くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

ジャパン・クオリティの高さと、ブランド評価の低さ

  ナビスコヤマザキがビスケットブランドの袂を別ったのは、海外企業のブランド力と、日本企業の品質維持力が、いよいよグローバルマーケットへの新たな勝負をかける時期に来たことを象徴しているのでしょうか。

 

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 結構古くから、日本企業・商品のブランドを育てるノウハウが弱いと危機感を報じられていましたが、これからナビスコバーバリーのようなケースが普通になっていくと、ブランドづくりと品質管理を両立は不可避です。

 ある意味戦後欧米を手本に急伸してきた企業にとって、これからさらなる進化を遂げるのには、企業の本質づくりと製品品質向上の、一本化を軸にしたブランドづくりが、求められる時代に突入したとも言えます。

 

 この問題を今取り上げなければならないのは、そもそも日本がブランド育成が不得手であったことがあげられますが、ひとえに老舗ブランドと言うステータスは、時間をかけないと成立しません。

 その時間を金で買って済ましていた時代が長すぎた弊害であり、上に興ったようなブランドと企業の決別劇は、その弊害からの脱却を予兆するものでもあるわけです。

 

 これらの経緯の一方で、国内でも岡山のジーンズブランド発信の成功など、零細企業からブランド作りにウエィトをかけて成功した企業も目立っており、地域と企業のコラボレーションを軸にする、新しい企業づくりが注目されているのはご存知の通りです。

 その新しい流れと、旧来の日本企業のイメージで主立っていた、白物家電ブランド色の強かった日本企業のイメージからの脱却と、世界への新しい企業イメージづくりと位置づけを、今後バランスよく構築できるかが注目されます。

 

 ナビスコと離別したヤマザキの戦略はとても地味なものでしたが、ナビスコがパッケージを踏襲しイメージ保持を優先したのに対して、ヤマザキはパッケージはソツないデザインでや名前は新装したものの、味や食感は従来のものを引き継ぎしています。

 国内の宣伝も過去出演の女優さんを総動員し、ごひいきにとアピールする日本人の嗜好に沿ったもので、この点も地味ですが手堅さを感じますが、ナビスコは見た目こそ変わりませんが、味が変わっているとの評価です。

 

 ヤマザキが製造していた商品は、工場が確か発表ではイタリアの工場で製造するとありましたので、テイストを海外向けに変えて、日本市場は二の次にしたのかもしれませんが、おそらく今後日本市場ではシェアを落とすかもしれませ。

 たかがビスケット、されどビスケットな話で、ヤマザキは今後も新ブランドを大切にしていく方針のようで、果たしてナビスコブランドの海外シェアアップが目論見通りになるかお手並み拝見です。

 

 ところで、国内企業がブランド構築の不得手さが目立つのかを考える上で、最近気になるキーワードがあるのですが、少し話が逸れてしまいますが、お付き合いください。

 それは話題になる現象に「東京」と言う冠詞をつける事です、たとえば待機児童問題のニュースで「東京問題」って、待機児童の増加に歯止めが利かない問題は、東京だけがクローズアップされるいわれはないのに、冠に何かと首都の名前がつくのが目立ちます。

 

 大阪だって名古屋だって、福岡だって全国的に起こっている問題に固有地名をつけてしまうところに東京ブランドに依存する意識、国内なら何となく通じる、独特の偏りが何かと話題に紛れ込んでいます。

 東京の人口集中化の問題をコントロールできていないのに、待機児童の増加の問題を東京特有の問題のように誤解する言われ方で、ますます本筋の原因と対策ポイントが、ぼけていく懸念さえ感じます。

 

 そもそも、日本全体では人口が減っていて、東京の寡占化が起きている問題は、それだけで集中を回避する施策を打つべきで、過度に東京のメリットをあおる政策や、マスコミの情報戦略にも問題があります。

 前者では高齢者層の増加を見据えて、資本力を武器に住宅設備を過度に増やし宣伝であおったツケが回って、若年世帯の集中を余儀なくされただけであり、東京の空き家対策でしかありませんし、後者ではメディア企業のパワーバランスが東京のメディア企業が地方メディアより優先件を譲らない構造が、より東京ブランドへの集中化を煽っているに過ぎません。

 

 いずれにしても、中央の政策や報道体制の一方向への流れに特化してしまった流れは、地方での情報や問題の吸い上げに生産性を下げるバイアスの基にしかなりません。

 世界は、ICTの劇的な進歩で、一方的な情報や施策の流れはマイナスでしかなくなっていて、双方向の情報共有が適正に行われてこそ、相乗効果が期待できるものなのにも関わらず、この「東京~」というヘッダーキーワードは、かつての絶対的中心地であった東京の迷走を表すものに他ありません。

 

 厄介なのは、その迷走が地方にも何も問題のないかのようにばらまかれていることで、その点は地域の政策やメディア関係者はその問題点を顧みないといけないのではないでしょうか。

 特にTVメディアは執拗にネットメディアに対抗心むき出しにしている姿は、その番組内容の空洞化に顕著に表れているのは、皆さんのすでに感じられているところですし、借金を増やす一方で、予算確保をできない中央政策は限界にきており、地方にとってメリットは無く、負担ばかりが増えている現状を地域ごとに顧みないとならない時期です。

 

 漸く一本化された、日本成長戦略をまとめる未来投資会議に期待することは、投資の集中と分散の全国的な取り決めをする重要な会議であるだけに、中央に固執しない地方との連携を含んだ総括的な合議・方向性の取り組みです。

 単に東京一極集中化を加速させるような安易な投資にならないように祈るばかりか、政治が極端に介入してこれば、そうなる可能性は非常に高いかもしれませんが、この結果で官僚の狙いが明確になってくるでしょう。

 

 「東京問題」と「東京ばな奈」では同じ冠詞がついていますが、全く混同できない性格を持っているようですので、これをブランドの話と一緒に語るのは少し違うのですが、それだけ「東京」ブランドとして、同じ認識をされやすい報道のし方は気になります。

 ただ、悪い話題に対して名古屋とか大阪がつかないのはまだ良識があるのかもしれませんが、明らかに少なくとも国内の認識では過度な主格化があるのは、そろそろ脱却しなければならない節目ではないでしょうか。

 

 この点はどうしても政治や経済の中心が首都に偏っている事が原因ですが、だからと言って首都移転も今更極論ですし、経済も低成長の時代にあって分散と言うのも現実的では無いのは解ります。

 ただ長い目で見て、日本のグローバル成長をする上では、地方の成長を促すものではないでしょうから、政府が本気で地方創生を促すのなら、何らか改善の余地が多分にありそうです。

 

 こういった中央集中型の情報や、経済・行政の動きを続けることは、このまま妄信的に続ければ疲弊していく恐れを秘めていて、それを敏感に感じ取って大阪や福岡で起こっている、東京に依存しない自治意識の高まりは必然性があり、合理的な国際化時代の流れを踏襲していると考えられます。

 ただし、この流れに意味も解らずまた妄信的に流されては本末転倒でありまずは、地域によってはそのブレーンを育成するところから始まり、地域特性の確立している地域はその特性に沿った自治をしていくことになるでしょう。

 

 いま、地方の住民が注意しなければならないのは、東京主体の情報統制の問題であり、もっともわかりやすいのは「地域の○○ランキング」のような順列を決めつける情報です。

 隣同士が近く、実に争う事を避ける気質の私達こそは、都道府県ランキングでその葛藤を晴らすメリットがありますか、その差がそのまま海外の人にとってメリットのある差では無いと言うことです。

 

 これらは、多数決の原理に抵抗のなくなっている私たちには馴染んだ方法ではありますが、たんなるゲームでしかありませんし、その偏りは海外の人にとって共有できる性質のものではありません。

 仲間内の話題で盛り上がるのには適当でも、実力を見てもらうのには話半分に聞いても効果は期待できないし、むしろ地域の住民にとっても順位がどこであっても良し悪しです。

 

 地域からでも、東京のフィルターを通さず公平な世界中の情報が手に入る時代になって以来、中央が集中を促そうとする情報は、逆に地域創生の観点からは旨みは亡くなっていくでしょう。

 ただし、情報を独自の判断で分析をしなければならない以上、それを可能にできるインテリジェンスの準備は、好む好まざるを経ず、必須の条件になるでしょう。

 

  話はブランドから少し外れましたが、こうした国内でさえある意識の偏重は、日本ブランドを作り上げる上で、大きなバイアスになりえます。

 やはり「ジャパン・クオリティ」という冠は、日本の最も得意とする高度な品質管理のブランドの象徴ですし、その冠を掲げてこれから世界の市場で戦っていく上で、一見一本化するのが普通に思えてしまう旧来の発想は、これからの世界進出には足かせにこそなれ、「護送船団方式」や「ガラバゴス化」で謳われたように、日本の偏った視点の象徴として見直す方が良さそうです。

 

 むしろ、限りある人材や技術を集中することには大事ですが、バリアフリーの共有意識がなければできないことで、国内でランキングつけて小競り合いするようではおぼつきません。

 小競り合いの競争意識より、バリアフリー意識での共有をもって、世界各地のニーズごとにあった柔軟な「ジャパン・クオリティ」の売り込みを実施しなければ、小国日本は世界の強豪との競争には負けてしまうでしょう。

 

 政府は借金を減らせない不安から税収面の集中化のロジックから抜け出せないまま、地方をさらに税収の手段に変えようとしていますので、そのロジックに必要以上に関わらないようにするのが、これからの地方自治体の方向性になるのではないでしょうか。

 そうなることで、政府は地方の向き合い方を本来あるべき姿に、真摯に向き合うようになってもらわなければなりません。

 

 地方にとって地場の主産業をになう産業・企業は、地方の税収面にとってとても重要な位置づけになりますが、これから国内だけでなく海外へも市場拡大を余儀なくされる中で、日本ブランドを地方が総じてサポートし、向上して初めて企業ブランドの向上も期待できるものだけに、今後地域を大事にする賢い企業が増えることが、今後政府に掲げらえた命題になるでしょう。

 

 「ジャパン・クオリティ」と言う名の日本の誇れる冠の認知は、長い月日を費やして世界に認知されたものですし、これとてたゆまぬ地域で活躍する堅実で探求心を惜しまない日本人の、認知されるに必要だった以上にとても長い間を費やして育て上げた、業の集大成なのですから、この軸は日本の生命線であってここに資本を集中せずして、日本の未来はあり得ないのです。