くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

習慣がアメリカ型から中国型に変化する兆し、その中であるべき日本の姿勢とは

日本の文化や習慣は、地政学的に大昔から大陸側のできた大国からの影響力は大きくなる傾向はあり、これまでもかつて栄えた代々の大陸国から様々な文化や様式が取り込まれてきた経緯がありますし、これからもそうなることはある程度止むを得ません。

それだけに現在の大陸国である中国の政治、つまり中国共産党の動向は注意深くならざるを得ませんが、その中国が国の勢力を拡大を始めているのは、たまにニュースにも報じられますが、その具体的な内容を知るには情報が少なすぎます。

 

日本語でされるTVや新聞の情報量が、あまりにも国際関連に疎く少なすぎますし、その海外情報が例え重要でもそれより、国内の細かな時事情報だけで埋め尽くされているのも大きな理由でしょう。

 ネットでも補足的に情報を補填できている人は、このバランスの悪さを実感することができますが、それを習慣化していない特に高齢者層の人は、その差に全く実感を持っていませんが、そうした無防備な層が国の選挙権比率の多くを持つのが今の現実です。

 

これまで、特に戦後からは日本は政治的にも経済的にも、アメリカの影響力が大きく商習慣にしてもアメリカ型の習慣文化が、当たり前のように定着して一部の正月初詣とか桜の花見や夏の花火など、日本独特の文化以上にアメリカのクリスマスや最近ではハロウィーンのイベントが短期間で定着するようになりました。

それだけ私達日本人は新しい刺激的なものに敏感で影響を受け入れやすいのかもしれませんが、それ自体は特段問題でもないように思えますし、中には日本の独自文化の減少に嘆く人も居るかもしれません。

 

それでも、これが単に文化や習慣程度の影響力なら問題ありませんが、戦後から欧米や中国がこの日本人の性質を事細かに分析し、より日本を海外仕様化させてきた事実を考えると、日本の従順さがいずれ国の本質さえも明け渡しかねない危惧は起きます。

日本人が、とても従順で受動的な民族であることは良いことですが、それを自国の都合に利用しようとする国が存在するわけで、それがアメリカと中国だと言われれば、思い当たる節も多々あると思われるでしょう。

 

これまでは、日本はアメリカの影響力の下に健全に民主制度と自由主義を成長させてきたわけですが、ここにきて隣国中国の国土拡大政策が日本にも、影響力を急激に拡大してきました。

その中で今年のアメリカ大統領選は、過去のそれと比べて米メディアの報道姿勢や、国内の選挙運動に様々な偏りが見られたり、アメリカの国内の揺らぎが顕著に出てきて、強いアメリカというイメージだけでなくて、様々な分断や混乱が大きくなっています。

 

アメリカが大統領選挙でバイデン氏当確となると、世界中で大きな影響が出るとは言われていますが、今回の大統領選挙が過去のそれと比べて、経緯が極めて不透明でその問題がクリアになっていないまま民主党圧勝などと報道されているからでしょう。

そして、なぜアメリカがそういう状態になっているかと言えば、現大統領トランプ氏の優れた実績に対し、見た目の素行ばかりが強調されたことは大きく、日本でも前安倍政権の経済成長推し上げの実績より、悪い部分を強調されたダメージが大きすぎます。

 

それでもアメリカや日本は民主主義国ですから、実際の国民がしっかりした視点を持って、公正な判断をしていれば何ら問題ありませんが、それでも少しづつ悪転しているように感じるのは、それ以上に繰り返し報道される刷り込みが強いからでしょう。

筆者がオールドメディアと大衆報道機関を皮肉るのは、その行為を改善しないからですし、日本だけでなくアメリカでも同じことが選挙期間中は顕著に起きていましたし、逆に既存政府の校実績報道を可能な限り制限していた、そうなれば誰もが量の多い方へ傾くでしょう。

 

さて、このままだと日本へは中国の政治経済からの影響力は大きく増すことになります、これは共産主義国との関わりや依存度が強くなって、中国式の商習慣が入り込んで来ることを意味します。

ちょっとした流行や文化の影響が日本に入ってくるなら、それはそれで文化交流にもなるし、喜ばしいことかもしれませんが、今の日本は根幹が揺らぎ、迷走しつつある時代になっていて、このまま推しの強い国の影響を受ければ、時間はかからないでしょう。

 

これが理解できて何とかしようとしても、相変わらずオールドメディアの報道姿勢は、民主化をうたいながらも、実際はネガティブで反民主的なスタンスを変えようとしないのはなぜでしょうか?

普通に考えれば、自主的に反民主社会を本気で作りたいか、他動的に何かに大きな影響を受けて”送させられている”かのどちらかな筈ですが、筆者にすればどちらにしてもこの時点で日本を愛していない者が多いことは、残念でなりません。

 

これは、日本人の私たちの多くが、海外のように結果主義より経過主義の立場をとることが多く、結果オーライより過程での満足度の方が重要と考える傾向によって、今起きている事の結果がどうつながるか、経過を静観するにとどまっている状態です。

それはそれでアリなのですが、それに拘り過ぎて結果を評価しないこともしばしばで、世界が好ましい結果を目指している中で、経過の美しさだけに目を奪われれば、結果が思わしく無くても、満足してしまうというおかしなことになりかねません。

 

 この先は、アメリカ型の習慣が普及する中で中国のそれが、今後流入することは十分想定できます、というより既に政治や商習慣の中には中国の影響を及ぼしつつある兆しによって、これまでの善悪観や経済観念が中国式にシフトしつつあるという意見が増えています。

この変化が今の日本社会の違和感に繋がっているようですが、かつてのアメリカへの依存が中国へのそれに代わっても、違和感が無いのかもしれませんが、いまこの過渡期に注目すべきは、海外国の影響力に身を委ねつづけるだけではない、日本独自の商習慣や思想への関心の高まりでしょう。

 

それによって、学校教育が相当な部分で日本に不利であったり、誤った事実を当たり前のようにされてきた事実を知ることができ、海外国が日本に求めてきたものが、どれほど日本に不利なものであったかに気づくきっかけになっています。

これは、日本とって少しづつではあっても国際社会に、適応しようとする姿勢がより日本人中心に考えられるようになった証であり、結果・成果主義に拘りだした全体を見渡せるようになりつつある、日本の国際感覚の進歩の兆しとも思える、それはこれからも伸ばしていくべきではないでしょうか。