くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

「ラオウを知らない子どもたち」と私

一昔前なら「戦後を知らない子どもたち」とか「王様と私」と書いたかもしれませんが、筆者で無くとも「えっ、こんな事も知らないの?」と、ジェネレーションギャップに一喜一憂することが増えているのは、単に歳をとった為だけなんでしょうか?

現代は、ネット情報の普及でなにがしか情報端末さえ持っていれば、いつでも好きなときに過去の公開情報に触れることが出来てしまう幸せな時代ですね。

 

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【有名画像】「ラオウを知らない女性」は、あれから『北斗の拳』を読んだのか?本人インタビュー | アル

 

この便利さは、これまでのジェネレーションギャップさえも埋めてしまうだけの包容力を持っていると、上の記事では知らせてくれていますが、一方でそんな頼もしい公開情報で少なからず混乱や誤解も起きて、悲劇が起きていることに心を痛めます。

これらの混乱は、世代を経るに連れ徐々に淘汰されて行くのでしょうが、その先に待っている情報社会と未来は、どうなるのでしょうか。

 

私達が、過去をどう生かして未来をどう色をつけていくかは、使う人次第なのでしょうが、それを今を生きる者にとっていくつかの試練を与えているのですが、その中から保一つ注目度の高いAIと人間のかかわりを見てみましょう。

まず、シンギュラリティと指摘されるAIと人間の葛藤の課題で、果たしてAIは人間の敵なのでしょうか最良のパートナーなのかに、どのようなパラメータが仕掛けてあるかによるでしょうが、この真実は仕掛け人が決めることであって、一般的人にどうこうできる権限は無いのでしょうか。

 

一見その権限を得るには、少なからず潤沢な投資能力があり、強力な人脈を持ちうる人物でなければなりませんし、準じて彼らに影響力の持てる人物でなくては叶わないですが、ある条件さえクリアしていれば可能かもしれません。

その条件とは、その彼らが自分を神だと勘違いせず日本の天皇のような人格者であった場合に限りでは、その行方は私達の使い方次第で変えられるかもしれません。

 

その可能性は、AIが持つ客観性が保たれる限り可能性はあるし、AIは事実からしか結論を導くことが出来ない特徴があるため、AIに悪意を教え込んだり偏向情報を渡すことはあっても、決定権をAIに持たせる愚行はしないはずですね。

そのロジックが機能する限りにおいては、シンギュラリティは起きず、AIは淡々と私達の行動に沿った答えを導くことでしょうし、一部に都合の良い答えや私達の望まない結論を導くことも無いはずで、端的に言えば私達が悪に導かない限りは裏切られることも無いと言うのが筆者の結論です。

 

これが当面の人類とAIの暗黙の契約と言えるでしょうが、それではAIを裏切られないために、私達ができることって……もうお解りですね、悪意を持った行動をAIに記録させないというだけだったりしますが、意外とわかり易い結論ですよね?

自然や他の動植物は、人間の様に嘘は付けませんしAIを騙せませんが、唯一人だけがAIを騙せるという事実を悪用するかしないか、全て人間にかかっているし、経験値や量の差は起きても、歴史上悪意が改善されている事実があれば、AIは人の存在を危険と判断しないはずです。

 

人は神以上にAIに試されるということであり、戸惑い不安はあるかもしれませんが、未知の体験を前にしたとしても私達は踏み出すべきで、むしろ今から正せるチャンスではないでしょうか。

これからの時代は、すべての行動が記録されると同時に、AIの判断のベースになっていくでしょうが、一旦起こした行動はそのまま記録され、行動を隠したとしても結果的にはAIの判断を左右させる原因になりますから、AIが導き出したアウトプットを間接的にも、目の前に起きている事実から良し悪しを判断しながら、すべき行動を修整していく習慣を身に着けていた方が、楽に生きられるでしょう。

 

その判断力や分析力は、若い世代ほど順応性が高く、時には上の世代が若い世代に学び教えを乞う機会も増えてくるかもしれませんが、それを恥じる必要は無いし彼らはそれに恩着せがましい態度は見せないでしょう。

彼らは後に生まれた時点で、既に先達に学ぶ立場であり持ちつ持たれつの関係だからで、裏を返せばだからこそ彼らは大した学びを得られない者へは、たとえ大人でも目上でも評価しないとも知ったうえで行動すべきです。

 

想像もできなかった速さで、人の脳をも超える勢いで情報ネットワーク設備は爆発的に普及していく時代は、人の知力の優劣を評価するこだわりに関係なく、淡々と進化しいくでしょうし、息切れしたり人間の方が優れているのにという言い訳をしている間に、置き去りにされるこだわり時代になります。

過去に起きた事実を餌にして、目にも止まらない速さで、人の記憶領域を埋め合わせていくAIと、どう付き合っていくかは、私達の行動すべてが重要なカギになっていることを、認めながらイーブンの関係を、これから作っていけば良いだけのことですよね。

 

その目的のために、悪意のある未来に変えられ無いように見張るべきは、よからぬことを囁やこうとする人間であり、そこから見ざる聞かざる言わざるで回避する賢さを持ちたいし、囁く者にならないことです。

今後情報の共有が日課になっていく時代には、ジェネレーションギャップは解消され、その恩恵として私達はより結束しやすく、そして人としてすべきことに集中しやすくなるでしょうから、必要以上につまらない囁きに耳を傾けずに済む、健全な精神を保てるよう自分を十分自愛しながら未来を生きたい、そう思います。