くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

再生エネルギー必要であるための条件

私たちが暮らしている日本で、主力になっている電力発電は火力と原子力となっていて、国内を複数の地域にわけて民営の電力会社が、独立運営歯科力・原子力水力発電の比率を調整しながら、エネルギー受給バランスを取って運営しています。

そのエネルギーの供給は、高度経済成長期には日本の地勢を活かした水力発電から、生産業が盛ん担って石油調達によって膨大な電力需要を賄うため、火力が主流となっていましたが、海外からの圧力もあったのでしょう、日本にとって近畿である原子力が短期間で主力に変わっていきました。

 

しかし、高度な技術力を持った日本でも核制御は困難であったのか、人災も含め東北震災津波を契機に、10年前から多くの原発が稼働を停止した後は、火力が主力に返り咲いていて、燃料を石油メインから天然ガスへ移行し、エネルギーミックスによるバランス良い運用を続けています。

ここまでは流れ上必要と考え、敢えて周知の事実をおさらいしたわけですが、日本にとって理想てくなエネルギー開発とはなんなのか、今やたらと話題にされるカーボンニュートラルへの対応が、最優先されるべきなのか冷静に考えてみます。

 

先日WBSの特集で見た気になる話題が出ていましたが、「日本市場狙う巨大外資マネー グリーンエネルギーの未来は」とセンセーショナルなタイトルで提起されていた私たちの電力事情について、ここでも外資が日本参入を果たそうとしているというものでした。

かいつまんで概要を書くと、日本政府が算定したグリーン経済の経済効果190兆円に、海外投資企業が狙いをつけていて、世界8カ国で事業展開社が2016年日本参入 福島ソーラーパーク構想に参入、資本は世界最大級投資ファンド、27兆円規模の資金を運用するカーライルグループで、AMPはカーライルから400億円出資を受けて日本の事業拡大を目指すとしています。

 

日本事業担当は、FIT制度の後押しもあって日本に巨額を追加投資できたとを語っており、日本市場は外資にマネーチャンスを生んでいますが、この例は水道事業民営化など、前回記事でも指摘した公共事業に外資参入を図る伏線の一つと言えます。

因みにFITとは、2011年福島震災後できた制度で、発電会社→電力会社→家庭 間で電力を固定価格で買い取り続ける制度、10−20年間固定だが、買取にかかる経費は再エネ賦課金として、電力を使用する電力会社・家庭が負担するものだそうです。

 

その制度によれば、買取額は一般的家庭で300kwhあたり900円月程度でも、買取と同時に負担金に当たる付加金が発生します、一例:買取14223円の家庭での賦課金は2348円で、売電単価は2012年0、22円→2020年には2、98円まで上昇しており、この先上がると予想、2030年には買取総額は5兆円予想でも、賦課金も自動的に上がりますので、売電の旨みより負担が大きい印象です。

従来2030年買取額予想は3、72ー4、04兆円だったが、電力中央研究所試算では5、1兆円と予想、買取総額を抑えながら再エネを増やすという効率性に欠けた制度運営となっていたと分析されています。

 

この事例で分かる通り、ソーラー発電は当初期待されたような国民寄りのエネルギーではなく、太陽光発電バブル期2012年10kwh以上でkwhあたり40円買取、20年間買取保証→2020年には12円まで下落→参入開発会社も直接企業への電力販売へシフトしないと採算取れない事業と言えます。

それに輪を掛けるように、懲りずに政府はいきなり2030年目標で、SDGs関連のノルマである、脱炭素事業の目標達成を打ち出し、梶山経産省大臣は政府が洋上風力発電は、2050年のカーボンニュートラルへの重点分野、再エネルギーの主力電源化の鍵として、洋上風力発電を20年間固定価格で回答方針を掲げました。

 

これが仮に政府が2030年に目標とする1000万kwh(原発10機分相当)の風力が全て稼働すると賦課金はいくらになるかというと、買取総額5、1兆円の場合2012年0、22円→2020年には2、98円まで上昇、2030年予想は4、5円だそうで、それに見合った賦課金で、太陽発電同様の企業寄りの事業にしかならないでしょう。

 

こうした、ある意味茶番のようなエネルギー開発事情は、業者や政府が煽るほど消費者側にはメリット薄になりやすいようですが、消費増税の時と同様に分かりにくく複雑な料金体系の場合が殆どで、注意が必要です。

こうした日本のケースに限らず、実験国指定された国が、これまでもグローバリズムに則って、良いように市場を取られたり、美味しいところで収穫をかすめ取られてきました、そしてそれを見過ごさなければならなかった事情って、何なんでしょうか。

 

たいていの場合、こうした時は誰でも口を揃えて講義したり、停止させるとなるはずなのに、まさか今更敗戦国だからと言うのは理由になるのか、それをジャッジするのには、私たちが正確な歴史観を持って置かないと、振り出しに戻りだけです。

自分の生まれ育った国だからと言うわけではないのですが、どう見ても日本人は勤勉で繊細でとても公平を重んじる優秀な国民だと思える以上、その実力を発揮できる機会を、自ら勝ち取る勇気と賢さを、鍛えたいと日々努力しています。