くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

永く民主国家だった日本が、自由資本制と共産主義制に侵される今

古代ギリシャで起こった民主制平等主義は、その後間もなく古代ローマ帝国によって滅ぼされますが、奇しくも底から遥か離れた極東の日本でもその花は開いていたのですが、そのどちらにも、やがて貧富の差を持って民衆統治をする専制主義勢力に犯されていきます。

その原動力は、権力を絵うのに使われたマネーが原動力であり、世にはばかるもの当に言わずと知れた拝金主義社会です、特に西洋・中国はそれぞれ経緯を踏んでカネの影響力を発展させてきましたが、グローバル社会になった現在では、金を悪者扱いする者は異端者となったのです。

 

戦後日本で汚職やわいろの横行が進んだのは、日中戦争の戦中満州で生活していた日本軍人や官僚などが、敗戦後のどさくさに満州で築いた財産や、中国で詰んだマネーの錬金術を帰国後に日本で応用した事が挙げられます、また日本は敗戦国として戦争による経済疲弊で、貧しい時代が続いた事で、成り上がりや搾取が増発したのも大きかったでしょう。

日本人の多くが貧困で綱しい生活を強いられていた間に、満州帰りのエリートや海千山千の猛者達は、法規制や国内ルールを、半強制的に反故にしながら成り上がっていきます、今では殆ど語られることはありませんが、彼らはかなり際どい手段を駆使して、国の中枢に食い込んで行く者、闇商売や非合法な土地買収、高利の金融貸しなどで短期間に、日本の行政・産業の要になっていきます。

 

逆に言えば、彼らは非合法な商売や金融・政治のエキスパートであり、同時に闇の世界を身体で体現してきたことから、裏事情にも通じていく手段や情報網を蓄積していきます、その後は表では事業者・政治家として活躍していくことになり、裏に回ったものは闇のフィクサーとして、それぞれの立場で影響量力を高めていくのです。

過去・現在に起きている金や事業などの未解決事件は、その多くがこうした裏事情が絡んでいると言っても過言ではなく、かといって表には決して浮上することの無い事件で、真っ当な人生を歩む殆どの国民には、一生縁の無い世界でもありますが、稀にこの手の事件の犠牲者にされることは往々にしてありますので、他人事では無いですが解らない以上どうしようもありません。

 

いわゆる陰謀等と言われる一連の出来事が、”まっとう”に生きてきた人々には、直接は影響が無く実生活には実害が無さそうに見えます、そのため真顔でいくら怪しいと訴えても、所詮は陰謀論の戯言で済まされてしまったり、SNSやサイトでネットに残しても、無視や削除をされたり、拡散してもメディアなどで抑えられて印象は薄くなってしまいます。

こうした処方術は西洋では、周到に歴史の変化の過程で代々隠され、マネーによるヒエラルキーを束ねていった遠大な歴史に、痕跡を残しています、王政・皇帝制・共産主義と、民主政治が生まれなかった中国では、専制制度つまりピラミッド型ヒエラルキーだけが発達し、許認可権を握る官僚が民間業者の経営権を握るため、マネーの威力を行使して業者は官僚にわいろを贈り、公共事業が利権化して政治は腐敗していきました。

 

わいろを行使できない民衆は、革命家・指導者を立てて反乱を起こせますが、王朝政府は一旦崩壊しても、過去なら未だしも現在は他国や西洋列強国が介入してきます、「官僚機構の肥大化と軍事費の拡大→増税民業圧迫→景気後退と貧困層の増大→農民暴動と軍の離反→王朝崩壊」というパターンは、古代中国でも繰り返されますが、こうした伝統を受け継いでいる現代中国でも、官僚の汚職が深刻化しています。

そもそも中国には脈々と続く、歴史的な悪癖を解決できないために、それに目を付けられた歴代中国王朝・政府は、本来縁も無かった西洋国からの干渉が起き始めます、自国の王朝に限らず外部の国家や集団にとっても、広大な市場は極めて魅力的で、その戦略にたけた西洋列強は、自国でまん延した阿片をインドで作らせ、さらに大量に投入し阿片漬けにして最後の王朝清を、実質上無能化したうえでロシア帝国がそうであったように、最新の専制思想である社会主義を浸透させ、自由資本主義市場とは異なる”もう一つの階層社会”を、打ち立てる準備を始めます。

 

彼らは、武器であるマネーによるグローバル化を資本主語社会で打ち立てる一方で、広大な国土を持つロシアや中国を社会主義化によって、真逆の価値観を持つグローバル化を実現してきました、真逆で対立する二極構造を創ることで、互いを競わせ対立で恐怖をまん延させ、そのどさくさによって彼らの理想郷をでっち上げようとしたわけです。

その計画の骨子は、既に以前紹介した「世界革命行動計画」に沿って着々と実現しつつありますが、その計画はいよいよアジア極東に残されたオアシスである日本にも、100年以上前からマネー支配が始まった、これも前に紹介した通りです、特に日本は第二次世界大戦後敗戦国として、足かせを付けられて以降は言いなりそのものです。

 

アメリカの傀儡として戦後、日本は言われるままに成果を譲り、放射能や経済政策・医療実証など多岐にわたって資本主義市場の実験国として存在してきました、これは中国でも社会主義市場としての実験国と合わせて、アジア全体が西洋列強のもっとも離れた地で、マネーの力や生産性を上げる広大な実験場と化していると言って過言ではありません。

何を言っている?私たちは自由で平等じゃないか、そう仰るのも間違いなさそうに見えますが、かれらはそれもひっくるめて生かさず殺さず…です、その範囲で幸せならもう何も知らない方が良いのかもしれませんが、今の私たちは本来の平等と自由は享受できていない、その事実は変わること無く、この先も悪化することは有っても良くなることは無い、そういう世界に私たちは”生かされている”だけで良いのか、その中でどれだけ人らしく生きるかが、これからの人の価値を決めると気付いてほしいだけです。