くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

デジタル庁とDXが起こす変化と仕事の変化

新政権政策の組織変革の目玉として、デジタル庁を新設されたことは、注目されていますが、先日その役割として各省庁の予算を、デジタル庁で一括管理する縦割り行政から脱却する方針をスタートさせると発表がありました。

これは、日本で長年事務レベルでは検討協議されてきた業務のIT化が、事あるごとに頓挫してきたのに対し、世界の流れがDXへの即応を求めるのに対して、今政権において大胆に体制を方向転換する動きです。

 

この政府組織を運営するための多くの仕組みや決定手順を、政府自らDXに沿った運営方法に寄せていくことで、公的機関はもとよりデジタル化に及び腰だった企業へも、一気にDX対応化を進める狙いと、政治の横軸を通すことでの透明感を狙ったものです。

因みに、DXはどのようなものなのでしょうか。 DXとはDigital Transformation(デジタルトランスフォーメーション)の略で、Trans(トランス)を“X(エックス)”と略すことが英語圏で一般的だからということでDXと略されています。

 

一般的には、 DXは単に業務のデジタル化やペーパーレスだけで無く、ビジネス自体を根本的に見直す目的を指しますが、 誤解されやすいのは「トランスフォーム to デジタル」では無く、「トランスフォーム by デジタル」という意味になります。

 ただ、筆者は長期的に見れば企業目線のDXの目標は、仕事の全自動化でありあながち仕事が奪われるという懸念は、誤りでもないと考えていますが、しばらくはこの極論は現実的ではないでしょう。

 

さて、この業務のDX化が政府が本腰を上げてきたのはまちがいなさそうで、企業への進行がいよいよ本格化していく準備が始まったことにはなりますし、シフトしやすい業種・手っ取り早い業務から、そのシステム化を企業は進めやすくなるはずです。

DXの究極の目的は、概念的で言い出したら際限がありませんが、企業目的で言えば「顧客ニーズ」の収集と把握の短縮化と、それを反映させた製品化への仕組の合理化に尽きると言えるでしょう。

 

これによって究極の顧客満足度を高め、その目的に必要な関連業務を徹底的にDXによって合理化するということ、逆に言えばそれ以外の不必要な要素はバッサリ切ることを意味し、最もその対象となりうるのが、人件費・余剰人員や設備の削減と言えます。

コロナによって、テレワークが多少普及したことで、社屋や事務所の価値観が見直されるという現象も起きたり、デジタルワークがメイン化することで、日本の伝統印鑑の廃止などが一気に注目を集めるなど、これまでの常識や慣習が改変されるでしょう。

 

とは言え、国民全員(未成年を除く)で言えば、IT端末やPCなどでネットから情報を得る事や、その利用に際してのセキュリティなどのリスクについて、実感が無い人の方がまだ多いという現実の中で、デジタル庁の創設やデジタル化への変化で自分の周りで何が変わるのか、注意しなければなりません。

何故関心を持たないかと言えば、知らなくても生活できてしまう人が多いと言うことで、一見それはそれで問題無いことに見えますが、公共でする手続きやモノの購入は、一気にデジタル化や自動化が進んだ場合、ついていけなくなります。

 

外資本による、デジタル化・自動化への圧力は日に日に高まっており、いくら政府が調整しようとしても、世界の流れには遅れるわけにもいかず、目度が付いたものから実施され始めたら5年はかからないでしょう。

たとえ、その5年の猶予があっても今からキャッシュレスに慣れたり、デジタル端末で生活に困らない程度に使えるように出来るかと言うと、高齢者ほど難易度は高まりますし、5年なんてあっという間です。

 

また、若い人ほど本来は優位性は高まるはずですが、これまでも正常な世代交代をしてこなかった日本の特殊な課題にもなるし、本来の業務のデジタル化が何のためにするものかを、はき違えていく恐れがあります。 

 DXとは業務の合理化や効率化を極めるのに、デジタル技術を利用する手法ですから、経験則はあまり重要視されませんし、自動化のために何が出来るかで人は評価されていきますから、過去の実績より今何が出来るかが評価基準にされます。

 

労務関連でも、労働組合などの非生産性的な組織へは予算が回らなくなるでしょうし、業績を上げる何かが出来なければ評価は、どんどん下がっていくし、人脈や人間関係もやがて役に立たなくなっていくと考えられます。

数字で管理・評価されるということはこういうことであり、最近の営業が人脈主義から結果重視にシフトせざるを得ないでしょうし、信用も実績を示せないと結果に繋がらなくなっていく「がんばりました」はデジタル上解析はできないからです。

 

賃金の低い人と非接触の業種は、しばらくは需要はあるでしょうが、一般的にホワイトカラーに分類されていた職種は、多くがDXが導入されるにつれて非人間的で殺伐とした職種に変化するかもしれません。

業務は、顧客満足度度をよりリアルタイムで集積された結果に、より忠実に数字で反映されるために、どの業種でも人間が関われるのは、そのサポートであり想像的な魅力よりもストレスが大きくなる精神的に負担の大きいものになり得ます。

かつて運送業で起きた大型倉庫と自動仕分け設備の、自動化が間に合わなかった部分を人がサポートしたことで、長期間勤務は難しくなったのと同じで、人間的想像的なワーキングをするには、個々に創出するしかなくなるでしょう。

 

人が活躍できる分野では、よりクリエイターというキーワードが多様されるように、創出や創造できる才能を自分で開発していくスキルは、今からでも培っていく方が賢明ですが、これは単に芸術家になろうという単純な話ではなく、営業でも投資でも物作りでも配送でも接客でも、 今持っているスキルをより個性的に伸ばすために、多くの時間と努力を要するということです。

特にこれまでの日本は、マニュアル社会が長く続き、個々が追う責任も組織がスポイルしてきた分、自主的裁量で自分でリスクや予算を決定して仕事をするスキルを学ぶ場は、ごく限られたポジションでしかかなわなったため、この概念を理解するまでに時間がかかるかもしれません。