くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

過ぎたるは及ばざるが如し。闇を操ったフィクサーたち仕掛人の功罪

日本は第二次世界大戦、つまり極東で言えば日中戦争から太平洋戦争を経て、敗戦国として列強西洋国の仕組みの中に敷かれることになりましたが、欧米の資金援助で当時中国満州コクを統治していた日本の円(圓)の影響力を下げさせ、中国元の普及に成功したことで、中国は上部城独立を果たすに至りました。

敗戦後それによって、満州在留の日本人または血の繋がった日系人、中には日本人に成り済ました中国人などが、大量に日本に”引き上げ”てきましたが、その中には満州国で栄華を極め資産を貯えた者や、そのどさくさに略奪や盗みで貴金属や財宝として持ち帰った者などが、帰国後に荒廃しきった日本国土の中で、地位や財力を利用して国の中心的地位や経済的権力者として、国を扇動する大きな動きに深く関与し出します。

 

こうした政局・経済情勢の中で、戦後アメリGHQが国内の政治・法律・経済基盤の基礎を形作り、それに沿った流れに従ったものが、次第に影響力を高めていった時代、今でも名前を聞く”フィクサー”と呼ばれた表と裏の顔を持つ人物達が、暗躍していくのですが、

彼らは、戦後復興の動力源となった経済成長を先導した一方で、不正・事件・犯罪の温床を形作る先鋒として日本の闇の形成にも、大活躍した事も名を残す一因になりました。

例えば(田中)角栄が恐れ、中曽根(康弘)が泣きついた…戦後「最恐のフィクサー児玉誉士夫氏などは超A級のフィクサーであり、笹川良一氏も今も子息が政治経済に大きく影響力を持つビッグネームでした、前者や白井次郎などは、CIAに協力した「右翼の大物」の素顔を持ち、謎な部分も多く持ち未だに様々な曰くを云々されています。

 

1976年、ロッキード事件が発覚し田中角栄元首相らが逮捕されたのは、比較的有名な話ですが、当時ロッキード社や丸紅・全日空を仲介し、賄賂受け渡しの「ハブ」になったのが右翼の大物児玉誉士夫だと言われます。「戦後最大のフィクサー」と呼ばれた児玉氏は、背後には居たCIAの極東戦略に沿って、当時のドル箱だった旅客機販売の商戦で優位性を確保するべく、ロッキード社はマクダネル・ダグラス社を抑えて、全日空から受注を獲得し勝利に導きます。

その際に、ロッキード社から5億円のわいろを受け取り、ロッキード社を勝たせた最大の功労者は、表向きは「巨悪」とされた田中角栄でしたが、彼は鉄砲玉出しかありませんでした、ロッキード社がダグラス社に敗北しかけた「最大の危機」で、ロッキード社に大きく貢献したキーマンは、当時の通産相中曽根康弘(後に首相)だったと言います、ロッキード社元副会長コーチャン氏が、回想録と嘱託尋問証言でその事実を明かしています。

 

CIAは当時日本でも息のかかった米国企業優位になるよう市場のインテリジェンスを駆使し、戦後構築した人脈が力を発揮していた。窮地に陥ったロッキード社のために、形成を逆転させるよう中曽根に依頼したのは戦後日本の黒幕、児玉誉士夫だ。児玉は米中央情報局(CIA)の協力者だった。

彼のようなフィクサーは、日本占領期には占領終了後には、岸信介賀屋興宣正力松太郎笹川良一・田中清玄・笠信太郎緒方竹虎・野村吉三郎などを、CIAの協力者として揺籃期の自由民主党に活動資金を提供し、心理戦略委員会(Psychological Strategy Board(PSB)のちの作戦調整委員会)などの方針に沿って政治及びマスメディアを利用し、国内のアメリカニゼーションと政府の親米化に一役買った(ウィキペディア)とあります。

 

日本航空123便墜落事故の記事の時にも書いた、当時首相になっていた中曾根康弘氏は、ロッキード事件が表面化した直後も、大胆にもアメリカ大使館員に事件を「もみ消す」よう求めその大使館員はCIA工作員だったとも言われますが、こうした戦後の敗戦処理から経済発展に至る、日本の舞台裏で暗躍したフィクサーたちが、CIA都の関与は表に出なくとも暗黙の事実であり、「本当の巨悪」を探ろうとすると、多くがCIAに繋がっていくのは単なる偶然ではなく、戦後日本が二度と西洋列強国に牙を剥かないように、徹底した弱体化と傀儡化を目的に、政治・経済・法政に渡っての完全コントロールをする、司令塔として役割りを果たしたことを暗示しているということでしょう。

つまり、これは映画の世界でも陰謀論の戯言でもなく、教科書では教えられなかっただけで、実際の歴史が証明している事実であり、メディアはその事実を隠蔽するに加担してきたということです、片棒を担いだことで同罪意識の中で、然るべき地位を与えられ口封じをされた、そういうことなのでしょう、日本航空123便の件でもCIAが絡んだかどうかは全て謎ですが、日本人でそれに関わった中曽根当時首相をはじめ、マスコミ関係の記者などは、今では押しも押されぬ有名人として、知名度を上げた者もいます。

 

先に書いた児玉氏も、児玉機関は発足時の資金が150万円だったのが、それから2年後には従業員200人を超えるまでに成長、海軍が惜しみなく予算を充て児玉機関は拡大していったと言います、また児玉氏は敗戦直前ひそかに帰国し、1945(昭和20)年8月17日成立した東ひがしくに内閣で内閣参与に就任するも、同内閣は2カ月後総辞職され翌46年早々にA級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨刑務所に収容されます。

1948年12月23日、東條英機A級戦犯7人は絞首刑に処せられますが、児玉氏は岸信介笹川良一ら大物戦犯容疑者計18人とともに翌日釈放されています、彼らは釈放されて戦犯容疑者から免罪された見返りに、アメリカに利用されることになっていったのです。

 

終戦アメリカは、早速日本改造に乗り出し「民主化」と「自由市場化」を推し進めましたた、教科書では表向きの”平和への模索”は、その後の冷戦や朝鮮南北戦争への根回しにすぎませんでしたが、筆者がこの話を知人などに話しても、陰謀論で片付けられてしまいましたが、”例の行動計画”によって予定調和により、歴史は予定された通りに動いる事実は、教科書には書かれることの無かった隠された歴史として、今なら誰もが気づいている疑惑として、その後の日本の在り方を探るヒントとして市民権を得るべきでしょう。

1946年チャーチル英国首相の「鉄のカーテン」演説、47年トルーマン米国大統領の「トルーマン・ドクトリン」と「ソ連封じ込め」政策、49年の中華人民共和国成立、50年朝鮮戦争の勃発と続き、東西冷戦が激化すると、アメリカは政策を180度転換、日本の利用を戦争犯罪の追及から、日本経済を復興で影響力を高め「反共の砦」に利用し始めます。

 

公文書館が一般公開されたことで、戦後アメリカの世界戦略の道具として、日本の果たしてきたきたいされる役割りが明るみにされていきます、以前書いたNHK「圓の戦争」記事にあった、先日中陸軍の圓の錬金術による金の備蓄の事実も、それその記録よって日本に知れるところになったのです。

1945年11月13日付で、ジェームズ・バーンズ国務長官は、連合国軍最高司令官(SCAP)政治顧問ジョージ・アチソンあてに送った秘密文書でこう書いていて、「児玉機関の長だった児玉は8月に東京に戻った後、内閣参与になった。朝日新聞が提供した飛行機で巨額の金を持って東京に戻ったと言われる」児玉氏が朝日新聞社機で貴金属や宝石を持ち帰ったという話は、日本の情報通の間では「定説」として語られており、終戦の前日に金の延べ棒やプラチナ、ダイヤモンド、ヒスイなどを朝日新聞の社機に載せて日本に運んだと、関係者間で証言されています。

 

戦後児玉氏がフィクサー黒幕として、舞台裏で隠然たる影響力を行使した力の源泉は、満州から持ち帰った蓄積された巨額の富でした、彼を具体例に満州時代の栄華を極めた、日本国の経済的ノウハウは、彼らフィクサーと呼ばれるようになった、満州からの引揚者達によって引き継がれ、今も日本で多くの利権や特権の温床として、継承されているという隠しきれない現実は、これから社会を構成していく次世代にとって、決して知らなくていいと切り捨てることは、ますます自分の立場を狭めるだけであり、日本を背負うものとして知って・認めて・克服すべき課題であって欲しいと願わずにはおれません。

こうした負の遺産は、返せば正の遺産…例えば医療先進国であった医療技術や、優れた兵器製造から精密機械加工技術や基礎研究を重要視する姿勢を、私たち後世に残してくれたことも事実です、なので相変らず左翼が日本は罪人だ償えだとか、必要以上に自責する必要はありません、しかしそれらの報酬と罪悪が表裏一体であるのも知っておかなければならない現実なのです、陰謀論や都市伝説でしか認めることができない、グローバリズムの世界戦略の一端からは逃れきることは、もうできないかもしれませんが、日本人として清く正しく人間として貢献するチャンスは、まだまだ余地が残されている、決してあきらめる必要など無いのです。