くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

 次の世代が地方に根付く条件と、これからの可能性にエールを

 

 人口比率の高い高齢者層を対象とした事件や、問題が多き掲げられていますが、その一方で比率の低いはずの低年齢層が被害を受ける問題も、それに負けずニュースに上がる昨今は、これからの社会にとってとても気になります。

  

 地方創生をうたう上で目が離せないのは、次代首脳として注目される小泉進次郎氏の存在ですが、ここ数年の小泉氏の参院選遊説を見るに連れ、次の時代を見据えた新有権者達の心を政治から離さないように、知恵を絞っているのが良く解リます。

 

 今の若者世代(定義が曖昧ですが)からは、今までの政治や自治に期待していないムードがはっきりと感じられ、年金受給資格年齢の変更や、少子化対策の進みがままならない事への憤りから、政治への関心が急下降しています。

 

 一方で景気回復とばかりに、企業側の利益追求の効率化が何かと優先されるアベノミクス政策からは、本来誰もが抱いた地方創生が、肩書だけのものに変わって、消費者の動向がつかめないまま失速しています。

 今回の参院選の結果を見ても、相変わらずの投票率の低さと、何となく野党が盛り返した空気はあっても与党が3分の2議席をとって、結局バランスは崩れること無く終わりました。

 

 多数決に屈して、放棄する中間の若者が厄介です、多数決が都合悪ければ変える行動を続けていけばいい、改善しようという発想すらしないのに口だけ出すのは、は反則でしかない。

 高齢者世代が居なくなるのを待つような無策をするのは、すでに自分のみじめな未来を受け入れているのと同じだと、感じないのだろうか?

 

 現状の地方政治は旧来の保守型の高齢者向けの体制を維持することになりそうですが、次世代の住民は当面苦しい状況に置かれてもやむ無しの結果を生みそうです。

 

その中でも、若い官僚が小泉進次郎氏のように次の時代を見据えて、根回しする姿は、少しホッとする光景でもあります。

 ぜひとも彼らが思い描く政治が、戦後の思想を引き継がないもっと世界を見据えたものであると期待したいものですが、まだまだ目先は見えていません。

 

 既存世代の既得権益網のない日本は期待できないものなんでしょうか。

 

 

  地道な市民活動への布石は、市民の地道な自主性に委ねられる事が往々にしてあると思われますが、政府の経済成長優先のやり方が間に合う前に、市民生活の成長はままならなくなっていく可能性がある事を私たちは考えなくてはならないのです。

  かつての社会は、経済成長と政府の公共事業政策で攻勢を極める事ができましたが、1990年代辺りからその勢いは影を潜め、2010年代前後では若者には希望さえも持てない状況です。

 

 その中でも、若者は地道にではありますが、社会参加の準備を続けているようですが、こう言った姿を見るに私達の役割を考えた時に、若者の柔軟な考え方に触発されてしまいます。

 先行きが手探り状態の今にあって何とかなるのではなく、何とかしようと模索する姿は大人にも勝るものがあり、期待も持てそうです。

 

 高度成長時代の大人が築き上げた福祉や社会貢献の成果は、その子世代に多くの「当たり前の中流生活」を残してきたかもしれません、ただその一方で「ゆとり」などに象徴される、貪欲さやチャレンジ精神のような向上心への関心を削いできた反面もあって、この意識の欠落が私達の成長を鈍化させたのも事実です。

 

 

 その結果、政治でも大企業からの恩恵を優先し、中長期的な零細・中小企業の成長戦略を怠った結果、大企業の経営不振のツケは下請けへ転嫁され、市場拡大に失敗した大企業は疲弊していきました。

 不景気で内部留保に走った為に金の流れが滞った結果、景気は輪をかけて落ち込んで、企業は人材教育から目を背けた結果、その補填に有限の人材の浪費、若い人材の使い捨てを初めています。

 

 その中でも、今の若者はひたむきに向上しようと努め、アウェイな風潮に抗おうと闘っています。

 今の社会は、その若者の足を引っ張る事をしても、エールを送ってあげられてないのは、教育すると言う感覚が希薄で、自分さえコントロールできずにいる人が増えているからかもしれません。

 

 そんな大人の一人である筆者が言えることではないかもしれませんが、若者へのエールとして、まず一つでいいので現実に持てる夢を創って、つどうしてもかなえたいことだけ念頭に行動してほしいと言うこと。

 言い訳や愚痴を言うのは、じじばばになってからでもできるから、今は文句を言わずに若いうち体力も気力もあるうちに、現実的にできると思える踏み台を築くのに集中してほしいと思う。

 

 そのために例えば選挙は、道具として利用すれば良いだけの事で、よしんば政治を変えられなくても、自分の街や暮らしを少しづつ便利にすることはできるという実感が、大きなモチベーションとなる。

 今、冒険的でなく実に堅実的な若者像が珍しくなくなったと言いますが、それならそれでまずは堅実に、身近なところから行動して、変えていけばいいだけの事です。

 

 目的を叶えるためなら、変に器用に立ち回らなくてもスマートじゃなくても、若い内ならがむしゃらで良いと、最近つとに見るオリンピック選手の、ひたむきな姿につくづく頷いてしまいます。

 若者を騙す技術も巧みになっているのも事実で、超えるべき壁を克服する技術も学んでいかなければならない現状には、同情するしかないのですが、負けないでほしいと思う。

 

 成熟した国家では、勢いと言うかモチベーションが保ちにくい現状は、途上国とのそれと比較すれば嫌でも実感できますが、今は海外へも出やすい時代でもあって、海外の空気を体験するのも良いと思います。

 海外の友人をネットで得るのも良いかもしれませんが、基本は内向きになっている自分の心に気づくこと、そして外の世界を見ようと試みること。

 

 当たり前に思える基本行動は、意識してするのとしないとでは、雲泥の差があるもの。

 大きな野望を抱いて成り上がった時代は、これから身の丈にあったコツコツ成長する時代にあった、努力を続けられるサポートを大人はしてあげなくてはなりません。

 後継者無くしては、国は成り立たないのですから。