くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

日本が、これ以上だまされないように

日本の近代歴史を振り返ると、私たちが教科書で教えられてきたそれとは、日々刻々と明るみになりつつある事実とは、大きく異なることが色々出てきてしまっていますが、日本は騙されたのか、自らを騙したのかその自問さえ迷います。

現在の日本の平和思想や願いは、そもそも日本が出来た当初から綿々と受け継がれた、非戦闘的で敵をも和睦で対応する気質から来ていたはずですが、その象徴となった原爆被災からの恨みを平和の願いに昇華だと、疑う余地もありませんでした。

 

ところが実際には、「大和魂」なる日本古来の習慣思想は敗戦時に全てはく奪され、単なる敗戦国の代償として償い、そして連合国に逆らわない抗わないのを美徳と思い込むことが、平和の願いとしての表れだと思い知らされたのです。

敗戦国日本が幸いにも奴隷にさせられなかったのは、天皇GHQの交渉の結果であり奇跡のようなものでしたし、その後民主的な発展を続けることができたのも、不幸中の幸いだったかもしれません。

 

その本来勝ち得ない平和と民主主義が、大きな差しさわりが無いまま今に至っているのは、奇跡なんでしょうか天皇の力なんでしょうか?と、今でも合点がいかないのですが、表沙汰にならないだけで元連合国だった諸国との格差は、今も現存し今後も変わらないのではないでしょうか。

それは、今でも天皇の影響力は世界に強く、日本人の本質を復活させればいつでも世界を巻き込めるほどの潜在力に、未だ警戒を緩められない何かがあるのでしょうが、最後は原爆でねじ伏せたにせよ、未だに日本のポテンシャルの扱いに苦しんでいるのかもしれません。

 

GHQが戦後日本に入って何より最初にしたことは、当時の日本技術力と学力の把握と奪取、そして日本人の鋼の精神を支えた国体や書物の抹消であったのを考えると、当時イエローモンキーとさげすみながらも、その実力に正直不安で仕方なかったアメリカの姿が見えてきます。

アメリカは、死をもいとわず勝ち負けを度外視したかのような特攻や、決してなれ合わない結束意識や行動に、何度も苦渋を舐めさせられ難儀したと言いますし、もう物量兵器投入と、原爆投下という投げやりな手段しか選択できませんでした。

 

戦争を決断せざるを得なくなるまであきらめず回避の手段を模索し続けた日本を、にべもなく無視し、ひたすら無理難題をけしかけ追い込んで、予告なし開戦を仕掛させた上に、終戦さえ無条件降伏以外のオプションも認めなかったアメリカ。

唯一個人レベルでマッカーサー天皇と交渉につき、その人格に感嘆し最悪は逃れたことはあっても、その中核である日本の核心を崩壊させる戦略は、決して妥協することはありませんでした。

 

当時米大統領だったルーズベルトは早死にするまで、日本への態度は一貫して冷徹なものでしたが、そのことごとくの判断が彼自身の一存だったか、力が働いていたかは分からないにしても、結果としては彼が下した悪魔の判断はアメリカでも批判は出始めています。

70年以上前から続く連合国(ここには中国も含まれます)との重要案件への主従関係は、今も日本政府をそして日本国民を反奴隷のように束縛し続けている、という異様な事実を、これからも私たちは事あるごとに織込んで、行動しなければならないのでしょうか。

 

この状況は、未だ日本人がアメリカや中国に騙されているという疑惑の、氷山の一角なのでしょうか、それとも考えすぎで都市伝説として笑っていればいいのでしょうか、その判断を日本人はある意味避けようとしているのかもしれません。

今更波風を立たせたくない、もしそうした事なかれ主義が頭をもたげているなら、それも日本人の美徳かもしれません、しかしいつまでもこのままでは、これからの可能性や未来さえも、自分で変えることなく子どもたちに受け継がせる事になるのです。