くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

海外進出の成功は、周りとの調和と洗練されたデザイン「なも研7」:二部作の②

  愛知県はトリエンナーレという、広域芸術活動を続けていますが、今回も計画が着々と進行しており、産業文化の国際展開におおきな貢献をしてくれそうです。

 前回に続き、第2弾は街づくりに欠かせない産業面での記事です。

 

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 もともと芸術には力を入れており、それを長年けん引した芸術創造センターに始まって、県営や市営の美術館をはじめ、徳川美術館など歴史的工芸品、名古屋芸能と呼ばれる古典芸能も盛んなど、古くから芸術活動に力を入れてきました。

 また、繊維業・車など機械性産業が盛んでその記念館もあったり、海外交流も多くの姉妹都市提携を結ぶなどの経緯もあって、産業・技術面も積極的にその強みを発信しています。

 

 こうしたアピールする面が多分にある愛知・名古屋は基より、この地域に限ったことでなく、日本国内の長い歴史に培われた工芸技術や、高い技術で世界でも評価の高い産業製品は、人口現象化が顕著になりつつある今、国内市場の目減りや従事する就業者不足で、海外に活路を求める動きは避けられなくなっています。

 しかし、いままで国内向けに開発・生産されてきた製品を、海外市場が受け入れられるのか半信半疑なところや、地方都市の特に中小企業・零細生産者としては、市場調査が行きわたらないために、成功の可能性を見いだせないケースが多く、行き場のわからない差し迫った課題には頭を悩ませているのが現状です。

 

 さて、政府が積極的に進める産業面での創生活動を機会に、海外市場の可能性を探る主に細々とでも優れた文化技術を守ってきた職人や零細企業は、それらのジャパンクオリティを、どのようにアピールするかの課題解決に手探りで動き出しています。

 この点政府でさえ新幹線をアジアに売り込むなどの商機を逃すなど、厳しざだけが目立っていて、日本の技術力の高さをしり目にその売り込む力の無さが露呈するなど、せっかくの素晴らしい日本の技術が、思うように伝わらずにもったいないケースが少なくないようです。

 

 ここで、海外に打って出る市場開拓の方法を官民でまとめなおす時期に入っているのでは? と危惧しています。

 たとえば、日本お得意の共同役割分担で売り込み部隊を編成し、数ある優れた技術を臨機応変に切り替えて、アピールする工夫が必要です。

 

 国内で技術面では、太古からトップ直轄の「部」と言う組織があって、技術を保護し得意分野に合わせ、国が分業管理する仕組みが発達していたようです。

 これは、かつては海外(主に今の中国)の朝廷へのアピールする献上品開発に端を発していたものが、時代を経るに当たって鎖国の色が濃くなると国内流通を目的とする傾向が強くなり、庶民への技術流出で一般化され、技術の伝搬が興りました。

 

 この歴史は、一方で鎖国による海外交易のノウハウの低下、つまり営業面の経験値が浅くなる負の面りもありましたし、その後漸く明治以降開国に踏み切ったまでは良かったのですが、西洋列強国の市場として良いように扱われたように、この時期から今の海外進出に必要な外交力の低下は露呈していたと言えます。

 

  それから100年以上経過してはいますが、世界市場を相手に活躍する企業は一握りで、中小・零細企業は、規模や資本力の差から国内生産・販売が主力となりました。

 今では海外向け製品が得意な企業も多くなりましたし、海外流通を生業とする企業、海外の情勢に詳しい専門家も増えましたが、海外販売力の差が広がり、実績がない企業は、国内市場目減りで市場を押され、いよいよ海外進出へ売って出ざるを得なくなりました。

 

 この動きは市場動向を見据えていた企業にとっては拡販チャンスでしたが、そのゆとりもない小規模企業に取っては青天の霹靂(へきれき)であり、この力の差は政府が間に入って埋める他なく、それぞれのメリットのバランズを取るのは課題ですが、新しい商機を開発する動きを作る今に至っています。

 

 その政策も道半ばの感は否めませんが、海外市場開拓を早く実施して企業に合った仕様を模索しなければなりませんし、地元の隠れた原石ならぬ優秀な技術を埋もれないように、最大限どのように活かせるかは、これから課題となるでしょう。

 また国の持つ企業統計力を駆使して、埋もれた技術を自治体や海外市場に詳しい民間企業・大学と連携して、海外向け産業活用をプールできる仕組みを固められれば、海外販路の開拓・製品開発に弾みをつけられるかもしれません。

 

 日本は、古くはアジアを中心とした交易の一部でしたし、繊細な技術をウリにしたモノづくりを得意としていました。いまでもそれは技術評価は変わらないですし、何より海外のアピールポイントですので、しばらくはかつての「部」のような国策として技術継承する仕組み、それを宣伝する仕組み、そして販売する仕組み、を総合的に作り上げたほうが、日本人には向いているかも知れませんね。

 

今は、西洋式の個人式の企業方式が一般的ですが、かつて日本の産業は、小さい国土を活かして、連携を持ってお互いにのウイークポイントを補って発展してきたように思えますし、今でも官公庁の役人のように、技術面での公務員制度で福利面での保護をする制度を創れば、意外と早く継承者が増えるように思いますがどうでしょう。

 

 今、人口が減少する中、いろんな意味での仕組みの再構築が急がれる時期でもあり、今こそ根幹的な改革の大きなチャンスなのかもしれません。

 そうだとしたら、もう一度このチャンスに日本方式とも言える独自の分業と継承のシステムを見直して、日本ブランド技術として海外に理解させやすくなるのではないでしょうか。

 

 この先、少ない人材を効率よくまとめて活かすのは、省資源の国日本ならではのお家芸であると思っています。海外の市場で日本の製品の特徴を際立たせる意味でも、パッチワークのキルトのように、ばらばらの小さい技術を集めて、新商品を作り上げるほうが日本らしいに繋がって、アピールができそうな気がしませんか?

 

 某TV番組で紹介されていた、事例のあらましを紹介します。

2016/4/20

 世界最大の家具見本市ミラノ・サローネでの、注目のアイシン精機ブースの企業イメージ・コンセプトにあったモニュメント制作を追う内容。

 東京ドーム10個分の広さに世界2000もの企業や個人が、1000作品もが出品される中で、アイシン精機が海外へのイメージ戦略に出る。

  モニュメント製作に白羽の矢が立ったのは、タンジェントデザイン&インベンション家具職人の吉本英樹さん。大きなハードルと舞台の可能性をこの機会にかける意気込み。

 吉本さんは、企業イメージを色など視覚と幻想的な音で表現するエキスパートを目指す。イギリスへ単身渡り、語学教育で生計を補いながらユニークなビジュアル効果の高い製品開発を得意とするらしい。

 会場になる、感覚派のイタリア人には受けやすいと抜擢された。

  ハードルは限りなく高いものの、欧州市場は繊細な日本人のセンス・気質に合っており、技術力の高い企業はその分評価ハードルは下げられる可能性がる。とし、アイシンのコンセプトを見事に具現化し、来場者の高い評価や、クライアントの満足度も高かった。

 

  海外進出は、小規模であればあるほど高リスクと、国内では考えられやすい。しかし順を追ってコツコツと市場開発をすれば国内と国外の二足のわらじも、零細企業にとっても決して困難ではないと思える事例です。

 技術は国全体で守り、海外展開は自由に行う、この一見矛盾している方法は、かつての日本ができたことであり、けっして今の日本人にもできない事ではないように感じましたが、いかがでしょうか。

 

 外国人との対話できる人材育成

産業「愛知モデル」を紹介 大村知事、ロスの国際会議で

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20160505/CK2016050502000038.html

愛知県、国際展示場の整備に着手 補正案に約350億円 : 日本経済新聞

http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLZO03196500T00C16A6L91000/