くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

AIは後追いする途上国のよう、「いつか追い抜かれる」不安の裏側

 はたらく人にとっても遊びを楽しむ人にとっても、AIのお仕事ぶりが人を超える日が近い将来来ると言われると、ちょっとビビってしまいますよね。

AIを開発する最右翼の企業であるGoogle社の動向は、その点でとても気になる存在ですが、順調な仕上がりをアピールするのを彼らは決して忘れていません。

 

gigazine.net

AIを開発するGoogle Brainチームが2017年の機械学習研究の成果を振り返る「Looking Back on 2017」パート1を公開 - GIGAZINE

 

その上で、これからの社会が成り立っていく上に、私たちのモノの見方や考え方をより高速化する情報処理の仕方について考え直す時期にきているということなのでしが、この波に乗って行かなくては生きていけない人もいれば、そこまでしなくても生涯を全うできそうな人もいて、できれば後者の立場でアナログ時代を締めくくりたいところでしたが、筆者はどうやら前者になりそうです。

その立場では、大真面目にAIとの付き合い方を考えなくてはならないわけで、今働いている人の多くの共通認識なのだと思います。

 

このジャンルでの中国の台頭次第でしょうが、大雑把に言えばGoogle社のテクノロジーはほぼデファクトスタンダードですので、同社の動向を示す昨年のリポートは大いに注目したいところです。

今のところAIの恩恵は、自動運転やロボットの技術向上の面で期待されていて、次々とベンチャー企業によって応用や展開が試みられていて、子どもたちの生涯学習の基本としても、プログラミングは必須となっている通り、ますます知能労働の標準化は進んでいます。

 

これからの世代はそれでいいとして、この時代の流れに置いてかれそうなのは、アナログとデジタル時代の過渡期に生まれ育ってきた筆者のような世代が、本腰を入れて行動に出なければ生きていけない時代に、とても危機感を感じています。

競争社会を当たり前のように生きてきた世代にとって、AIがその仮想ライバルとして注目されるのは当然として、思わぬ敵に対してどのような理想と現実を抱いていくか、安定の未来を思い描いていた私たちの安息の地は、まだまだ遠いようです。