くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

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日本でも総裁選が熱を帯びていますが、出馬表明した候補の中でも河野太郎氏のインタビューを聞いていると、他の候補と比べて先進的ではあっても、その先進さゆえに左派的な発想に依存している傾向があるように聞こえました。

派閥に依存しないとか原発は日本では淘汰されると見ている氏の考えは、一見先進的な発想ではあっても、一方では皇室のあり方も含めて、日本の王道的な慣習や意識を逸脱しようとする意味での先進性とも取れるものです。

 

超保守で臨機応変の岸田氏・保守でも危機管理投資優先の高市氏に対し、派閥は他派候補への触手を伸ばしたり、若手議員も党派を超えて党の空気を変えようとする動きがあったりと、新しい変化を積極的に取ろうとする動きが目立ちます。

30年ほど前から短期政権が連続し、ようやく安倍政権で長期安定政権が実現したことからも、安倍総理時代の成功事例を模索する、自民党の変わろうとする空気は、これまで派閥単位での政治からの脱皮を模索し出しているのかもしれません。

 

河野氏WBSのインタビューで、年金制度の維持ではなく、年金生活の維持が大事だと言っていたり、核燃料再処理の失敗が原発の優位性をなくし、自然エネルギーへの移行に積極的になるきっかけになると言っている通り、注目すべき発言もしている点も、支持する人が多い所以です。

彼が話していた中で重要だと感じたのは、安倍派や麻生派からの支持があったら、という問いには国民に指示が優先される、といった意味合いの回答をしていましたが、この真意を私達がどこまで見抜けるかは、今回の総裁選で候補が何を欲しているか、推測するためにとても重要な事です。

 

今回の氏の回答は、リップサービスと考えた方が無難でしょうが、彼に限らず他の候補も含めて、国民に誰がメッセージを送ろうとしているか、派閥の安泰が彼らにとって、政策の安定につながる事は一般に止む無しと謂れながら、これからの時代がもう派閥中心の政治は、意味を成してこないだろう事は、誰もがコロナの苦難を経て理解できているのではないでしょうか。

逆に言えば、これからも新しい組織作り改革に、積極的に挑もうとしない政治家は、私たちは無視して良いということです、かつては国民の声を吸い上げる名目で、組織化を容認した上でその資金を提供することで、トレード出来てきた面は確かにありました。

 

しかし、私たちは特に若い世代はその裏切りになれさせられて、政治への関心を完全に失ってしまった、そういう苦い経験をここ数十年くりかえしてきたのです、これから日本を背負って立つ若い世代が、背を向ける日本の政治には、もう派閥は機能させてはならないじだいなのです。

もし、この先若手議員が派閥にすり寄ろうとする姿を、見ることになった場合、彼らを信用してはいけないのではないでしょうか、そもそも政治家を志した時点で、地道に足や車で演説をくりかえし、一匹狼で孤独な政策の訴えをしてきた彼らにとって、組織の恐さはいやという程学んできたはずです。

 

群れれば群れる程自分の意志を通しにくくなる、なのに群れていくのが政治家としての堕落だと気付いていながら、統率力という魔力に靡きながら、他人の政策や野望の肥やしにされていく、そうなってしまえば彼らは個人経営者でなく、私たちと同じサラリーマンでしかなくなるのです。

私たちも、雇用者には被雇用者は依存せざるを得ないことは、経験上よく知っているし、そこに甘んじている人がいるとすれば、群れる政治家を責めることさえできなくなるでしょうが、そうなるとお互い負のスパイラルに、陥っていくのがお決まりのパターンでした。

 

おとながこれ以上この悪転を繰り返していれば、その下で育つ子どもたちは、未来に希望を持つはずもなく、大人を軽蔑しながらも、その軽蔑する方法しか見いだせないまま、模倣していくしか無いわけです。

彼らは学校という組織で、本来多くの可能性やチャンスを、さがす場を得られるはずですが、それが現実出来ないままでは、革命さえ起こせなくなって、他国の仮想現実戦略に成す術もなく飲み込まれていくでしょう。

 

筆者は今年いっぱいが、この先を決定する最後のチャンスだと申し上げました、その意見は今も変わっていませんし、そのチャンスは日本にとっては総裁選で、日本の治安と情報セキュリティがどう守られるか、そして景気向上を起こすロードマップを、明確に示せるトップが現れるかにかかっています。

今出馬表明した3方が、その実現に適うのか、有限実行するのか、それはわかりませんが、直接総裁選選びには関われませんが、せめて若い世代には、トップの選び方を心残りの無いように、おしえてあげる位の事は出来そうです、そのためには選挙権を放棄しない、国を諦めない愛国心を、理解してもらうしか無いのですから。