くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

田舎にある妬みとしばりに見る、現実と非現実の格差

 地域を成長させる努力と成果を蝕む要因の中で、日本の歴史から培われた習慣にも当たる悪しき習慣として、隣同士を監視し成功者を妬む生活習慣が特に地方中心に根強く残るのは、とても残念なことです。

この話に言及すると、差別や階級制度にまでおよぶとても根深い過大なだけに、ここでは範囲を絞り込んで限定的に取り上げます。 

 

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地方を滅ぼす「成功者への妬み」のひどい構造 | 地方創生のリアル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

私たちの生活の中で、人同士の集団の中で生きる以上は、人同士の比較や競争は避けて通れませんが、そのなかでも関係が不仲になれば次第に考えなくともよいことまで呼び起こしてその場を切り抜けなくてはならなくなります。

そんな時多くの場合、敗者は勝者を妬み、勝者と自覚する者は敗者を見つけ出しては蔑んで、格差を無意識に広げる行動に出てしまうのはとても悲しい現実ですが、地方活性において問題になるのは「どうせ田舎では成功しない」という自らを卑下する行動に出てしまう危険性を持っている点です。

 

その反動で、人々の多くが都市へ移転し、ますますその格差は開いていく悪循環となり、ますます地方は疲弊していきますが、この流れを作ったのが高度成長政策で、それが終わった今でも、人の流れはとまらず「大都市こそ理想」という誤解が根強く刷り込まれてしまいました。

最近こそ若者をはじめとして、ネットの普及が逆に地方と大都市の垣根をとりさって、隔てなく情報を知るきっかけともなり、ゆっくりではあるものの地方への人の戻りが出てきています。

 

日本に限らないことでしょうが、個人的な差別と同時に地方間の差別意識はしばらくなくなることはないでしょうし、それは各行政組織にとってもその保守には都合の悪いことでもあるでしょうから、課題として解決すべき問題ではないのかもしれません。

ただ、私たちの意識の中では間違いなくこれらの意識は、自由な文化や慣習を妨げるものであり、外部からやってくる外国人を含め移住者の流動を制限するものですから、意識的にそれぞれの判断で行動に責任を持たなければならない種類のものです。

 

これらの各個人での認識と責任は、都市に住んでいようが地方に住まおうが、それがどちらに優位性が働くものでもなく、その殆どに差はできないはずですが、不思議と住まう場所に商業的価値を見出すことで、支払った対価に大しての見返りを求める風潮を作り出してしまいました。

これは商業的錬金術とも言えるものなのかもしれませんが、じっさいその恩恵を受けるのは、ごく一部の仕掛け人であり少なくとも対価を求める人々にそれが届くことはありません。

 

この合理的な事実をどこまで消化して、行動に移せるかが課題となりますが、ネットが普及した今こそ、その情報の扱いに注意を払い、地域性とは全く関連性のないものだと意識して、無用に自ら情報格差を生み出さない注意が必要でしょう。

バーチャルの商業環境は、ますます発展していきますが、同時にリアルな地政学的な事実もなくなることはないだけに、私たちは利便性で受ける恩恵の範疇と、生活において解決しなければならない恩恵や不利益を混同しないようにし、上手に使い分けていく知恵が求められているのかもしれません。