くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

何がメディアの可能性を高め、信頼性を貶めるのか

最近たまたま筆者が見ていたメディアで、感じた印象だけで善悪を判断するのは、偏っていて視野の狭い見識なのかもしれませんが、その一部をみているだけでも強烈なメッセージがふと頭をよぎることが、誰にでもあることだというのも、珍しい事ではありません、人間がまだまだAIに負けていないと言えるのは、このインスピレーションや動物のカンの様な直観に他なりません。

皆さんも、嫌な予感とか、あれどこかで同じようなものを見た感じたと思ったことは、多々あるかと思いますが、人は一から十まで見識を深めなくとも、何かの体験を通して一を知って十を悟ることは体験上知っている事ですが、今回もたまたま見ていたアニメメディアとYoutubeニュースで、今起きている事実に気付かされることがありました。

 

ニューソク通信社

米国上院議員が非常に重要な記者会見を行いました。これを報じない日本には、報道機関と呼べる所はありません!!

https://www.youtube.com/watch?v=WFi61O3CFYU

武田邦彦氏が述べていた、今の主要メディアの変則報道についてのビデオメッセージでは、アメリカ上院議員メンバーが、主要メディアでは拡散されない、重要な発表を米4大メディア以外から発信せざるを得ない現状が、今のメディアのゆがみを言い現わしているのではないでしょうか。

 

多くの人が、TikTok Youtube Weibo Facebook WeChat Twetter  Instagram などの主要メディアで流されるものが、余りに影響力が大きいため、大々的に流されるニュースの信ぴょう性を高く判断し、自費で出している弱小メディアが、知名度が低いせいもありますが、見聞きする機会すらない。

だから、最初の報道される、主要メディアが一斉に流すニュースが、少々歪に感じても鵜呑みにしてしまう、日本人の多くが未だにNHKの朝一番のニュースを、基準にして物事を考えてしまうのと、同じような刷り込みが、正しい判断力を阻害する事例が、余りに目立ってきているのは、まだまだ”まさか”の想いが、理性にブレーキをかけてしまっているからかもしれません。

 

一方で、私達が子供の頃から慣れ親しんだ娯楽の、マンガやアニメは本来子供中心に、分かり易くドラマ化した世界の比喩が起承転結の流れで、絵的に表現されていて、今どきは教科書や専門書よりマンガアニメで、器用に学ぶ人も増えている時代です。

ところが、本来事実をそのまま加飾せずに流すべきニュースが、エンタメ化し有名芸能人をMCに起用した、ナンチャッテ・ニュース番組が混在し、本来のニュース番組とは違った、事実の加工をした報道が、さも事実化の様に演出されるのが普通になっています。

 

その点で、むしろ事実は書かないけれども、実際に起こっている社会現象や問題、過去に起きたまたは是から起きるであろう近未来の、フィクションと侮れない情報が、まんがやアニメという空想メディアから、くみ取れる時代になっている、それを時代錯誤の未だに、マンガなんか読まずに勉強しなさいと言う親も、少なくなりつつある?そこまでは無いにしても、時事を学ぶメディアのジェネレーションギャップは拡大しています。

マンガやアニメは、フィクションだという一般認識があるため、今事実報道がしづらくなっている時代には、むしろフィクションに混ぜて事実を共有する程の、高い精度を誇るほどのメディアに成長していると見てよいでしょう、フィクションの世界では、何を書いても「作者の勝手でしょ」であり、その作者が個人から出版社・制作会社のブレーンとの合作で作られ、より専門性の高いジャンルまで、成立する懐の深さはよもやニュースメディアを凌駕する作品も増えています。

 

日本が発展させ世界に広めたマンガやアニメは、すでに子供の娯楽を超え大人を巻き込んで、広い分野を含む優秀なメディアに成長しましたが、筆者がこの前たまたま見直していたのは「鋼の錬金術師」のTVアニメ版で、久しぶりに全話見通しましたが、まさに今起きている様々な事象を、壮大な架空世界で展開させる内容は、説得力のあるものでした。

この作品に限らず、日本の作品には多くの現実の比喩を理解させてくれるものが、次々に出てきました、最近の物ではONE PIECE進撃の巨人、少し前ならハンターハンターエヴァンゲリヲン、ややマイナーですが、約束のネバーランドワールドトリガー、宮崎アニメも忘れてはなりませんか、などなど数え上げたらキリがありませんが、結構ハマる女子も増えて頼もしい限りです。

 

事実は、数字や統計など数量的に正確に報道すべきが、本来の最良なハズですが、大手メディアはスポンサー忖度なのか、どっかから圧力があるのか、ついには偏向メディアになり下がっていますし、数量的事実さえ加工し、誤解を招くような表現を多用し、意味をはき違えているかの様です。

それに対して、本来夢や希望を伝えるのが本業だったジャンルは、ニュースが伝えなくなった現実までも取り込んで、世界の縮図まで作品に取り込むようになったのは、タダのぐう園ではないでしょうし、人はやはり隠し事は出来ない性質なのかもしれません。

 

一方では事実を歪曲させ、仮想の現実を作り出そうとするメディア、それに対して事実を巻き込んで、現実の世界を創造してしまうメディア、それだけひと昔の様にメディアの存在意義が変化してきて、二分できなくなっている近未来の多様性を、ここでも確かめることができるでしょう。

あとは、それらの多様化するメディアから、私達がどのように知るべき事実を救い上げ、正しい方向へ間違わずに進めるか?その加工能力をこれからは問われていく、そして従来していたコミュニケーション手法が、取りにくくなるこの先に、独自で誰とも同じ共通認識や理解を、持てるようにするかが、重要なテーマになっていくことでしょう。