもペットという概念自体は海外から来たもので、日本人からすれば人も動物も同じ生き物であり、シンプルに弱肉強食の原理があっただけで、動物は特に犬猫は人の身近な環境で賢く立ち回っていたということで。
いまや、人の世界が絶対という大前提のもとで、犬猫は自然にあった本能さえなくし、人に従うしか選択をもててないのです。
そんな自然に順応できなくなった彼らが、突然投げ出されたら、さてどうするんでしょうか?
そんな自然に順応できなくなった彼らが、突然投げ出されたら、さてどうするんでしょうか?
捨てた側はそんなのお構いなしです、モノ同様に人の都合で捨てるだけです。
これが問題になって、動物保護センターに依頼する仕組みができ、今日に至るわけですが、取り上げた記事は神奈川の保護センターの建て替え決定の記事です。
こういった、今では無くてはならない施設が老朽化する時期に差し掛かり、運営に苦慮しているわだいが、でているようです。
人間の得手勝手で増えるペットの廃棄が激増してるなか、貴重な税金が一部?の不心得者たちのために使われるのは考え物ですが、いくら引き取りしてくれる善人がいても、それを上回る悪人がいるい以上解決できない話で残念です。
大変ではありますが、保護センターの職員さんのご尽力感謝します。
【神奈川】県動物保護センター 愛護拠点 寄付で建て替えへ