くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

マネーの城壁に守られている人々に学ぶこと

前回、私たちとは違う世界に住む人の存在について書きましたが、私たちがもう一度整理しておきたい大事なことは、彼らの世界と隔てているのはマネーの城壁であり、持つ者と持たざる者という区別を、私たちは当たり前のように受け入れてしまっている現実の自覚です。

筆者を含めて多くの人がこの区別は普遍の真実だと信じて疑いませんが、本来マネー自体にはそんな力も影響力も無いはずなのに、何してもマネーを中心にして人生設計をしがちですが、本当にそれだけでしょうか。

 

よくよく思い返せば、私たちはまるでマネー教の熱烈な信者のように、立居振舞っているのにハッとすることはないでしょうか?そう気付ければ大きな収穫につながるかも知れません。

マネーの城の住人は、その城下町に住まわせて貰っている私たちに、城の権威や威光を持ち続けていて欲しいと願っていますので、夢夢城に攻め入ってきたり堀の外へ抜け出しまわれては困ってしまいます。

 

筆者はこうした世界を城をモチーフに表現していますが、一般にはピラミッドやシャンパンタワーで説明された方が、ピンと来やすい話をしていますが、ここでは城に例えて話を進めるので、必要なら適せん各自変換してくださいね。

さて、これは単にヒエラルキーつまり階層構造の話をしたいので無く、城下町に住んでいる現実を意識する事無く、何も考えない私たち側に問題は無いかと言う問いかけがしたかったのです。

 

この一見当たり前の常識に、疑問を持たなければそれで特にどうこう言うつもりは無いですが、疑問を持つきっかけが何にせよ、持った以上は納得のいくまで考えるべきだと、筆者は思ったのです。

私たちの身の回りには沢山の問題があり抱えていますが、今更空気のような存在にいちいち考える時間を割くかどうか、割くべきと判断したなら先を読む意味はありますし、もし今すぐにでも移転を考えているなら、避けて通れません。

 

そもそもマネーの城やその城下町は何によって見えなくしているのでしょうか?姿形があるわけでもないので、実際見えないにしても意識さえしていないのは、生まれた時点でそれが当たり前と刷り込まれるからです。

人を含め動物は、一旦五感を通して刷り込まれると、それから抜け出すのは至難の業ですが、城が見えた以上はそれが白鷺城か単なる山城か、見極めたくなるじゃ無いですか?もしかしたら城はグレートブリテン城しか存在しないかもしれないのですから。

 

ところが、この城の実態やディテールはトップシークレット、城主の立場ならそうしますよね、でも意外にその鍵は厳重な仮想金庫の奥深くに隠されてるわけでもなく、意外にその辺に置かれているかも知れません。

ただ、それが誰もが思うような形でなかったり、様々な情報が錯乱していて本物がどれかが、特定できないだけかもしれないので厄介ですが、何人かは既に気づいているかもしれません、つまりそんなありふれたところに、当たり前のように鍵は紛れていたりするのです。

 

私たちは、様々な体験やきっかけからその在り方の謎に、疑問を持ち始めたわけですが、ここで履き違えてならないのは、城主や城のディテールを暴くことに時間を割いても、何の特にもならない現実を知っておくべきでしょう。

それよりも、城を構成するマネー価値観をどう見てどう使うか、そして何よりマネーに振り回される人生を歩んではならないと言う、強い自覚のある行動がどれだけできるかが、最大の関心時でなくてはいけないはずです。

 

ぶっちゃけ、彼らから学ぶべきは揺るぎのない信念と、それに支えられた行動力それだけですが、城下町に住まわされているとどうしてもその空気に振り回されてしまいがちでも、それにもブレない鉄の意志と日々の行動をし続けてこれたからこそ、城主としての今があるのです。

なぜそこまで自分自身を追い込めたのかは、凡人の筆者には解りませんが、ヒントは機械のように自分のプログラム通りに動いたかどうか、そして今現在でも上しか見ていない、果てしない向上心がそうさせているのは、現実でしょう。

 

最後に良く考えて診てください、世の中でマネーを満足に使え無いのでは幸せになれないという事は無いはずですが、私たちは何かに付けてマネーの取得や消費に相当の時間と労力を割いています。

しかし本来幸せは金を稼ぐことでは無く、それぞれが明確な目線を持って、幸せのために、すべきことに集中できていないだけではないでしょうか。

 

これまでも日本は後進国への援助や教育、少なくとも今後も明確な意志を海外に示していかない限り、目線は中国や欧米に叶った見方をされ続け、世界に使い回され続けるでしょう。

その流れを日本の結束で政府がまとめるのでないなら、個人の範囲で身を守る、つまり利己主義へのさらなる分断が加速します。

 

その上で個人が柔軟にリスクのバランスを採りながら結果として、全体を向上させていく個人主義的なスキルを要求されると考えられますが、日本にはこうした特殊な事情に関係なく、過度に全体行動を強いる習慣は、非科学的な民主的な議論と併せ、問題解決を非効率にさせます。

結束してチームで問題解決する日本式の手法は、柔軟に個人行動・判断力を評価支援する習慣を許容できるかが課題です、取り入れないと今後DX化で爆増する課題や改革が遅れ、世界のスピードについて行けなくなる、今後世界で有り余る資金が資産家の個人的事情で大量に使われる時代、その理不尽な大変化を前に科学的な目線が、問題解決の鍵になります。