くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

一度消えた歴史は、もう二度と戻ってこない、日本歴史学のススメ

皆さんが学校で習った歴史には、どのような印象が残っているでしょうか、そしてこれから歴史を学ぶ人達は、何を期待していくのでしょうか、世界でそして日本で残されてきた歴史は、何を目的に残されどのような影響を与えてきたのでしょう。

筆者が歴史が好きなのは、公平で事実を知れる歴史であり、その歴史を知ることは改ざんされた歴史との闘いがあっての醍醐味と言って良いでしょうが、それが面倒で歴史を嫌いになったり、日本の悪習である年号憶えだけの歴史に、留まってしまうために、歴史を嫌いになる人が多いのではないでしょうか。

 

歴史とは、時の勢力が都合の良い成果を残す、これが歴史記録の原則ですが、世界のおおくの考えとは少し違った姿勢が日本には見られます、都合が良いというより事実の正確さに拘るのが歴史の意味だと考える人が多いようです。

それは、本来記録し残されている日本の歴史が、そのように編纂されることが歴史の価値だと信じて疑わない人が多いからでしょう、しかし習った後で多くの人が世界の歴史がご都合主義だと知って戸惑うのです。

 

それでも歴史が価値を持つためには、可能な限り事実をありのままにする努力を怠らない人々によって、いまも価値多き情報と在り続けているのは幸いですが、相変らず自国の政治的道具に利用する国も根絶されていないのが現実です。

では、日本の歴史はどうでしょう?少なくとも筆者世代が憶えさせられてきた歴史は、今振り返ると結構な頻度で改ざんが見られますが、それさえも振り返らなければ、死ぬまで事実と疑わなかったでしょう。

 

問題はその改ざんされた歴史を、そのまま肯定してこの先未来が造られると、その先もどんどんとゆがみは大きくなっていく訳ですが、反り返った全体像を見た時に、それは本来の歴史から見れば仮想現実の一つであり、その仮想現実の歴史が国の数だけ存在したら、もう混乱の極みでしょう。

歴史の統一は必須にしても、歴史学者の中にも政治的目的で参加するものが必ず混ざってきます、それらによってある特定のれきしに都合の良い亜空間歴史wとも言えるような創作歴史が造られ、その歴史にそって社会が動いていく、そんな政治の道具にされるのがたまらなく嫌なわけです。

 

なので、筆者は独自に調べたことを平気で公言します、その主体勢力に忖度していたら、歴史の全体像は見ることができないからです、そして厄介なのはどこかで洗脳された様な御用学者(本来の御用でなく特定の勢力のという意味)が、混ぜ返しに来るのです。

権力を最大限使い、死にものぐるいで都合の良い歴史の沿わせようと、必死にお経の如く同じことを繰り返すのです。

 

大抵のひとは、その勢いに辟易して論議の壇上を折りて妥協してしまいます、もちろんその空気を造るために、別舞台のさくらも存在してのことですが、日本の少なくとも私たちやこれから歴史を学ぶ人達が知る歴史は、こうしたご都合主義に加工された歴史が、文科省認定とされていることが、分かってきました。

 

そうでなくとも、日本は江戸末期から昭和初期において、欧米からの歴史改ざんに係る出来事が多く行われた上に後者では焚書まで起きていますが、その事実が知らされることもなく、本来の歴史書に載るべきだった重要な事実や、人の考え意図目的が書き換えられ時には抹殺されたのです。

有志意向でさえ、ここまでの改ざんが出来てしまうのに、太古の日本、まだ当時の大陸国倭国と呼ばれていた頃、それ以前の日本の歴史は、書き換えられたのか、そもそも無かったのかさえ分からなくなっているのですから、この時代に合っては今更仕方がないにしても、筆者は少なくとも近代に起きた犯罪的な歴史改ざんよりかは、真っ当だと思っていますし、むしろ当時国内外での争いが耐えなかった時期に断片的でさえ、出来る限りの歴史を集め、研鑽しまとめて、大枠としての歴史を残してだけでも、良しとしなければならないでしょう。

 

日本書紀古事記にまとめられた当時は、まだ日本の歴史は事実を残す意識は大きかったと思っています、その後の日本の歴史は残された歴史においては、ほぼ改ざんが無いことが合意されています、ただ欧米が関りを強めていった江戸後期以降は、日本の判断意外に明らかに欧米の政治的意図が反映されるようになったのは、ほぼ間違いないでしょう。

それ以降は日本でも昔から都合の良い記録が歴史となったと、世界基準に迎合させられてしまったということです。

 

皆さんの歴史の価値が、それぞれの人生の中でどれ程の価値があって、行動の規範としてウエイトを閉めているかそれぞれ有るでしょうが、可能であれば時間が許せば、学校で習った歴史のまま嫌いにならずに、リセットして独学で学び直してほしいのです。

独学ですから一から十まで学びなおす必要はありません、自分の気になっている時代だけでもOK、そこから事実関係を前後に関心を広げていけたらしめたものです、そのためには切っ掛けとして、現在に起きている疑問から発想していっても良いでしょう、こんな事件が起きたけど、どう沿てそうなるんだ?など。

 

人がこう移動することとで続く歴史は、人の思惑や画策で大きく動いていきます、当然今生きている私たちと価値観や常識が違っていれば、理解できないのは当然で、考え方の相違を追っていくのもおもしろい学び方ですし、意外と昔の人の方が賢かったりして目から鱗が落ちることも多々あります。

日本の歴史が世界とかかわることで、起きるべくして改ざんされた事実は、もう帰ってこないかもしれないですが、復元することを諦めた時点で、その国はオワコンだと思っています、中国の様に力あるものが暴力や殺戮で切り開いてきた歴史も、れっきとした歴史ですし、無用な殺生をせず本来民主的な国家だった日本を知ることも歴史で、国によってその在り方は様々でなければなりませんが、嘘を咥えた時点でそれは現実ではなく、フィクションになってしまいます。

 

事実ほど、ダイナミックに人に影響を与えるものはありません、現実は小説より奇なりといわれるのも最もな話でしょうし、どれだけグロくとも美しくとも、事実から目を背けるようになったら、人間は人間でなくなり、何かの都合に合わせて動かされる操り人形になってしまうのです。

日本が未だまともなうちに、先生が教えてくれないのなら親から子や孫へ、友人から知人から伝え合い、時には喧嘩になることも有るかもしれませんが、それだけ正しい歴史を言い伝えようとする気持ちが強いと思えば、むしろ人間らしく健全な行為ですし、正しい喧嘩の後は仲直り後も良い関係に戻るものです、今は自宅で過ごす時間も長くなりました、家族サービスと一緒にちょっとだけ、歴史探索のゲームに興じる、そんな知的時間を楽しむのも良いのでは?