くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

中・小型ジェット機、日本航空機メーカー両輪への期待

 

 日本初の国産ジェット旅客機のMRJ、愛知県西春日井郡豊山町名古屋空港で初飛行を成功させて、現在はアメリカでの安全基準評価取得のため、様々な飛行実証準備を進めていますが、その一方で日本メーカー製のジェット機が販売好調のようです。

 

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 ホンダは、今まで航空業界の常識だった、航空機メーカー以外の会社が成功した事例はない、という定説を見事打ち破り、その上信頼性も高く、売り上げも順調です。 

 ホンダジェット受注は100機「大きく超える」、米景気回復は好機

ホンダジェット納入開始が1位 先週の注目記事15年12月20日-26日

http://www.aviationwire.jp/archives/78106

 

 MRJがほぼ、国策に近い体制でバックアップされて開発を進めているのに対し、国内自動車メーカー大手本田技研工業製のHONDAジェットは、小型ビジネスジェットとは言え、エンジンから機体本体までもすべて同メーカーのノウハウで作られました。

 生産自体は、USAホンダなのでアメリカ現地の工場で生産されるため、日本の雇用創出には貢献できませんが、技術面では100%と言ってよい純日本と言っても良いでしょう。

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 特にエンジンを海外製既存エンジンでなく、ホンダ内製であるのが光っていますし、自動車ファンには忘れられない、伝説の人、故本田宗一郎氏の有言実行を具現化した涙モノの尾ひれがついています。

●技術革新を見据えた長期的経営視点(記事一部抜粋)

 ジェット機の開発は、そもそもホンダ創業者である本田宗一郎の「夢」だった。1917年、当時10歳だった宗一郎は、米飛行士アート・スミスの曲芸飛行を見ようと、自宅から20km以上離れた浜松練兵場へ自転車で向かった。手持ち金不足で入場できなかったために、木に登ってそれを鑑賞した。以来、飛行機に憧れ続けたというのは、あまりにも有名な話だ。

 そして同年、宗一郎は社内報で「いよいよ私どもの会社でも軽飛行機を開発しようと思っております」と発言している。
 ただ、宗一郎の決意があったとしても、航空機の開発はそんなに簡単なことではない。ホンダが航空機の開発に正式に取り組むのは、それから24年後の86年である。ホンダは同年、「和光基礎技術研究センター(基礎研)」を極密に開設した。

 選ばれたテーマは、航空機エンジン、航空機体、ロボット、バイオエタノールやソーラーを使う次世代エネルギーの4つで、いずれも極秘開発プロジェクトとしてスタートした。

 構想から、製造販売まで30年もの歳月がそこに刻まれています。同社は知る人ぞ知るロボット「ASIMO」を開発した、挑戦するユニークな社風を持っているメーカーです。その挑戦は創業当時から、ホンダイズムとして創始者本田宗一郎氏の思想が貫かれていると言われます。

 筆者も、そんな本田宗一郎氏の思想に憧れて、ホンダ製の自動車にもう三台目を乗り継いでいますので、少し嬉しく思います。

 連載 連載 片山修「ずたぶくろ経営論」
奇跡づくしで常識破壊、ホンダジェットが離陸
利益ゼロで30年間開発続行の死闘 Business Journal

 

 ただ、そんな好調のHONDAジェットも、ことMRJとの比較になると、どうも分が悪いと感じるのは筆者だけではないようです。

MRJに先行も…日本の報道がホンダジェットに冷たいワケ

 やむ無しではありますが、少し寂しい気はありました。

   同じ日本の素晴らしい技術を、世界に知らしめようとする心は、どちらも全くブレを感じないのに、国策と一企業との違いがそうさせるのでしょうか。

 

 いみじくもHONDAジェットが先行して順調な売れ行きを見せてはいますが、MRJも追って中型ジェット機の市場を担うにふさわしい機体です。

 現状の詳細・経緯は追って記事る予定ですが、難産ではあるものの日本らしく着実に飛行実績を積み上げられる準備を勧めているようです。 

 

 まだまだ、日本には大型 ジェットの製作計画も、実績もありませんが、小型・中型というこれから需要増大が期待される市場を、強かに狙っているのはHONDAジェットも、MRJも同じです。

 国内生産と言う面では、日本にはMRJの方がどうしてもメリットは大きいのですが、やはりどちらも、技術大国ニッポンを世界に知らしめるに、自信を持てる「両輪」であることに変わりはありません。