精神的な束縛から開放されようとするあがき
東南アジアで起きている、例えばミャンマーロヒンギャ差別弾圧問題や、中国国内で起きる人民弾圧搾取には、思想家の偏見のよる宗教弾圧から逃れられな現実を示しています。
基本新教のおかげで、主軸になる宗教を持たずに済んだ日本人の私達にとっては、同情はあっても違和感さえ覚える人も少なくないでしょうが、宗教は信者の方たちにとって人生の軸であり、その道である指針を妨害される現実は、不幸でしかありません。
ロヒンギャの村、潰され政府施設に一変 BBCがミャンマーで取材 - BBCニュース
私達にとって、天皇以外は皆等しいと言う意識は、日本に生まれながらにして得られるとても自然な道理でも、一歩他国で生まれたらそれが得られる自由は存在しないと言う現実を、後になって知る恵まれた環境そのものが、日本と言う存在だと言う現実を自覚できないと、海外で必ず失敗します。
日本人が海外進出消極的なのは、このギャップの免疫力が弱いためだと思われますが、その束縛感が一種の宗教的束縛に近いのかもしれません。
最近は、多くの人が能動的受動的に関わらず、海外進出をする機運が高まったのは喜ばしいですが、政府の英語教育の消極的政策や、日本偏重の内政的保守政策が止まない今は、個人リスクを背負って自主行動せざるを得ないのが現状です。
かつて歴史的に、日本人は近くは朝鮮へ遠くはブラジルへ、大志を抱いて移住した結果、悲惨な人生を迎えた事実が多くの大人のトラウマになった経緯も否定できませんが、ある種の扇動によって依存的に移住させられた事を、よく考えて行動しなければならないでしょう。
それでも、日本人は海外進出を積極的にしなければならなくなっていますので、進出される人を人柱と認識せず、自分にとっての海外への意識に積極的に向けていかないと、逆に日本の良ささえ潰す未来しか残されないでしょう。
私達の多くが、当たり前の平等にあぐらをかいている今を意識することから始めなければなりませんが、その自覚だけで終わっては意味がないだけでなく、近い将来起きるかもしれない難民大量引き受けなどの対応に、国内が振り回わされるでしょう。
難民問題は一例でしかありませんが、すでにアメリカに逆らえない日本の中で、中国勢力の台頭でアメリカが国として弱体化したときには、日本にもろに被さって来るリスク対策をできている人は、殆どいないわけです。
一部の資産家は、海外移住のオプションを準備できていることで、このリスクを他人事にしていますが、それ以外のほとんどの国民は経済的難民にされるか、世捨て人にならない限り、大国の精神的奴隷にされるしか道が無くなるでしょう。
これは極論であって、現状表面化していないように見えますので、国内経済は安定していますが、実際数字で見てもGDP経済成長率は、政府がコメントするのと大きな違いがあり、消費税増税による景気下落がリアルタイムに起きています。
それぞれの立場で、行動できるスタンスの幅は様々かもしれませんが、できる限り数字で動向を確かめて、政府やTV頻出する識者の観測を鵜呑みにしないよう、注意しておいたほうが良いでしょうし、できる限り大きな暴落暴動に影響を受けにくい対策をしておいた方が賢明でしょう。
地方に住む筆者は、日本国内の平等な発展を願ってこのブログを始めたのですが、情報収集する過程でその発展が極めて困難で、個人努力に完全依存させられる現実を突きつけられてきました。
その結果、本来皆で共有したい明るい未来と可能性の情報をお知らせしたかったところが、そうもいかなくなってしまったのはとても残念ですが、それでも基本に返ってこつこつと努力する日本人として、諦めないようにしたいと考えます。