人の流れが弱まっている中で、人の心は離れていく切なさ
今週のゴールデンウイークをお仕事やお休みでいかがお過ごしですか?
筆者は本当に久しぶりでしたが、古都の野山をしこたま歩き倒して過ごすことができたので、気分もリフレッシュされたのもあって、連続2回目配信したいと思います。
その割に書き出しは重いものですが、上の体験で原点を考え直して感じたことがありましたので、最後までお付き合いください。
人口過密地帯でもいよいよ人口の自然減が現実のものになってきました、その変化の中で過疎化への過剰意識にどう対処していくのでしょうか。
この現実に首都である東京は、今後ますます過度な人口集中化の施策を強化していく心配があります、こうした利食いにも似た人の数に頼っていた経済発展のやり方に、いよいよ限界がみえているようです。
かつて体験した記録のないこの流れに、私たちは誰もが納得する答えを持ち合わせていませんが、世界に先駆けて日本が迎える課題に世界も注目しているでしょう。
この答えに筆者ごときが答えられるものではありませんが、一人一人がこの課題に真摯に向き合い目の前のちょっとした課題から、堅実に解決していくのは最低限私たちの使命になるでしょう。
見た目は誰も踏み込まないであろう、内面的なノルマに対して目を閉じたり、背を向けるのは簡単なだけに、より誠実な気持ちとささやかな行動が期待されているということなのでしょうが、その木にあたる課題の根っこにあるべきは、実はとても使い古された言葉で表現される思いだと、再認識したいです。
その思いというのは「愛国心」であり、さらに突き詰めれば「地元愛」なのですが、最近特に感じる空気には愛国心=右翼的な危険思想といったとても偏執的な常識に、このこの言葉に本来からある純粋な意味と、日本人としてとても大事にしている根っこがすくい取られているような、危うさはなんなんでしょうか?
人が少なくなっていく中で、このとても大事にしなければならない基本的な思いも、徐々に減っていくのは避けられませんから、その分も私たちは原点をもう一度省みて、とてもシンプルで大切な「根っこ」をより濃密にしていく帰路に立っています。
本来、楽観的で覚めた考え方をする筆者でさえ、この危機的な空気を感じるくらいですから、すでに多くの方はお気付きのことでしょうが、目の前の未知の現実への戸惑い隠せないのかもしれませんね。
もし筆者と同じ思いを持ってもらえるならば、大それた行動は必要なく実は、とてもシンプルで誰もが持っているであろう愛国心にたいして、素直になることにどうしていただければ、とても嬉しいのですがいかがでしょうか。