くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

交通事故対策、想定外なのか準備不足が原因なのか?

後を絶たない”飲酒”や”アオり運転”で起こる事故、交通マナー無視。

例年、交通事故件数ワーストワンの汚名返上に必死の愛知県を今更取り上げるのは地元民として忍びないのですが、心を鬼にしてちょっと他県でも今後あるあるなニュースがあったので、紹介します。

www.nikkei.com

認知機能検査が大渋滞 愛知県警、直営で受け入れ増へ :日本経済新聞

 

国内の年齢層での人口比率のバランスがとてもいびつなのは、なにがしかのニュースなどでご存知の方も多いと思いますが、そのしわ寄せはいがいなところで問題かしているのかもしれません。

たまたま交通事故件数が最多である愛知県で露呈した問題ではあるのですが、この事例で見られるような、類を見ない高齢者層の多さがどれほどの課題を抱えているかも想定されていない現状で、行政の対応が想定の段階でさえ追いついていない現実を、私たちに投げかけています。

 

この課題は、自動車産業に依存する愛知県ならではの問題と判断される方も少なく無いでしょうが、これは自動車・交通事故対策に関連するものをあげただけでもこのような想定外な障害が発生している事実であり、この事例を待たずして行政機関の想定外を今後も何かにつけて、言い訳にできないことを認識したうえで、どこまでを行政管轄で対応し、どこまでを住民に義務として理解するかが、そもそも明確にしない限り泥沼化することを意味しています。

 

そのために、行政が取るべき対策はすべて判断力とそのスピードが求められ津と同時に、行政組織の真骨頂であるトップダウンの精度が試されているという事に他なりませんが、その認識と覚悟がどれほどのものか、住民は注視する必要があります。

住民の監視機能がどれほど機能するかはその数の多さに比例しますが、それだけ住民にも試されているということへの自覚は必要でしょう。

 

行政を担う仕事は安定した福利厚生が、経済情勢に左右される一般企業のそれと比べ保証させているのは、言うまでもなく上層(役が上がる)につれてその結果への責任が重いことを本来意味するものですが、紹介記事のような事例をみるにその機能は働いていない事実があります。

だからと言って、私たちは単に文句や苦言を言い張っているだけでは建設的とは言えず、機能しない原因の一端を担っているという自覚とそれを裏打ちをする行動を示さなければなりません。

 

小難しい言い方をしてしまいましたが紹介記事の案件を例にすれば、

行政:量に対して即応できる柔軟な体制変更

住民:事故に加担する運転や認識の改善

という、今更言うまでもない基本を守れていない現実に、慢性化している双方の姿勢に、原因があるという認識の逃避が基になっていることが、あきらかです。

 

こうした問題改善がみえるかどうかは、個性の尊重に依存するものではなく、均等に与えられた義務を、それぞれが果たしているかいないかだけのことなのですから、それぞれの判断力にもよるでしょうが、その甘さは結果として出るのですから、そこから目をそらした時点で、守っていないという現実を認めない以上は改善されないのかもしれません。

最後に交通標語?で締めたいと思います。

 

「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」

 

こんな標語があったと記憶していますが、狭い世界に関係なくそもそもせっかちで、秒刻みが当たり前の日本人の感覚からみて、そもそもこの標語を作った人(警察関連?)は、単に現状を皮肉っただけで交通問題を根本から見誤っていたのではないでしょうか。

その結果が、交通事故が航空機事故より圧倒的に減らない現実であり、ますます交通安全の基本を軽視する老若男女違わない、泥沼な交通事情を生んだと筆者は考えたてみましたが、それにしても愛知県のドライブマナー……筆者も含め守る義務感よりも、事故を出さない結果を重視したいですね。

 

それにしても不思議でならないのは、仕事や一般的な社会マナーではキチンと義務を全うする私たちなのに、どうしてココ運転に関しては交通マナーを守れない人が後をたたないのでしょうか? 自重を含め日本人の誇るべき良さをこんな事で汚すのはもったいないことなのに……ねぇ。(締めは、故樹木希林さん風に希望を込めて)