くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

連休だから見直そう、東京と地方のメリットとデメリットを。

 

 「戦争反対」や「原発反対」はたまた地震への話題が飛び交う機会が多い昨今では、自分が住む家さがしや地域探しにはおのずと力が入って真剣になるのも頷けます。

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 こうしたリスクが、発達したメディアを通して様々な情報として手に入る今、かつてはある程度の基準があったのに、今ではそれが当てにならずに個々の判断が避けられなくなっています。

 様々な利便性が極端に集中した日本の首都「東京」は、そのリスクを取り除こうとする思いの現れの一つなのでしょうね。

 

 今や東京の「一人勝ち」は政府がリスク分散を避けたために、政治・経済・文化・外交など利便性が集中して、不動のもののように言われるのですが、これからも信じていいのでしょうか。

 ここ何十年かで明るみになった感の強い、高齢化社会のモデル都市として注目されるであろう日本の首都で最近気になる東京の必死さが、あちこちに垣間見えて気になります。

東京「一人勝ち」は本当か? 地方の活性化、国土の均衡ある発展は不可能ではない

 

 そういった不安の裏返しとして、北朝鮮のミサイル挑発行動に即応した、首都への防衛省のパック3の配備はその現れですし、分散されていない日本のウイークポイントをさらけ出すようなものです。

 これからは日本人口の年齢層構成は変わる上で、400年以上続いたとはいえ、今後もすべての機能を首都に持つメリットは考え方ひとつで激変するかもしれませんね。

 

 さて、地方分散が始まろうとしている時期にその土地柄にこだわりがある方でなければ、自身の人生を通して考えた時に、我が住まうべき場所の選択は広がります。

 もちろん原則は、自分が産まれた土地であり、その周辺になるのはこれからも変わりませんが、注目されるのは、かつて地方から選択肢を持てずに、言われるままに中央に移転せざるを得なかった時代はもうないという事です。

 この点では留まる自由や、戻る選択ができるようになったわけですが、筆者の世代でもよく目にしたのは、折角の地元の家族や親せき縁者との縁を断ち切ってまで上京してねづいた一定の世代が居たことです。

 上京と言う選択をせざるを得な勝った人たちは、これも当時の政府の政策を良かれと東京郊外にまとまって住み、結果その家と東京間のルーティングから抜けられなくなりました、大阪や名古屋などの地方問でも似た様なことは起こりましたが、東京の比ではありません。

 

 おかげで、日本は東京集中型の効率化によって、厳しい世界との競争にアジアで一番乗りで豊かになったと言われます。

 確かにその集中力が今の日本なのかもしれませんが、それは人材が潤沢にあったからできたことで、これから同じモデルが通用するとはだれも思っていない筈です。

 そんな新しい成功モデルを模索している今は、住まう私たちが一人一人言われるままでなく、自分で考えて自分がもっともベストだと考える住み方を模索すべき時代に入っています。

 

 これは、政府が地方再生・創生を提案したから言っているのではなく、むしろ逆。

 政治の分野では自民・公明一択で、選択の余地は無いばかりか、その集中化をさらに推し進めようとしています。

 しかし経済は海外とうまく付き合うために、それぞれ企業単位でリスクを取って、場所の分散化をもさくする状態です。つまり東京集中しなければならない理由は無くなりつつあって、経済や社会的にそのような傾向は始まっていると思っています。

 

 政府自体もそれは自覚していて、更なる都心再構築化に躍起にりだしているし、ただでさえ少子化で若い世代の取り合いになりだしている現状が止まらない状態で、この高齢化社会にもっともセンシティブに反応しているのは、ほかでもない東京都とその周辺都市だと言う事実は、変わらないのです。

 

 メディアの中心も既に東京である必要がありません。今話題の「超ニコニコ会議」やネットTVの骨子は、いかにネット上にあふれる情報を生かしたりまとめるか、であり主役はニュースを出しているユーザーになっています。

 既存メディア・マスコミもTV放送網はかつてグループ化されて、系列会社の地方TV会社は共生的に、親TV局の質の低い番組やニュースをダダ流しするなど、本来の報道の自由性はありません。これも集中化だけに走った事の弊害なのでしょう。


 WBSでも放映していましたが、東海地方では当たり前になっている喫茶店のモーニングサービスを、ガストなど全国チェーン展開するファミレスがこぞって限定や、標準で開始している様も、すでに東京だけでアイデアを地方から求めているこれもアイデアの集中と言えなくもありません。

 ただその結果は言うまでも無く、サラリーマンの朝ビジネスは、より注目されていて、利用者にも好評の様子はあります。

 

 個人の情報発信や、リアルタイムのニュースを発信する様は、かつて東京が、ローカルのパクリをすることなどあり得なかった時代が、なりふり構っていられない必死さやもがきを見せる時代になったのでしょう。

 通信ネットワークや、交通ネットワークの発達で、観光や文化目的でなければ、物品買い物については、ほぼ上京するメリットは無くなった今、いよいよ蓄積できなかった東京が独占してきた本部機能は、東京であるメリットが無くなりつつあるのを、一番里理解しているのは東京なのではないでしょうか。

 

 東北震災の災害などのリスクで、安全性の担保はなくなり一極集中のメリットはデメリットに変わりつつあります。

 データセンター・コールセンターは、不動産価格・人件費の低さや、災害リスクを避けるように、外資であるほど北海道や九州・沖縄に構築されるケースが目立ちます。

 仕事の質は別として、雇用も大量人材を賄える仕事は、東京では割に合わず日本企業がうかうかしている間に外資が、地方の土地も人材も美味しいところを持って聞きかねない状態で国内企業は行き場を失いかけています。

 

 金融リスクも同じで、融資先に苦慮している地方金融との早期の提携は、地方にとの連携を進めるのは、好条件での融資を引き出す好機でもあったりします。

 限られた人材や資源の中で、お金とチャンスは地方に眠っていると考えるのが合理的のように見えるのは、筆者だけではないでしょう。

 

 企業は、いま競争が少ない時期に、もっと地方利用のデメリットという固定観念を捨てて、地方のメリットに目を向けた方が得策だという事に気付いていない。

 旧態依然の企業体質から脱却し、グローバル戦略に早期に目を向けていくかつてのリスクと思われていた選択が、実は最も賢い選択であることに早く気付いてほしいものです。

  これからは、個人も企業もかつての一極集中の魔方陣をすてて、新たな選択肢を育てていかなければ、その向こうには先細りの日本が見えてきそうなのですが、どうなんでしょうね。