くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

「麻薬絶対ダメ!」犯罪意識と自殺意識のカンケイ

まさか、あの人が!

犯罪事件にまつわるニュースを見て、そのインパクトやギャップが大きいほど、その犯罪を犯した被疑者に対しての見返りも大きくなるもので、同時に問題そのものの是非も客観的に見えにくくします。

以下のような意見は、有名人による罪の反響の大きさと罪自体の意味を分けて捉えている点で、大いに考えさせられるものですが、普段の生活になじまない犯罪に対して、多くの人の言動がメディアの影響力を受けるのは仕方が無いにしても、目の前にある危機を浮世立った話として扱うには限界が来ているように見えます。

 

www.huffingtonpost.jp

ピエール瀧被告の事件から見る薬物と社会。「自己責任論」ではなく、「回復責任論」を専門家が訴えるわけ | ハフポスト

 

 最近は特に、良し悪し関係なく情報拡散が早すぎて、地域による重要度や時間の優先度に関係なく、実際の体験者やその関係者でなくとも他人事に思えなくなる様な錯覚が、私たちに思わぬストレスになることもしばしばで、本来人間関係では疎遠であったはずの人の体験でさえ他人事で無くなっています。

よもや知名度の高い有名人から受けるインパクトは、一般人のそれの比ではありませんので、この点でメシを食っている業界人諸氏にはそれなりに配慮を求めてしまいますが、一方で未体験の人でもよりリアルに近いシミュレーションがしやすいと考えれば、ものは考え様ですね。

 

 私たちが受ける情報バイアスは、若いほとほどよくもわるくも影響を受けやすいだけでなく、情報多様化社会に不慣れな大人にとっても思わぬ影響に苛まれていることが往々にしてありますので、油断できませんね。

 そのバイアスが氾濫する中で、中立的立場を取るのか偏向的立場をとるのかで、SNSなどで盛んに論議するシーンを目にしますが、ここで注意したいのは持論を固めずに参加する危険性で、結果的に風評被害につながるだけに自分のペースは是非とも保持したいものです。

 

紹介記事のような、直接自分の生活にさし障る影響が大きい話題は、特に意識して参加しないと、知らぬ間に風評被害の加害者にもなりかねません。

だからといって、24時間参加できる「論議の場」となるSNSの否定は、表現力の乏しい私たち日本人には大きな機会損失にもなるので、出来るだけなりすましは避けて純粋な持論を掲げて参加したいものです。

 

犯罪経験いわゆる前科を持たない私たち多くの人には、こうした情報は貴重ですし反面教師ではありますが、この事実を知ったことで好奇心が優先し犯罪に手を染めてしまう障壁の人も少なくない様なので、自分の心をコントロールできなくなったら、

 

「“ヤッらダメ”、絶対」

 

のスローガンを復唱し、もたげた犯罪意識は妄想に徹底して、翌朝にはスッキリ発散して新しい1日を迎える習慣を実行したいのもです。

ヤっちゃったら素直にお縄につきましょう、それがピエール瀧氏から見える、最後の人間性でしょう。

 

犯罪者や犯罪予備軍ですでに人間性を留めずゾンビ化している輩も無視できなくて、深刻なのは非人間に追い詰められて自責の念から、自殺してしまう人への配慮ですが、もし思いとどまる機会があるのなら、

 

「生まれた以上は、意味がある」

 

自殺に真剣に悩む人ほど最も純粋な人間性をもった人かもしれず、もしそうなら生きる価値は客観的にも担保されます。

なので、深呼吸しながら是非考えてください、悪人は自覚もなく平気で自己を正当化するものです、善人が個人の正当化できないわけがありませんから。

そんな時は、

実行する前に、もう一度だけ、出来るだけ近い他人に声をかけてくだい。

できないのなら、ほんのちょっとの時間でいいので、好きなだけ人を悪者にするとスッキリするかもしれない。

 

とにかくどんな人でも、生まれた以上生きる意味がゼロになることはありません。

 

 「諦めたらダメっ、絶対」