くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

アフターコロナで変わる生活スタイル

この一年で起きた身の回りの変化によって、多くの行動の制限が強いられていますが、この状況があとどれだけ続くのかは様々な立場から、様々な予想はされているけれども、大方誰もが初めての経験だけに、推測に過ぎない予測は多くの混乱と徒労をうみかねない。

ただ、既に世界各地で束縛や制限に耐えられずに、暴動や過剰な外出行動が起き始めていて、日本人のように従順であることがウイルス感染の、決定的解決策にならなくなりつつあるのも、いずれこのままでは日本でも避けられない現実になるでしょう。

 

そこで今回は、運良く来年には感染ブームが収束すればそれに越したことはありませんが、あえてそうならず長期戦に入っていった場合に、私たちの生活習慣はどう変わっていくかを予想してみたいと思います。

これからも数年以上の長いスパンで、ウイルスだけに限らず大気汚染や天候異常などで、外出機会が大なり小なり制限を受けるとなった際に、多くの人は国や自治体の指示で外出が制限されるわけですが、人によってはここの解釈に大きな差が生まれます。

 

その差とは、リスクの取り方に明らかな差が生まれ、場合によっては生活のストレスをどう解消できるかできないか、この大きな差になってライフスタイルは二分されるのではないかと、筆者は考えています。

今まででもこの行動リスクの取り方に、違いが出ていたことを多くの機会に目撃していますが、最もリスクを避けた人はほぼ引きこもり状態から、出ずっぱりのコロナ以前とほとんど変わりない生活まで様々ありました。

 

これは、職種の種類だったり学生か就業者かその時点の境遇によって、選択の余地がある人と無い人という自分の意思では無い条件で、やむなく差が出た結果でしたが、強制的にリスクを取らざるを得なかったことで、外出が絶対的リスクでない証明になりました。

コロナは幸いにも空気感染しない種類なので、接触感染しなければ外出の余地がありましたので、この一年でそのコツを掴んだ人は、過度に感染を恐れる必要が無くなったのは、ある意味学習だったのでしょう。

 

コロナに関して日本は世界各国より行動が即リスキーでない状態に、できていると言えるでしょうが、ワクチンが完成してアフターコロナを迎えたとしても、その後新たな外出リスク問題が起きたときに備えて、社会のインドアライフやビジネスは普及するでしょう。

こうなると人は許される限り行動に消極的になるでしょうから、次の何かが起きたときには、今回以上に外出を自主的に避ける人は多くなる傾向は避けられないでしょうが、インドアライフを積極的に利用する人と、従来通り可能な限り外出リスクをとっていく人との生活がビジネスを大きく変えていきます。

 

もしアフターコロナになってもならなくても、行動するリスクを積極的に取れるか、取らずに避ける選択をするか、そもそも外出すること自体の価値観もネガティブに変わっていくかも知れず、全ては経済的余裕があればゆとりはできるとしても、それがニューノーマルの基準になったら、多くの人の生活水準のハードルは高まります。

それを補うために外出リスクを取らざるを得ない人が、増えないことを祈りたいですが、もっと根本的に経済的理由に関わらず、人は自主的判断を裏付けるために行動する自由を、そのゆとりを得たことで過度に失わないか、とても気にかかります。

 

今世界各地で起きている感染拡大が示すものは、行動を自粛することがリスク回避の定石だと思うことへのアンチテーゼでもあるということ、そしてこの危機情報を伝えるメディアが偏重的な報道傾向を増している現実です。

この五里霧中の世の中では、自分の判断力とそれを証明する行動力を、何としても堅持しておく必要がありますが、その時金銭的ゆとりよりも気持ちのゆとりこそ、その人を助ける最大の武器になるような気がしてなりません