くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

無くてはならない(1)スマホとの適度な距離感について

今回は、直接まちづくりと関係しない話題に触れますが、今では私達の生活に欠かせない存在になりつつあるもの「スマホ」の付き合い方について考えます。

「無くてはならない」2回シリーズの第1弾です。

昨年もSB社のサーバーダウン発生の事件で、スマホの使えない生活がどれほどの影響を及ぼすかを改めて実感したことで、改めてこの便利なインフラとの付き合い方を真剣に考えさせられました。

 

一方で、紹介記事のようにスマホの利用については以前から課題を抱えていて、特に子ども使用時への影響と心配はこれからも様々な形で取り上げられることでしょう。 

大人の私たちも、その葛藤はより現実的であり、引いては経済活動や豊かな生活環境へもつながる、複雑な課題でもありますが、おおむねは利用を歓迎されるスマホと私たちはどう付き合っていけばよいのでしょうか。

 

www.bbc.com

スマホと別れる心の準備、できていますか? - BBCニュース

 

マイノリティな部分からですが、今でもこうした問題を警戒して利用をためらう人も高齢者を中心に少なからずいらっしゃるので、彼らに無理くりその環境を押し付けられない課題もありますが、それ以外の人々がマジョリティ(大勢)であり、彼らの希望はますます叶えられにくくなっていますが、まさにその年齢層の方々こそ介護福祉においてその恩恵が必要になりつつある今、以前からの課題である少子化・人口減による人材不足で、サポートする人も激減しています。

この現実を、次世代の高齢者予備軍は熟知していますが、現役高齢者の方々は時代の早さについて行けないために、参加の足が遅くなりがちで、その恩恵に確実に間に合わない世代については、若い世代に大きな負担になります。

 

支えられる側と支える側の極度のアンバランスは、経済成長や福祉充実への足かせになっている以上、世界でも最先端に居る日本がその何らかの答えを最初に示していかなければならないでしょう。

私たちはあまり慣習的に前に出たり、目立とうとしない傾向が強く、こうした要求に対しての回答に上手く立ち回れないかもしれませんが、逆に言えば小国日本が世界に注目される数少ないチャンスと見る向きもあり、本気で取り組んでけっして損はないチャレンジであるのも、間違いありません。

 

 このチャレンジは、政府や企業はもちろんのこと、私たち個人ユーザーの認識と行動がもっとも試されると考えられ、単なる企業のシェア争いの客としてでなく、スマホ社会のあるべき姿と未来像をデザインする構成員として、とても大きな意味を持っています。

これから未来を気づいていく私たちにとって、AIとネット端末の活用は新しいだけで無く、その付き合い方そのものが私たちの生活向上に深く関わり、誰もが好き嫌いにかかわらず避けて通れない「今そこにある問題」として再認識していかなければなりません。

 

その取り組みを前提にした上で、これから起こるさまざまな課題を考えていく必要があるために、意識でしていない人はいちいち意識してでも生活する習慣を持っていかなければならないでしょうし、もう生活の一部になっている人はスマホと生活とのバランスを取りながら付き合うことになるでしょう。

この無くてはならないモノとの課題が意味するも、忘れてはならない一番大切なことは、情報氾濫するネット社会の中でまた次世代知能として中心になりつつあるAIの存在を利用するなかで、いかに自分に有益な情報を精査できるか、そしてなにより仮想化する未来においてリアルな現実としてこれからも存在し続ける「人間の尊厳と自覚」をどこまで持ち続けられるか?にあるでしょう。

 

そもそもネットやAIは生まれた経緯・成り立ちの違いはあれど、最終的に願われているものは私たち「人」が、降りかかる未来の問題のサポートとして、なによりも人が中心にある社会の向上を望まれて成長しているはずであり、それが望むことのはずです。

その不動であるべき基準からして、現実はその進化のスピードに当惑し、振り回される姿が表している通り問題であり、忘れてはならない目の前の課題なわけですから、その自覚を新たにして、まだ傷の浅い間にそれぞれがスマホとの関係をコントロールするスキルを磨き、このネットというインフラがいずれ擬人化を超え「知的生物」として認知されるまでに、備えなければならないのです。