くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

宗教観から覗き見る、世界の動きと日本の独自性

歴史の帰結として、そもそも一つであった社会や文化宗教などを、わざわざのれん分けして存在している社会は、争いや混乱を助長させるための手段なのかも知れません、なぜわざわざ面倒なことになったのか、宗教観から考えてみます。

最も普及していると言われるキリスト教、その原典とされる旧約聖書では、人が争いをやめずに、やむなく言葉を分けたと言いますが、ざっくりしすぎて解析できるものではないですが、実際に言葉や宗教が元が一つだった事は聖書通りだったと言われているそうです。

 

日本であっても、古代の本来の歴史書は今は残されておらず、書簡として残る最古の史書は、日本書紀古事記だけですが、現存の直系天皇一族が日本に来る前にも縄文時代で世界に先駆けた文明はあったとされます。

いわゆる縄文時代の名前の由来にあった、縄の紋を土器の表面に押し付ける文化や、遮光式土偶など高度な装飾や、女性土偶などを中心とした、今の民主主義に等しい社会が成立したと考えられており、当時世界でここまでの高度な社会が存在した形跡は見つかっていないため、アフリカから始まった人類のルートとは別の、進化があったという説が注目されているそうです。

 

世界でも文明は世界4大文明と言われるも、本来は日本を含め8つほど起点になる文明があると言われたり、言語・文化や技術についても中国大陸から朝鮮半島辛ではなく、環太平洋に沿って南方から伝わってきた事が、ほぼ世界の標準になっている、ほぼとしたのは日本・中国韓国だけが拘っているからです。

宗教にしても、ユダヤ教キリスト教・仏教と別れているが、基を正せば現在で言う中東から始まる、一つの信仰から出ているとの考えが主流になっているも、今の宗教を信仰する立場では、世界はそれを認めるわけにいかなくなっているという、事情が列強国によって強いられている。

 

日本は縄文時代以降では、宗教を持つ必要がないほど、自然全てに神を見出し信仰した、言わば日本教とでも言える独自の意識を、当たり前のようにもって現代まできたわけで、そもそも宗教が分離することは、思想や理念を分解されることであり、一旦そうなれば収拾を付けることが非常に困難になる、当時の神々はそれを意図して分散させたのでしょうか。

少なくとも神々にとって、人間が彼らにとって不都合な行為に及んだ事で、一種の罰として人の原語をバラバラにした、それゆえに当初同じだった一神教への信仰も多様化した、そういう経緯があった事が、聖書には端的に語られています。

 

また旧約聖書は、知られている通りに長い年月の期間の、神や人間の出来事を記述された時代時代の解釈で書かれていて、それを強引に合体させてしまったため、通して読んでいる私たちは、往々にしてチグハグで不統一な記述に出くわします。

例えば、神を一人称で記述する章があれば、複数形で記述する章もあったり、最初の人類とされるアダムやエバ等の最初の人間についても、特定の固有名称なのか、その時代の人間集団を指すのか、特定に苦しむ場合もあるなど、恐らく総意は事実を基にしている筈ですが、文字通り解釈するとつじつまが合わなくなったり、フラットアース説など聖書信者の中には、文字通り事実を書いていると、今も証明しようと努力している人々もいる。

 

ただ、キリスト教にしてもユダヤ教イスラム教にしても、その押しの強い性質は大規模な移住移動など流民として、さまよってきた人類の業のようなものによってそうなったんだと思います、日本は歴史の流れからは東の果てにあったがゆえに、その影響を最後の最後に受けたため、独自の自然観や文化が最後まで継続された、それが数えで2000年以上続いたことに、彼らは戸惑い敵意をむき出しにしてきました。

それが日本人が、彼らに恨まれたり妬まれたりする根拠の一つで、しかも他の国様にどれだけ酷い仕打ちをしても、日本人は受け容れてしまうし逆らわないのですよ、こんな民族は初めてであり、しかも結構粘り強いと来るから、イライラもするでしょうし、更に虐めたくなるという悪循環、日本が現在世界の事象実験国とされるのも、その反動からかもしれません。

 

特に長距離移動した現在アメリカに住む人々は、進むことが正義と考えただけあって、ポジティブで自由主義の先端を行くほど、自己正当性が高い人々となっています、その国と闘う中国人…正確には中国共産党?+共産党員の国民たちは、大陸の歴史何千年の間に奪い合ってきた闘争心と交渉力によって、無宗教でも世界覇者アメリカと対抗しています。

どちらにも共通するのは、高い戦略性と行動力をもっていることで、結果的に他国よりその能力が抜きんでていたということなのでしょうし、一旦トップに立った者は、おいそれとその座を譲り渡したくなくなるものですから、周りを巻き込んでありとあらゆる手を駆使して、その立場を維持しようとします、たとえそれが人の道を踏み外すものであっても、その目的達成の方が尊いと信じて疑わないので、妄信します。

 

日本というのは、その戦略上最も都合の良い地政学的ポジションにあり、そもそも世界でも最も古くから高度な文化をもった民主国でしたから、両国にとって”パシリ”に使うのにはもっとも使いやすい国民だったという、結果的事実が今の日本の全てを語ってしまっています。

彼らから見れば、その程度にしか見られていない、そう私たちは何時までもパシリに甘んじていて良いわけがありません、聖人君子も時には憤り、仏の顔も3度までと言われるように、もっと日本の事を考えて行動しなければならない筈です、しかしながら大国は江戸終盤から、厄介な貸しや置き土産をして行ったようです、その置き土産によって内部から日本人が日本人を貶めるという、悪いスパイラルに陥っているのが今の日本そのものの姿でもある、それを解決する人を待つのでなく、自分から行動するしかないのです。