国民・市民が立ち上がる、その余地は今後与えられるのか?
もう数十年も前から、戦争・有事が起きた際に兵器により殺し合う種類の戦争は、実際起きても局所的に実行され、その当事者は否応なしにその戦争に加担せざるを得ないとしても、それ以外の多くの蚊帳の外の人々にとっては、申告に戦争に向き合わなくても済まされた時代が続いてきました、その良くも悪くも恩恵は仕掛人が列強国である限り、世界のへき地極東の国日本にとって大きかったはずです。
先の香港暴動や今のウクライナ戦争に至っては、さすがに共感や協力の動きは出たものの、いざ戦争の当事者となった際の”覚悟”はいよいよ現実のものに近づきつつ有るようです、かつて日本は良かれと思い、搾取される東南アジア地域の人々を、独自のアジア経済圏を創ることで救う行動に出たことがありますが、それは支配のために戦争を仕掛けていた者たちにとっては、余計な行為であり邪魔になった日本は、不利な方向へ追い込まれアジア人にとっての人柱として、殲滅寸前まで理不尽な殺戮校を受けました。
日本は今でこそ、その実態が”殲滅戦争”であった太平洋戦争後は経済成長を果たし、アジアのリーダーとして成功してきた、その意味で日本は一見成功者のように見えていますが、実際は周辺のアジア諸国・途上国と何ら変わりない扱いを、支配側の列強国から強制させられ続けているのが現実ですし、事実日本政府はアメリカ・中国・ロシアの優先権や支配圏から、未だ逸脱する事すらできない不自由国です。
その太平洋戦争終結後日本に設置されたGHQが、日本人を改めてみて驚愕したのは国民の識字率の高さで、当時世界の男尊女卑が存在した時代にさえ、女性・子どもでも暗算ができ九九で4足演算が当たり前にできたことでした、黄色い猿と小ばかにしてきた日本人の強要レベルの高さに、彼らは怯えそしてその後の日本教育制度によって、弱体化を図ったおかげで日本人は、世界の真の歴史を教えられることなく、国の尊厳を失い大学進学のための学問をさせ続けられてきました。
タラレバはあまり好きではありませんが、もしも日本が戦争に勝利、たとえできなくともイーブンで終れていたら、アジアは…世界はどの様に変わっていたでしょう、少なくとも今より民主的で平等な社会が国際化していたことでしょうが、現実は日本が骨抜きにされたことで、列強国側のアジア統支配は植民地から独立した後も、実行継続されています。
誰も日本の失敗が世界の進化を没落させた、などと責めてはいませんが、その間にも小国は大国の圧力にさいなまれ続け、日本の近くでも香港がそして台湾もその気配が見られ、遠くではウクライナが…その殆どが立派な民主独立政府であるにもかかわらず、それを認めないかのような理不尽な攻撃を仕掛けてくる、この痛みを日本人は身をもって知っている筈でした。
果たして私たち日本人は、その痛みは憶えていても、かつて数々の大国と対等に闘って優秀な戦績を挙げてきた誇りを、憶えているでしょうか?戦後生まれの多くの人々は、仕掛人であった本来の戦犯国の日本改造計画によって、有実無害化させられ国民は虎から猫に買えさせられてきました、戦争経験者だった世代の子世代らによって、反戦活動で戦争をした本当の意味を自ら消し去り、本来国際法で禁じられたはずの民間人の大量虐殺とも言える、無差別空襲や原子爆弾投下への怒りを、平和の名のもとに封じ込められた諸事実。
その後も計画の一環と思われる、日本政府自らのデフレ施策による経済低迷下とアメリカのジャンク文化による日本文化の低質化が与えた者は、使命のために戦争もいとわない…先の香港市民やウクライナ国民が示した反駁の士気と、戦争もいとわない自己犠牲の精神と行動力、果たして今の日本人にも同じ志を期待できるものでしょうか。
日本がアメリカが主導して組まれた計画によって、力を封じ込められ対等に勝負できない間にも、世界の巨大資本層たちは絶対的な資本力と影響力を最大限に使って、グローバリズムの完成を果たし、さらに次の新統制時代の実現に一気に進行し始めています、最大の懸念材料であった日本の存在を無実化できたことで、彼らは易々と目的を一気に果たそうとし始めています。
前回書いた金融大変革へ一気に動きだしている、まさにその今が最後のチャンスであったのかもしれない、そのチャンスをウクライナ戦争が担えると期待されていますが、それすら予定調和だったと知った時、多くの人は絶望を禁じ得ないでしょう、絶望した人から自ら希望を放棄し、自暴自棄にかかって成り行きに任せるようになります。
彼らはその時を見計らって、詰将棋の決定打を打とうとしているのです、詰将棋の勝者が羽生名人や藤井将太さんのような人格者だったら、どれだけ救われるか分かりませんが、どうやらそれは期待できそうにありません、事が起きた時に躊躇なく闘える日本人である様に、覚悟とリスクを共有し、数ある災害に見舞われ苦労をしてきた私たちには、どうあっても譲れないものが有るはずです。
当面の目標は2025-30年です、まずはなんとかしてそこまで持ちこたえる工夫や努力を、可能な限り怠らないようにすることから、それまでに日本の経済が上向きに成ればまだまだチャンスはあるかもしれません、5年先とは言え長丁場ではありますが、明日の生活にも困っている人もいる中で、日本人としてどこまで貫き通せるか、いよいよその努力の結果が見えてきそうです。