くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

日本人がハマり易い、インポスター症候群

何かの記事を読んでいた際に知ったこの言葉、よくよく読み込んでいくと筆者にも当てはまるところがあって、今回はこのインポスター症候群について書きたいと思いますが、病気等では無いにしても、人間関係に関わる社会ストレスの一種と解釈しました。

関連記事の多くに、女性に多く現れると言った文言が目立ちますが、これは初出の論文にたまたま女性の社会進出が注目された時期に出されたため、女性の例を引用したことからそのケースに多様されだしたと思われますが、この心理は男女関係なく起きうるものです。

 

この傾向は、主に仕事の進め方や目標達成時において問題化されるので、克服方法についてはリクルート系の啓発記事に書かれることも多いようですが、筆者は地域おこしの観点から市民のモチベーションに関わる課題として捉えておきます。

この概念を理解する上で、小難しい心理学を持ち出さずに理解してもらうために、ちょっと頭に描いていただきたいのですが、水平線を一本引いてもらい、その線上にAとBの任意の点を決めます、この2点間が、目標達成の区間とします。

 

 で、この2点間に目標を創る際に、大きく分けて人によっては2種類の目標設定の違いが出るということです、ある人は山を設定し登るか山を越えてゴールを目指す人、方や谷を設定しそれを下ってゴールを目指す人です。

前者と後者の大きな違いは、自分で目標を高めて克服するか、課題の大きさによって自分を引き下げて解決するかの違いですね、どちらのタイプであっても、単独で努力するだけならどちらでも問題はありませんが、両者がチームを組むとなると大きく違いが出ます。

 

お解りだと思いますが、目指す位置が真逆だという点がそれぞれのモチベーションを相殺してしまう可能性が高くなるその分2者の気持ちの葛藤は大きくなりやすい、このギャップはそれぞれが山と谷に差し掛かった時に最大になり、その後心理的に山から降りる方が優位になる一方で、谷を登る側は自分を卑下しやすくなります。

モチベーションを維持する上で、前者の方が後者より効率が良いのは、イメージいただけるでしょうか、このどちらの克服方法を取るかは、その人の幼少からの社会や人との関わり様によって、概ね固定されるので、人生半ばで方法を切り替えるのは結構キツくなりがちです。

 

インポスター症候群と定義された、自らを引き下げる習癖が、何不自由無い生活ではむしろ楽なため、いざ人生の目標達成・ハードルを立てろと言われると、慣れない行動にストレスを感じますし、その圧力に耐えられず、必要以上に自責に苛まれる人も出てくるということです。

目標の決め方は、実は山でも谷でも問題ないはずですが、山を選ぶ側にとって谷を選ぶ側は看過できない場合が多く、得てして会社の目標は山を設定するのが普通ですから、谷を作る人はスタート時点で会社の目標に逆行して見られてしまうのが厄介な点です。

 

筆者は以前から共感や多様性を認める社会を奨励する記事を書いてきましたが、日本でこの話を持ち出さなければならないほど、日本の目標設定は山型の方法しか認めていないからで、海外の企業はそもそも人種の違いが関わることが多いため、多様性つまり方法論の柔軟性を認めていることが多い一方で、日本社会では結構頑なに谷型を許容できないでいると言うことです。

本来目標達成には、ゴールさえ達成すればその道程はさして重要ではないにも関わらず、その途中の管理をより厳格にこだわるあまり、ゴールがボケて道程が過剰に重要視されるという、おかしな現象が起きてしまうのです。

 

こうなると、管理職の管理スキルの低い企業は得てして、無駄な会議が増えたり残業のための残業が発生するなど、より管理面で雑な要素が増えて、管理職の首を締める悪循環に陥ってしまうわけです。

日本は戦後復興・経済成長期に1次・2次から3次産業へ主産業を変化させ、その人員確保に地方から大量に募集した人材を東京へ日雇い工・サラリーマンとして引き入れた、その効率性から日本全体が被雇用者育成を加速し、自営業者を目指す人を圧倒しました。

 

自営者と被雇用者の違いは、当に上の山型・谷型違いであり、谷型の人材を優遇したきっかけになったと筆者は感じましたが、リスク管理の多くを企業側に任せ、被雇用者は雇用側を支持することで多くの人が、生活を安定させて国内消費も格段に増えました。

ただそのまま順風満帆であるわけが無く、自営者と被雇用者のバランスの偏りがインポスター症候群などの社会心理問題を生み、輪をかけるように谷型思考の人を追い込んで、サラリーマンのメリットへの目減り感を強めていったのではないかと思います。

 

一方で雇用側の企業は、コスト管理を人材リストラへ向けだしたことで、生産・業務の自動化に投資を始めたことで、山谷の公平を求めないまま利益低下のツケを自身で解決することなく、被雇用者側の調整で済ます悪癖へとつながっているいるようです。

上にも書いたように山谷どちらの手法にも罪はなく、結果主義を保証していれば何も問題なかったはずですが、企業業績の根本問題の解決を全て軍隊式のモチベーションだけで乗り切ろうとした結果、男女均等も含め人材を生かしきれない企業病が、悪循環を作り出しているだけなのかもしれません。