くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

Eラーンニングでの教育は、世界に追いついているか

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 地域の創生にも大きく関わってくる次の世代の教育方針は、話半分でもほめられる話でも無い気がします。国内の教育の現状がこのような状態において、文科省がやるべきことの考察をしてみたいと思いませんか。

toyokeizai.net

www.huffingtonpost.jp

 

 教材はタブレットを使う妥当性があるか

  子どもの教育に、タブレットを使い始める学校が増えてきているというが、今でも疑問視する教育者も少なくないようです。

 インターネット情報が、他の方法より即時性の高い媒体であるのは、誰もが知っていますが、モラルやリテラシーを子どもへ正しく持たせられるかの配慮において、ネット本来の利便性に制限がかかっています。

soonhome.jp

 学校などではネット問題性の面を配慮した上で、授業に使うのは今まで書籍で学んだ教科を、業者の販売するアプリケーションで学ぶのが主流のようですが、ネットと連携したものは少なく、生きたネット情報を活かせずに限定的になっているようです。

 先生や学校によっては、社会学習などでフィールドワークや、社会見学などの準備や下調べにグループでネットは利用されてはいますが、一般の利用法からすれば能動的利用には課題が多いように思えます。

 自宅で利用を許可していない家庭も少なくないようですが、許可している家庭も多く、むしろ早くから免疫がつくなど、学校だけの利用に比べれば、いわゆるネイティブとも言われる生まれながらにしてネットを利用できる子どもは、むしろリテラシーも高くできる期間を長くとれるメリットがあります。

 

 既得権益のからみもあるのでしょうが、わざわざ義務教育全般で教材を設けるより、実際のネットを利用した課題や、生きた利用法を学習したほうがゆくゆくは有利になると考えられます。

 かつての国内での英語学習のように、生きた英語を学んでこなかったために、日本人の英語能力は全くと言って役に立っていないように、ネットの活きた活用はさらに文科省の知恵を絞りだす必要を示唆していないでしょうか。

 

 国の教育関係者が、日本が国際競争に巻き込まれている現状を、どの程度自覚していらっしゃるのかわかりませんが、大人たちが漸く覚えたネット活用を、かみ砕いて教える時間的余裕はないほど、国際認識のズレが大きいように思います。 

 それよりも大人の理解度を超えるのを承知で、自由にさせてネットで柔軟に利用できた方が、自発的なネイティブ化がしやすいですし、経済的にネット利用ができない家庭でも、学校でそれができればハンディは減るのではないでしょうか。


 そもそも、教育者側のリテラシーが追い付いていない現状では、指導するのは困難で親御さんも同様の状態のケースが多いのが実情でしょうから、それを無理して中国と同じネット規制をして、本来役に立たない安全な情報だけを知らせて、役目を果たしたことにしてしまう方が問題です。

 そのかわり指導者は、ノウハウは導くのではなく一緒に問題解決を考える姿勢を持って、モラル面において正しい方へ導いたほうが、むしろ自然と言えます。

 

「情報のるつぼ」だと早くから気づかせる

 世間には大人の本音が渦巻いているネット情報は、子どもたちには見せられるものではないとお考えかも知れませんが、子どもはかつてネットも無かった時代であっても、ふとしたきっかけで大人の汚らしさに触れて来たのを思い出せれば、子どもたちがその良し悪しをネットで調べようになったとしても、それはむしろ生きたネット活用に繋がるのではないでしょうか。

 それよりも、子どもと良好なコミュニケーションを普段から取っているかどうかの方が大事ですし、大人は子どもとの対話のきっかけにもできるので、積極的に普通のネット利用を心掛ける方が、理にかなっています。

 

 東京で行われている東京オリンピックのいざこざや、どうして東京電力はあれだけのことをしてつぶれないのか、なぜ亡くなった人を写した写真が賞の内定を外されるのかなど、生の教材は途切れることなくふんだんに存在しています。

 それゆえ狭小日本で争うことなく共生する知恵の発達したことによる、日本独自のローカルルールの違和感は、国際化社会に突入していく私たちの間でも、「何かおかしい……」と感じる、多くの疑問について考える好機になるのではないでしょうか。

 こういった問題を、先生ー生徒や親ー子間で意見を交わすのは、むしろ本来の教育にとっても有効と考えます。

 

グローバルな空気に慣れるためのネット

 子どもたちが大人になるころには、今の大人たちは力の及ばないところにいることになるのですから、大人たちは将来実用に耐えないタブレットのお遊戯をさせる代わりに、ネットを使って生の問題解決の、ディスカッションやディベートをさせた方が、子どもたちの将来には有意義ですし、日本のローカルルールは海外では通用しないと気づかせた方が、国際認識させるのには向いているでしょう。

 

 実際、そのルールと共に醸し出された国内市場や職場環境は、海外から来た外国人にはあまり居ごごちが良くないようです。

forbesjapan.com

日本に欠けるもの

こうした中で、日本は政府関係者らが繰り返し呼び掛けてきたにもかかわらず、外国人の人材を呼び込むことができないままだ。東京都の舛添要一前知事も今年5月、「多くの有能な人材を外国から呼び込まなくてはならない」「若い有能な人材がどうしても必要だ」と訴えていた。

だが、日本には外国人のニーズに応じる準備ができていないという問題がある──彼らは日本では、出世ができないのだ。そして、その理由は次のような単純なものだ。

彼らがキャリアを伸ばし、出世を遂げることを可能にする社会経済状況と、それを認める文化に基づいた考え方という適切な「体制」が、日本には整えられていないのだ。

 

学校のEラーンニングの違和感

 ゆとり教育と言われる差別的認識もそう、いじめもそう、人柱を立てて残りの罪をもみ消すやり方が、未だ綿々と義務教育期間中に培われています。

 この居心地の悪さを他人事に思わず、ほったらかしのままで国際化をはかるのは、今後は特に考え物ではないでしょうか。

 

 ですので、タブレットを全児童に配布するのも悪くはありませんが、モラル判断がおぼつかない間は、むしろ大型のスクリーンモニターか、グループ単位での情報端末貸与にとどめ、集団でディスカッションで共通認識を確認するほうが、共通のリテラシーを共有できそうです。

 教育のIT化を実験期間として、今の子どもを利用しているように見えてしまうのは筆者だけではないでしょう。

 それならむしろタブレットに手を出さない方が良いでしょうが、最終的には当事者の子ども本人の選択や、教育との相性を親御さんが判断するしかないので、その判断材料は文科省がしっかりした判断材料を提示すべきです。

 今までも「ゆとり教育」などの実験的な施策が限定的にされてきて、今でも問題視されてきた経緯があるだけに、文科省は実験的な施策は基本筋としては実施すべきではありません。

 海外でのEラーンニング

  今、子どもたちに必要なのは、電子端末を授業で触らせる体験がではなく、これらを使うと、これ今までより何が省けるのが便利になるかを教えてあげることではないでしょうか。

 問題は、IT慣れできていない文科省含めた教育者が、自分たちと同じつたない認識しか子どもたちに植え付けられない恐れがあることです。

 それならいっそ、自由自在ネットを触らせた方がむしろ、柔軟な子どもたちは自由に発想をひろげ、大人以上の活用を見つける可能性だってありますので、そういった可能性を大人は助長したほうが日本のためになるでしょう。

 世界の子供たちのネット・ITの価値観は、すでに先進国からもダイナミックな進化を始めていて、成果も上がっているようですよ。

「さあ、日本はどのような結果をみせてくれるのでしょう?」

……とても楽しみで、しかたありません。

gigazine.net