くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

ひめゆりの会という語部、今年が最後の同期会。

 70年前の4月1日、沖縄で起きた少女たちの悲劇は『ひめゆりの塔』として語り継がれてきました。

その歴史の当事者であったひめゆり学徒動員の同期会が今年最後を迎えたそうです。

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 太平洋戦争末期に、アメリカを主とした連合軍は沖縄本島から順に、降伏を渋る日本軍部に対して掃討作戦に出ました。
 その時、既に戦争は明らかに終わらせて良かった筈でしたが、敗戦後の立場を少しでも優位に運ぶ為に、国民には勝ち戦だと事実と異なる情報を流し、その戦意を失わせないようにしながら、最後まで国民を戦わせ続けたのでした。

 結果を知ったる私たちはこの様な話をされると、

『なんて無駄な死を選んだのだ』

と、その後のを知っている私達は合理的な考え方で片づけかねませんが、ひめゆり隊の生き残りの方たちが訴えるのは、正しい情報を与えられずに、ただ、ただ、

『国(人)を護るために闘わなければならない』

と、疑わず無垢な心で闘いに赴いて、その多くは米軍に(心の)辱めを拒むために自らの命を絶ったのです。(そう教えられていました)

 こんな事実を筆者は合理的に片つけることはできませんでした。
彼女らは声を大にして言います、

『戦争は人が起こす人災だ、だから(天災と違い)人の手で止められる』

と。

 最近こういった反戦否定に対して、今更感を前面にだして拒否反応を示す風潮が目につきます、それはこの前の中東で後藤さんが処刑された事実と同じです。
 人が起こす『人災』に新しいも古いもありません、悪いものは悪いという当たり前の事実を語ってくれているのです。

 その歴史を語る機会が、今年で最後になるという重みを私たちは知らなければなりません。その彼女たちは、当時集団自決のあった岸壁に最後の花を手向けながら、

『もうここへは来ない、今日が最後。またあっち行ったら会おうね』

 そう言って帰っていかれました。さぞ、無念なことでしょう。
こうしてまた直接歴史を語ってくれる人々が、また居なくなってゆくのです。

 筆者は元来歴史好きなのでそう思うだけなのかもしれませんが、フィクションではなく、如何に人間の歴史という事実が後世に正確に伝わるということが、如何に未来を引き継ぐ者にとって、貴重で稀有なものか?

雄弁に語ってくれています。

 私たちにの今に、尊い命を捧げてくださった健気な少女達に感謝申し上げます。