くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

空のライフラインが絶たれた時、どうなりますか?

先建て北海道の大震災と同時期に発生した関西方面での台風高潮被害で、前代未聞の関空KIX関西国際空港)の機能停止がようやく一部復帰し、衛生空港の支援もできるようになって、混乱が和らぎつつあります。

 

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神戸新聞NEXT|総合|伊丹で国際線就航 関空代替で初、10月に香港便

 

北海道地域の自信による風評被害や、関空の機能不全で渡航者の足に大影響を与えた一連の集中自然災害は、前例が無いため対応が遅れる向きもあったのですが、流石に災害馴れせざるを得ない日本人の善処は、皮肉にも板についてきたのかもしれません。

連日のメディアでも、自衛隊や一般ボランティアの献身的な努力する姿を見られますし、被災者の方々が流石に気づかれもピークに達していることと思いますが、総裁選も事なく終わり、災害援助が本格的に動いたのは幸いでした。

 

さて、この中で関空の機能閉鎖は、当初の想定とは大きく乖離した様々な課題を、私達に突きつけています。

大きくひとつは大規模な災害時の避難の足にもなる、空のインフラを他の方法でどう補足するか、もう一つは特にインバウンド、観光客の風評被害対策でしょう。

 

前者は、記事にもある伊丹空港のような衛星空港での代用支援のネットワークをどこまで整備できるかという課題であり、後者は災害後の情報統制とそれに合わせた災害地が連動をできるかという課題です。

 

例えば地元の中部地方ではどうでしょうか。

この地には中部国際空港があり、幸い今回の台風24号では関西ほど実害はありませんでしたが、関空同様に海を埋め立てた立地で台風で水害を受けやすい点は同じと考えられます。

加えて衛生空港としては、小牧の名古屋空港がある点も似ていますが、自衛隊のそれも併設されていて、緊急時の穴埋めが民間判断だけでは困難が予測されます。

 

比較的名古屋自治周辺は、土地柄堅実な気質もあって災害対策には積極的な地域の方ですが、1960年代の伊勢湾台風終戦直後の大震災の被災経験はあるものの、記憶は古いだけにイメージだけが先行し、実害意識に実感の乖離が起こっている心配があります。

災害対策で一番重要なのは、備蓄の確保よりも災害時の行動意識の維持と言いますか、集団行動の危険性の認識と個人判断力の強化にあると思っています。

 

自治体が災害時の、最低限の平時環境を保持できる準備をするのも重要ですが、その保障が切れるときは必ず来ますので、その後は個人単位で環境は変わっていきますから、モノの準備に気を配ると同時に、それ以上に心の準備や鍛錬が生死を分けることは、過去の災害体験談でも周知の通りです。

この点は空港被災に限ったことではありませんが、この心の準備は災害復興後の風評被害において被災者が対策を立てる際には、全国規模レベルで大きな差となって出てくることからも、最悪の被災ケースとして最優先課題としなければならないかもしれません。

 

つまり、表題の災害においては国内外退避のライフラインを断たれるため、精神的ダメージは比較にならない上に、復旧作業も関空の例のように想定通りにいくものでないことが判っただけに究極であり、準備された逃げる手段を絶たてた際にどのような行動を取れるかが、絶対的生命線となります。

これで言えることは、災害時の究極の行動に他力本願が通用しないという認識があるかないかで、結果が大きく異なる事実です。

 

そこまでの覚悟ができる人は経験者でないと、平時から災害時の準備やイメージの難しさはあるかもしれませんが、それでも考えられる限りの覚悟は避けられません。

 

故に、まずは経験者の体験談ノウハウは生かさなければなりませんが、同時にケースバイケースの判断力を普段から訓練するのを怠らないようにしたいものです。

また、その行動を突飛だから意見したり、制限したりするようなシステム作りには注意したいと同時に、人からの情報を何ものより過信するような、普段からの生活習慣には戒めが必要でしょう。

 

私達日本人は教育制度や引き継いできた慣習などから、個人的判断や行動には奥手になりがちですから、普段使いの意識が災害時のそれに弊害を起こしていることに、十分な意識が要るでしょう。

こればかりは、何度も言いますが日頃の心の準備が、自身をまた家族や身の回りの人を結果的に救うための大事なスキルとして、とても地味ですが大事なことであり、基本個々で意識的に学ぶしか無いと考えています。