くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

企業の費用対効果と顧客側の満足度

会社が他社との競争に生き残っていくためには、雇用者に勤怠負担をかけても致し方無い、という類の説明を受けた方がいらっしゃるなら、その企業に居座る未練を捨てたほうが幸せかもしれませんし、再就職は難しいからと不満言いながら居座るのは、不健康な話です。

なぜそんな仕事についているのか、生活のために働くのと仕事のために生活をするのでは雲泥の差がありますが、解っていながら後者を選ぶのなら、生活と仕事のバランスを崩すだけでなく、こうした当たり前の選択すら自ら拒む人は、段々息苦しくなっていくでしょう。

 

会社はその規模には関係なく、多くの雇用条件を守るといった大義名分を、様々な根拠に引用しますが、誰もがおきづきの通りそれは第2義であって、1義は株式であれば株主だし、それ以外なら経営者または経理者であるのは普通でしょう。

企業は自己利益の費用対効果を優先させます、ですからいつもコスト削減の場合は雇用者の人件費が対象になっているわけで、いくら会社にとって価値が高いポジションにいても雇われである以上、リストラの対象であるリスクはは避けられないでしょう。

 

上のような不満やジレンマを感じながら仕事に振り回れているとすれば、その多くの人が仕事を変えない理由は、お金とか地位が殆どだと思いますが、お金がどれほど有れば自分の生活に充実感得られるか、余り真剣に考えられていないかもしれませんね。

老後の暮らしがどうなるか、ある程度考える必要はありますが、その何十年か先に来る未来が、激変するかしないか誰にもわからない事を、果たしてお金が解決してくれくか、それは本来の充実感を得ることとは別の話では無いでしょうか。

 

自営業をして稼いでいる人以外は仕事で得られる収入は、自身の実力とは関係なく、企業の一部として役だつことで得ているだけで、実力を試さないまま会社の歯車なって作業に人生を捧げていると、誰も考えていないようです。

時々暗黙に妙な空虚感を感じて、ちょっと農作業をかじったり、職人体験して満足したり、本来の実力を試すのに必要な苦労を避けて、お金で気分だけ買って味わう、これは充実感というよりも気を紛らわしてるだけのようにしか見えなくないですか?

  

 顧客満足度を高めると言うことは、客を神様に祭りあげることでも、買ってもらうために商品の機能や魅力をあげることでも無く、食べたい時や使いたいと客が感じたときに、目の前にそれを叶えられる物や事を指し出せるかで決まってくるはずです。

したくも食べたくも無いときに、欲しいと思うものを差し出しても、誰も買う気は起きませんから、ウインドウショッピングで、オシャレなデコレーションを見せつけても、その客は他の店やネットで欲しい時に買ってしまうでしょう。

 

ネットショッピングで成功している販売サイトは、こうした欲しいタイミングに併せて、目を引く工夫をしっかりしているからこそ、その購買チャンスを逃しにくいわけで、一方的に客を惹きつけようなどという事に、時間や手間を割いても浪費にしかなりません。

もちろん、購入後に満足できないものだったらリピートはされませんから、顧客とは残酷な生き物だけに、企業側は絶えず新鮮な商品を出し続けるか、商品関連のモノ・コト体験を提案して、既存商品の寿命を継続させないといけません。

 

企業は同時に、企業イメージをどう高めてどう認知度をより高めていくか、商品を通して消費者へ訴求していかなければなりませんが、今日日安易にエコに協力しているとか、積極的にSDGSを意識した企業づくりに取り組んでいるとか、表面上のアピールで終始している企業も増えています。

これは、消費者側にとっては企業イメージを混乱させるだけで、実際の企業のあるべき姿を曖昧にし、本来その企業独自の特色を印象付けるのには逆効果でもあるため、いくら時代が"そういった流行語"に乗っかるだけで、イメージアップを図るのは無理があります。

 

顧客の要求と自社の得意分野のマッチングと、求められる潜在欲求の掘り起こしに、最優先に取り組み具現化できない企業は、今後確実に淘汰されますし、既にGAFAのようなメインフレームを掌握できていない企業同士の、残されたシェアの食い合いになるだけです。

その意味で小規模・個人企業は、失うものがない分大きなチャンスであり、細かい顧客の要求を丁寧に拾えば注目度は高くなり易いので、大中企業が迷走している間に市場に食い込むこともできます、このカオスは既存企業にとって不都合でも、結果選択肢の拡大とコスパアップを消費者は大いに期待しているのです。