くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

それでも止めない日本文化の誠とは

日本の精神性や文化継承に、TVメディアのエンタメ番組やドラマが役立ってきましたが、ネットメディア層が拡大する中で、ニュースを中心に情報確度にリスクが指摘されたり、エンタメもYouTube移行などのグローバル化によって、日本独自の精神性にこだわりが薄くなっている気がします。

これをメディア文化と呼ぶなら、多くの国内資金を保有し運用しているTV世代が、日本文化の将来性も含めた継承に、メディア文化の世代交代がどう影響を受けるか気になります。

 

日本のメディア文化を色濃く象徴する、スピリチュアルや都市伝説系のエンタメが、TV・ネット共通性があったり、世代を超えた文化継承に一役かっているようで、例えば「やりすぎ都市伝説」などのヒットで、ヒーリングや都市伝説が注目されているようです。

このヒットは、オールドメディアとニューメディアの引き継ぎには潤滑剤であったし、社会の仕組みがVR化を目指そうとする時代にあって、グローバル文化とどう棲み分けしていくか、その行方は注目したいです。

 

「信じるか信じないかは、あなた次第です」

 

という名文句は、すっかり定着した感ですが、過去あった現実や常識のギャップへの誤解と問題先送りの問題を、都市伝説化して皮肉ったり、不安やストレスをスピリチュアルで癒やしたりする、文化的妥協は、多くの人を救ってきました。

おそらくこの高度な問題すり替えスキルは、アニメ同様に日本の誇れる伝統文化でしょうし、世界にも広がる可能性はありますが、同様の問題回避の手法はどの国にもそれぞれあって、独自性が濃いために、完全に共通化できるかは何とも言えません。

 

ただ、根本問題の根っこが現実的に解決出来ないにしても、そのまま仮想現実に置き換えられようとしているなら、より実感の無くなる世界で混沌化する問題のすり替えの危機感が、薄らいでいくのは心配ではあります。

 都市伝説や陰謀論は多くが社会に不安の種を撒くために生かされていて、前向きな意見はあくまで個人の意識に頼らなくてはならないようなら、ますます個人個人が正しい基準をもって、住み分けられなければなりません。

 

 

 

また技術面でも精神性は見られますが、日本人が誇り守り通してきた産業技術精度へのこだわりは、どの国と比較しても秀でているのは今でも確かですが、この伝承はこれまでは日本を支えていく武器になってきましたが、単に生産技術だけでは先進国に完全に追いつかれ、追い越されました。

ところが、日本人の職人的こだわりは、モノづくりの場においては大きな成果を示してきたが、かたやビジネスや商売においては、ことごとく足を引っ張ってきたことに、気づくことが遅すぎました。

 

辛うじて、ビジネスで成功を収めた者たちは、その苦難の経歴の中で究極の葛藤と闘いながら、発想の妥協点や柔軟性を見つけ出して道を開いたものの、彼らでさえ最後の仕上げ1割にこだわる、究極すぎる日本気質にさんざん苦しめられているのです。

 

「いいものに仕上げたい」

「悔いの無い仕事を」

 

日本人が得意としてきたモノづくりへの究極のこだわりは、形や使い勝手となって現れ、評価され、価値を生むが、仕事のディテール(細部)の仕上がりは、9割の仕上がりに満足せずに、100点満点にこだわる精度を誇りにしてきました。

 ただ、物事を完成させる場合9割まで完成させる手間暇に対して、残り1割の仕上げにかかる手間暇はそれ以上にかかるもので、その究極の1割の仕上げを赦される機会は、時間制約の多い現代では限界があるものです。

 

それでも最初は日本人はあきらめず、こだわり続けた結果要求された以上の日本製品や技術を提供し続けた結果、そのこだわりは世界市場では”独りよがり”と言われ、後追いの先進国に評価の地位を奪われていきました。

 さらにここ30年ほどはどうでしょう、その間に人口も減り、技術も持っていかれた国内に残ったものは、その高品質はごく一部であり、その管理・販促さえままならなくなっているのです。

 

我々は、要求される効率化を突き詰めすぎたことで、利潤追求に時間を犠牲にしながら、世界の要求以上の成果を示そうとした結果が、国内の有益な技術や研究のノウハウを目減りさせ、知的財産権だけで食えているのはごく一部企業だけです。 

若くても老いていても、基本等しく時間には限りがあるのに、我々は自分や家族以外のために、結構多くの時間や手間を掛けさせられた犠牲者にも関わらず、その気まじめさは利用された、その根源を言えば日本独特の教育によって、従順に従う働きバチを送り出してきたというこでしょう。

 

 

この悲劇は、古くは明治以降から始まっていて、文明開化とは西洋人のための文化の導入が、咀嚼されるどころか過去の日本ノウハウと、整合性が採られないまま普及したことからはじまった弊害かもしれません。

さらに、第二次大戦後に西洋方式の弊害は続き、海外の国際戦略に迎合・飼いならされた政治家や実業家・学者によって、日本は世界の働きバチに組み込まれてしまった。

 

 何れにしても、日本古来からある商習慣やモノづくりの作法は、多くは忘れてしまっただけで今でも優秀であり、西洋方式に決して引けを取るものではないのは間違いありません。

 

 「日本人はどうしてこれば、良かったのでしょうか?」

 

既に当時の詳細を経験してきた人は、もう生きていないし、直接語ってもらうこともできないのは、完全にとりも度で無いにしても、失われた技術や文化を復興させてきた例もある様に、過去に開発された技術・制度で今でも優秀な知恵を、真摯に学びなおしこれからに生かしていくしか、日本らしい優秀さは取り戻せません。

 可能であれば、日本の豊かな精神性を世界とのコミュニケーション力に発揮できればよかったのですが、積み残した宿題は多いようですので、日本の誠の精神を向けるべきが何だったのか、もう一度一人一人が考えながら行動し、新しい技術に反映させていくしかありません。