くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

続・日本金融の総本山、日銀

戦時中、戦後の通貨

昭和17(1942)年日本銀行法制定で日本銀行は兌換だかん義務が無くなり、日本銀行券から兌換の文字が消されました。これにより日本は金本位制から管理通貨制へ移行、管理通貨制とは正貨(金等)を準備して、紙幣の額面価値を保証しなくても、最適と思われる通貨量をきめて、通貨量を管理・調整できる制度で、今日も政府・日銀によって継承されています。

昭和13(1938)年日中戦争戦時体制下に、通貨需要の増大に対処するため「臨時通貨法」を制定、金・銀・銅以外の新素材の金属の補助貨幣が発行可能になり、昭和21(1946)年戦後激しいインフレに見舞われた機会に「新円切り替え」施行、新紙幣が発行までの間間に合わせに旧札に「証紙」を貼り流通、昭和25(1950)年新千円札が発行以降、紙質の良い多色刷の紙幣が増刷可能になります。

 

今日ではクレジットカードの普及や電子マネーの発達などによって、貨幣も新しい時代を迎えていますが、銀行の役割りは元々「銀の預かり所」で、基軸通貨の世界史によれば世界の覇権がイギリスからアメリカへ映ったことで、17世紀にヨーロッパで紙幣が始まり、当時の覇権国イギリスの政府は政府銀行としてイングランド銀行を認可、通貨ポンドの独占的な発行権を与えます。

戦争など政府が財政難に陥ったときには、国債を発行して中央銀行に引き受けさせ、低い利息で資金を融通させるのが目的でしたがその都度、増税リスクを回避できました、大航海時代からの銀を基軸通貨とする銀本位制は、銀山採掘超過で銀の価値が低下を機に、より高価値の金を基軸通貨とする”金本位制”へ移行した19世紀、先頭を切ったイギリスは貿易の支払いを金で要求、その後の大英帝国の繁栄は世界中から流れ込む金で続いたのです。

 

大英帝国に陰りが生じたのが19世紀の末。新興の工業国アメリカの台頭です。綿織物など軽工業中心だったイギリスは、重化学工業を発展させたアメリカ、そしてドイツに工業生産で追い抜かれました。その後も海外投資のリターンで金が流入し続け、ポンドの地位は揺るがないように見えましたが、決定的だったのは第一次世界大戦でした。

戦場にならなかったアメリカは、軍需物資を大量生産してヨーロッパの交戦国に輸出して莫大な利益を上げ、財政難に陥った各国政府が発効する戦時国債を引き受けて、債権国になりました。戦争はもちろん悲惨ですが、自国が戦場にならなければ儲かるものなのです。

 

アメリカの金融危機。そして第二次世界大戦

戦後、イギリスを始めとする欧州諸国は、戦時国債の償還、すなわち返済を迫られました。支払いはもちろん金(Gold)です。ロンドンの金融街シティの金庫から引き出された金塊が、大西洋を超えてニューヨークのウォール街へと流れ込んだのです。

過剰な資金は国内の設備投資や海外投資に使われました。敗戦国ドイツの経済復興にも莫大な資金が投資されます。ところが、欧州の経済復興とともに輸出が止まって在庫がだぶつき始め、企業収益は悪化していきました。余剰資金は株式や債券に流れ、実体経済とかけ離れた株高――バブル経済をもたらします。

 

 このバブルが弾けたのが、1929年10月の株価大暴落。世界経済のけん引役となっていたアメリカの金融危機は、世界恐慌の引き金になりました。

物価は下落を続け、市場規模は縮小し、輸出は伸び悩みます。金本位制では、貿易代金は金(Gold)で支払うのが原則ですから、貿易赤字は金の流出と直結します。中央銀行の手持ちの金と同額の紙幣を発行するのですから、金が底を突けば、通貨発行もできなくなります。通貨発行ができなければ景気対策も打てません。

 

最後の手段が、金本位制の停止です。金(Gold)と等価交換できる引換券であるはずの通貨ドルを、金と切り離してしまうのですが、各国が金本位制を停止した結果、基軸通貨を失った世界貿易は縮小しましたが、イギリスは広大な植民地――ポンド圏内で貿易を維持し、外国製品には高関税をかけるブロック経済で国内産業を守りました。

植民地が少ない日本、まったくないドイツの産業を守るには、それぞれ円ブロック、マルク・ブロックを建設して市場を確保する必要がありました。こうして日独の軍事行動から始まったのが第二次世界大戦です。

 

超大国アメリカと、最強通貨ドルの誕生

今度も戦場はヨーロッパと東アジア・太平洋海域で、破壊を免れたアメリカの工業はフル稼働し、爆弾から石油に至るまで軍需物資を大量生産して交戦国に売り込みました、では、アメリカがなぜ超大国になれたのか?それはヨーロッパともアジアとも隔絶した場所にあるという、地政学的優位を生かせたからです。

戦争が終わったとき、世界の金(Gold)の70%をアメリカ一国が保有していました。有りあまる資金は、ヨーロッパとアジアの戦後復興に投資され、また緊急援助として戦災孤児の空腹を満たしました。また膨大な軍事費を支え、米軍が「世界の警察」として展開を続けるのを可能にしました。もはやアメリカのドルなしには生きられない国々は、軍事的にも経済的にもアメリカの軍門に下ったのです、そしてなぜ世界の多くの国で「ドル」が使えなぜドルは特別なのでしょうか。

 

それはドルが、世界共通のお金―国際通貨(基軸通貨)としての地位を手に入れたからで19世紀では、世界の工場といわれたイギリスの「ポンド」が世界中に流通していました。そのポンドの地位がドルに入れ替わったのは、第一次世界大戦(1914―1918年)のあとからです、全ヨーロッパを巻き込んだ戦争が4年間も続くとは、最初は誰も予想しませんでした。欧州各国は、国際通貨である金の流出を阻止するため、金本位制から離脱します。そして、不換紙幣(金と交換できない紙幣)を乱発して軍事費に充てたのです。

やがて国際金融の中心は、ロンドンからニューヨークへ、そのきっかけは不換紙幣は信用に問題がありますが、「戦争に勝てば、敗戦国から賠償金を取り立てて国庫の穴埋めができる、だから大丈夫!」と説明しました、ところが戦争が長期化し、各国は物資の不足に苦しみます。しかし、アメリカは別でした。中立を宣言して戦場にならなかったアメリカは生産をフル稼働し、欧州諸国へ軍需物資を輸出します。貿易代金はドル決済で、ニューヨークの銀行へ振り込まれました。このとき、国際金融の中心は、ロンドンのシティから、ニューヨークのウォール街へと移ったのです。

 

日本は戦場にならなかったので、欧州向け輸出で好景気になります。代金は、日本企業がロンドンの銀行に開いた口座へ金で振り込まれました、アメリカ産の物資は世界中に流れましたが、圧倒的海軍力で制海権を握ったイギリスが海上封鎖を行ったため、ドイツへの輸出は断たれます。食糧不足が深刻となったドイツは、海上封鎖を打開するために潜水艦による民間船舶への無差別攻撃を開始。これがアメリカの参戦を招き、ドイツは敗戦に追い込まれました。

イギリスをはじめとする連合国は、軍事費を捻出するため戦時国債(戦債)を発行します。その多くが販売されたのもアメリカの証券市場でした。ドル建ての英仏共同国債の発行を引き受けたのは、ニューヨーク最大の金融資本であるJPモルガン、JPモルガンのおかげでアメリカは世界最大の債権国に、戦中戦後を通じて莫大な貿易代金と戦債の償還金(返済金)がアメリカへ流れ込んだ結果、アメリカは世界最大の債権国となり、米ドルが国際通貨となったのです。